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つかうとつくる〜セルフビルドとファブシティ

今年夏の1ヶ月を家族で過ごしたのは、AirBnBで見つけたサウスロンドンのWalters Wayという小さな通りに建つ一軒家だった。実はあとから知ったことだが、この家を含む近隣の家々は、1970年代から80年代にかけて、建築家ウォルター・シーガルの構想と監修のもと「シーガル・メソッド」と呼ばれる工法で施主たち自らの手によって建てられた「セルフビルド建築」の先駆けとして知られる建築だったのだ。もちろん建築史の中でセルフビルド建築のパイオニアは彼だけではないが、近年書籍化されていたり、日本でもちょうど今年のBRUTUS「居住空間学2019」で特集が組まれるなど、再注目されている存在のようである。(ちなみにロンドンの数多ある通りの中で建築家の名前が存命中に通りの名前になったのは彼だけらしい。)

レンガ造りの建物が通り沿いに並ぶロンドンでは珍しい、木造の少し日本的な佇まいも感じる一軒家には、気持ちのいい吹き抜けや、アンティークの食器が並ぶキッチン、さらに母屋の隣にはツリーハウスもあり(しかも小さな本棚が子どもだけが通れる隠しドアになっていて母屋と繋がっていたり!)オーナーファミリーのこだわりと遊び心に溢れていて(その分いろいろな手間や不便もあったがそれも含めて)思い出に残る滞在になった。


つかうとつくる

今や身の回りには様々なテクノロジーによって生み出された製品が溢れ、大抵の場合わたしたちは消費者であり、それらを「つかう」ユーザーになっている。もはやスマートフォンを自分の手で「つくる」ことは不可能なのだ。そしてほとんどの人にとって、住宅という自分たちの暮らす空間もまた然りである。もちろん、わたしたちはそれによって便利で快適な生活環境を手に入れてきたわけだが、一方で今、自分の住む環境を自分でつくる「セルフビルド」というコンセプトや、建築に限らず「クラフト」の価値が再び注目されているのは、自分でつかうモノや環境を自分の手でつくるという主体性や、つくることができるという可能性を取り戻したいと感じる人が少なくないことの表れとも言えるだろう。

リーズナブルであること

すべてを自分の手でつくることは現実的ではないとは言え、あらゆるモノの成り立ちがブラックボックス化されてしまうと、その価値が市場原理の中での経済的な合理性、平たく言えばお金でしか判断できなくなってしまう。「リーズナブル(Reasonable)」という言葉は「安い」「値ごろ」「価格に見合った」といった意味で使われがちだが、本当は「リーズナブル(Reasonable)」かどうかを判断する「理由(Reason)」は価格だけではないはずだ。

自分で「つくる」ことはモノのなりたちを知ることでもあり、お店で売っている何かを自分でつくろうとしてみれば、「かう」「つかう」だけではわからなかったこと、どこから来てどんな風につくられているかを必然的に考えることになる。ひいてはそれが、どこかの誰かからの搾取に繋がっていないだろうかとか、環境に負荷を与えていないだろうかといった、お金だけではない「理由(Reason)」を見つけることにもつながる。

ちなみにわたし自身、休みの日にちょっとした家具をつくったりするのがおそらく唯一の趣味らしい趣味である。(デザインという仕事の延長と言えなくもないが。)実際に自分でつくってみると、自分で使うからこその作り方もできるし、逆に自分で作るからこそ使い方が変わることもあり、気づかされることが多い。

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ファブシティ構想

3Dプリンタに代表されるデジタルファブリケーション技術を中心とした、いわゆるメイカームーブメントもまた、その名の通り「つくる」を自分の手に取り戻そうとする動きだろう。そして今、そのムーブメントが都市のスケールでも注目されつつある。メイカームーブメントを牽引してきた国際的なネットワーク「ファブラボ」を起点に、それを都市のスケールで実現しようとする「ファブシティ構想」が注目されているのだ。

「ファブシティ構想」とは、外から大量生産されたプロダクトを輸入しゴミを外へ廃棄する「Product in, Trash out(PITO)」型の都市から、インターネットでデータと知識を共有し、地域内でのあらゆるモノの地産地消を目指す「Data in, Data out(DIDO)」型の都市への転換を目指す構想で、2014年のバルセロナを皮切りに日本では昨年鎌倉市もファブシティ宣言を行なっている。

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実際にこの構想を実現するには課題も多いが、例えばGoogleの親会社Alphabet傘下のSidewalk Labsが進めるスマートシティ計画が物議を醸しているように、サステナビリティの観点だけでなく、わたしたちの生活が都市のスケールにおいてもますますテクノロジーによってブラックボックス化され、生活者から主体性が奪われつつあることへの懸念がその背景にはあるだろう。

先日開催された『情報環世界』出版記念トークイベント第4弾にゲストで登壇いただいた内田友紀さんも所属されるRE:PUBLICによるトランスローカルマガジンMOMENTの創刊号の特集「-able city」では、ファブシティ構想をはじめ「人間の可能性をひらく都市」をテーマにさまざまな事例が紹介されている。興味がある方は是非手にとってみてほしい。


テクニックとテクノロジー、
自(みずか)らと自(おの)ずから

このトークイベントのテーマは、第1部が「都市と情報環世界」、第2部が「哲学と情報環世界」だったが、共通するキーワードのひとつは「主体性」だったように思う。第1部でドミニク・チェンさんから提起された、人に宿る技術としての「テクニック」と、モノやシステムに宿る技術としての「テクノロジー」の違い。第2部で哲学者の原島大輔さんから提起された「自(みずか)ら」と「自(おの)ずから」の違い。いずれも「主体性」に関わるテーマだ。すべてをブラックボックスに任せて「つかう」側に回ってしまうのは楽だがコワイ。かといってすべてを自分で把握し「つくる」側に回るのもなかなかシンドイ。わたしたちはどこまで受動的に、どこまで主体的に世界に関わるべきなのだろうか。イヴァン・イリイチのいう「コンヴィヴィアリティ」にも通じるテーマだが、これについてはまた改めてじっくり考えていきたいと思う。

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デザインエンジニア / Takramディレクター / 東京大学工学部卒、IAMAS、LEADING EDGE DESIGNを経てTakramに参加。ソフトウェア、ハードウェアを問わず、デザイン、エンジニアリング、アート、サイエンスまで幅広く領域横断的な活動を行っています。
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