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ぼくらの負債のつくりかた
こんにちは、おがと。と言います。そろそろ色々と限界が来ました。
ツイッターで起業家は綺麗なもんじゃないといつも言ってますが実際本当にそうです。
私のこれまでの人生、起業までの経緯も含めて今回はお話したいと思います。
起業家の生活が気になる方、起業したいと考えてる方、これを最後まで読んで見てください。きっと見方ががらっと変わるはずです。
最近すごい自己嫌悪に襲われます。
実績が伴わない恐怖やみんなに見せているキラキラした自分とのギャップ。本当は違うのに…根は僻み基質の陰キャなのに…。そういった負の感情に体が侵食され鬱っぽくなってきます。体調まで悪くなってきました。胃痛や頭痛、体のだるさ等も…これが鬱ってやつなのかな、実際になってみると彼らの大変さがわかります。なんてことはなかったです。熱ありました、普通に風邪でした。
風邪を引いて泊まれる場所もないので(風邪引いてる状態で友人宅に行く訳にもいかないため)今日は贅沢してホテルに泊まります。
…もちろん嘘です。ホテルに泊まるお金もないので安く泊まれるネットカフェ、快活CLUBでこの文章を書いています。
すいませんそろそろ本題に入ります。
私は岩手県北上市という田んぼに囲まれた、そして夜になればカエルの大合唱が聞こえる田舎で生まれ育ちました。
小川秀人(おがわひでと)、これが今のハンドルネーム「おがと丸」の由来です。
私の家庭は低所得層には当てはまらず、しかし日本の平均家庭よりは貧しい中の下といった程度の所得帯に属す家庭でした。何の変哲もない一般家庭です。食事に困ることはないし家族全員五体満足、しかし学校の友達みんなが持っているものがちょっと買えない、みんながクリスマスにゲームを買ってもらっている時に本一冊。そんな貧困とは言えないけれどちょっと物足りないレベルで育った私は、周りがDSで遊んでいる時に私は祖母の家から貰ってきた古いファミリーコンピュータで遊んでいたし、クラスメイトがディズニーランドに旅行に行っている時に盛岡の広域公園にピクニックに行っていました。
お金を使わなくても手の凝った美味しい料理で私を育ててくれた母や厳しくとも毎日働いて養ってくれた父には本当に感謝しています。父は昭和の親父という感じで本当に話が合わないし通じないしなんなら日本語が通じないしでいつも喧嘩してばかりでしたが、それでもこの人がいなかったら今の私はいないわけで…。母には純粋な感謝しかありません。心配性な母はいつも私のことで悩んでいます。このNoteを読んでまた泣くのでしょうけどいつかは全部話さないといけないとは常々思っていましたし良い機会でしょう。親不孝な息子で常々申し訳ないかぎりです。
少年おがとの幼年期
私の両親はいつも私に勉強しろといいました。素直な私は言われるままとにかく勉強しました。小学校に入ってからは定期テスト、全国学力テスト、CRTテスト等々テストと付くものは常に満点でしたしそれ以外にも学級委員に委員会委員長等目立つことはなんでもやりましたから先生からも高い信頼を得ている優秀な生徒であったと自負しています。中一の時には県内統一模試で満点でしたしそれなりの学力も身についていました。
勉強以外でいうと小さい頃は電車や新幹線が好きで、その頃からオタクの風格を持ち合わせていたと親戚には言われます。ここまでの文章を読んでわかる通り、少年おがとは色白でガリガリに痩せたガリ勉オタクでした。そしてまあ子供は単純ですからガリ勉オタクなどがいようものならすぐにイジメの対象になります。いや、別にイジメられていたわけではないのですがみんなが持っていたDSやPSPを持っていない私は段々輪から外れてハブられていきました。
そんな環境のせいもあってかこの頃の私はというと読書が趣味でひたすら本を読んでいました。物心ついた頃から母が本を読んでくれていたのでそのおかげだと思います。そうして私は余計に勉強に打ち込むようになりました。
少年おがとと初めての受験
小学6年生のおがと少年に1つの転換点が訪れます。県内唯一の中高一貫校の中学受験です。秀人は頭がいいんだからそこに行けばいいと誰かに言われその高校を目指しました。これもやはり言われたからですね。つまんない人間だなあと今は思います。今の自分がこの頃の自分と会ったら絶対に仲良くできない自信があります。言われたことだけをただこなして自分の意思もなく生きる、くそつまんない人間です。
結果から言うと受験には落ちました。筆記試験が出来なかったわけではありません。むしろ筆記のできはよかったと思っています。小論文が書けなかったのです。白紙提出です。自分の意思というものがないとやはりどこかで躓く時が現れるんですね。おがと少年、生まれて初めての挫折です。
少年おがとの転換期
受験に落ちた私は学区内の公立中学校へ入学します。中学受験での失敗は私に大きな影響を与えました。受験のために続けてきた勉強に疑問を抱いたのです。なぜ勉強をしなければいけないのか────。これは誰しもが一度は考える問だと思います。私はこの時初めてその問に当たりました。よくこの手の話になると答えを1つに絞りがちですが勉強をする理由・メリットというものは1つではなく多岐にわたると私は思っています。
勉強〔べん-きょう(-キヤウ)〕
1.学問や技芸などを学ぶこと。
2.物事に精を出すこと。努力すること。
3.経験を積むこと。
────デジタル大辞泉より
さて、こうして見ると勉強というと定義はかなり広いと思いませんか?むしろ受験勉強は勉強でないような気さえします。そこに気づけたのが13歳という早い時でよかったと思います。おかげで有意義な時間の使い方ができました。教養として授業は受けますが不必要な宿題等は提出拒否し、授業も時々さぼり自分のしたい勉強をしたり公園で本を読むようになりました。
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