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「一度きりの大泉の話」~50年にも及ぶ忠犬ハチ以上に哀しい呪縛

注:これは萩尾望都先生の著書「一度きりの大泉の話」
  アマゾンレビューの転載です。
(2021/6/17 最終改訂 追記あり)

自称分析マニアで、長年“人の個性の違い”を研究中。
一応キンドル本も出している。

≪「ファラオの墓」「超少女明日香」「紅い牙」
「7つの黄金郷」どれも小中学生時代の思い出深い作品たち。
この中に萩尾作品の「スター・レッド」も含まれる。
最も影響を受けたのは、漫画家ではないが、栗本薫女史。
二十歳以降は、主に樹なつみさんの作品に傾倒し、今に至る≫

著者は、小学生の頃から知る漫画家であり、大の漫画好きと
しても、この一件は到底看過できず。

この本に関して、いろいろ思考を巡らせること数日、やっと
全体像が見えてきた。

表現として問題かもしれないけど、著者の現状は表題のとおり。
大恩ある人の願いを聞き入れ、沈黙を守り通した結果、同時に
さながら忠犬ハチのように50年以上待ちぼうけをくらってきた。

長らく放置され続けたせいで、ありもしない罪を自分で
でっち上げて、自身を傷つけている。

その罪は50年もの歳月ともに著者の心に深く根をおろし、
なかば同化しているので、なかなか手放すこともできない。

手放さずに抱え続けることで、自分を罰し続けているのだ。


━━ 最大の悲劇は、双方の認識の齟齬そごにある。━━

少なくとも事の発端となった、あちらの著書と本書の両方
読んだ人間なら丸わかりだろう。

●●疑惑は、当時焦燥に駆られたあちらの完全な勇み足。
距離を置きたかった理由は、著者の豊かな才能への嫉妬。

ここで最も留意すべき点は、●●疑惑自体は言った本人が
50年前に全て忘れてほしいと即座に取り下げているところ。

それでも易々と先を越された悔しさや嫉妬心だけはどうにも
抑えきれずに手紙でお願いするに至ったのだ。

●●疑惑は、かの先生の方では既に過ぎ去りし過去の事案。
(あちらも体調不良やスランプに陥る程、相応の痛手を
被りながら、年月を経て忘却という形でなんとか克服した
らしい‥)

おそらく、だからこその著者の才能を素直に認めたあの本
となるのである。

ここら辺をしかと押さえていないと、著者の主観の大波に
さらわれてしまう。


しかし、あの夜喧嘩になることを恐れて、●●疑惑を強く
否定できず、曖昧な受け答えしかできなかった著者は、
その後もずっと今日に至るまで、自分は許されていない、
あの時の疑惑がまだ尾を引いているせいではないかと
思い込んでいる。

そして、今回わざわざこの本を出したのも実のところ、
そのあたりの疑惑をきれいさっぱり払拭する狙いが
あってのことらしい。(作品というのは、おそらく作家
にとって愛しい我が子のような存在だから、子供を守り
たい親心のようなものが根底にあると思っている)


とにもかくにも、50年前にかの先生にかけられた言葉と
手紙の内容が石化の呪文のごとく、著者自身の心を蝕み
すっかり石化させてしまっている。

この場合、石化解除の呪文は、かけたご本人でないと
効力はないだろう。


50年分の溝をメディアの力を借りて、事後承諾の形で
解決を試みたのだろうけど、やり方がまずかった。

著者の望む平穏さは野次馬的外野の介入で失われ、
外堀内堀共に埋められた大阪城のごとくになり果てた。
本書はその意趣返しも兼ねているから、様々な感情が
交錯していて悲しくも重い。

著者はこれからも現状維持でかまわないそうだが、ここまで
暴露されては今度は書かれた側が、それでは辛いのではない
だろうか。

なにせ、お二人とも漫画界に並び立つ巨匠。
日本が世界に誇れる数少ない至宝というべき方々なのである。

漫画家としてただ単に、読者に夢や感動を与えてきただけでは
ない。
お二人の才能が生み出した多くの作品が、これまでもそして
これから先も、日本経済に与える恩恵は計り知れないだろうし。

蛇足だが、数年前の震災の折り、故郷の復興の為にと●億もの
寄付をしてくださった某漫画家のご厚意を私は忘れない。

という訳で、時間があれば、別の場所でもっと詳しくマニアック
に書いてみるつもり。


【追記~著者としての最低限の責務】
本日、「別冊NHK100分de名著 時をつむぐ旅人 萩尾望都」を
購入。番組も無論視聴したものの、私のようにややテーマが
難解と感じる人間にはありがたい解説本。

萩尾作品は、特にこの世に何かしらの生きづらさを感じる人
には胸に刺さるものらしい。

ご本人の出生チャート(生まれた日の天体配置図)を見ても
葛藤や抑圧が多く、それらが創作の原動力になっている様子
が伺える。


ところで、一つ忘れてはいけないことがある。
この本の全てとはいわないが、一部は残念なことに互いの傷の
見せあいであり、暴力の応酬になってしまった。

著者もまたこの本を世に出したことで、先方と同じ土俵に
立ってしまったのである。

それ以前なら相手の声に耳を塞いでいてもよかったかもしれない。
しかし、こうなってしまった以上は、今回最も傷ついた相手の傷
から目を逸らしたり逃げる訳にはいかないだろう。

許すかどうかはともかく、再び先方からの親書なりが届いたら、
今度はしかと受け止めてほしい。
それがこの本の著者としての最低限の責務、さらには人として
の礼節、誠実さと私は考える。

本書において、自分の名を冠した作品には作者として責任を負う
と書いてあった。
そして、受けた恩は忘れない、義に厚い人でもある。
今回巻き添えをくらった双方のファンのためにも、せめて、
それくらいの責務は果たしてくださることと信じている。

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