イスラエルに取り込まれた村上春樹を駁す

村上春樹の世紀のおためごかし、欺瞞のエルサレム賞スピーチ。
この期に及んでまだ春樹を褒める人がいることに驚愕している。朝日新聞の以下記事に紹介されているラジブ・ワシンさんの論にすべては尽きている。しかし昔はたまに朝日にもこんな立派な記事が載ったものだが、今は昔。

「アラブのハルキ・ムラカミ論」カイロ:平田篤志記者
作家の村上春樹さんがエルサレム賞を受賞した。イスラエルによるガザ攻撃の後だけに、日本国内でも受賞は攻撃の正当化につながるとの論議があった。だが授賞式の記念講演で、村上さんは最前列に座るペレス大統領を前に「壁と卵」の比喩を用いてイスラエルを批判した。壁は強大な軍事力を持つ体制、卵はそれにぶつかり割れる個人を象徴する。そして「私は常に卵の側に立つ」と語ったのだ。
講演後、会場では大きな拍手がわき起こった。歓声も上がった。その場にいた私も感銘を受けた。
しかし、何か、もやもやが残った。あえてイスラエルに来て、文学的表現で批判する日本の作家。それを受け止めるイスラエル人。知的な緊張と交歓。
そこに紛争の一方の当事者であるパレスチナ人、アラブ人は不在である。あまりに大勢が殺され、一人ひとりの人格が消えて「1300人」という数字に置き換えられてしまうのと同じように。(村上春樹のスピーチが行われるというパフォーマンスは、それ自体が実際に起きた虐殺を抽象化する力があり、天才的に外交に長けているイスラエルはそれを読んでいること、ここで行われているのは不正義だという違和感。)
パレスチナ人の苦しみを表現したガッサン・カナファーニー、ノーベル文学賞を受けたエジプトのナギーブ・マフフーズ。アラブには優れた文学や詩の伝統が受け継がれている。村上さんの受賞についてアラブ紙は、授賞式前後に「日本で抗議の声」などと伝えただけだ。いったい、アラブの文学者はどう受け止めているのだろう。
そんな折、2月23日付のアラブ圏紙アルハヤトに、本格的な論評が載った。筆者はアブド・ワジン氏。レバノンの作家・詩人だ。村上作品を深く愛するがゆえの問い。文化発信力(文化を政治的に利用する外交ロビーの技術)でイスラエルに負けていることへのいらだち。アラブ知識人がみな同じ見方をするわけではないだろうが、とても興味深い。
本人の承諾を得て、余計な注釈は抜きに要約をお伝えする。アラビア語から英訳したものの重訳であることをお断りしておく。
アラブ圏紙アルハヤト紙
アブド・ワジン
『我々アラブ文化人は村上春樹がエルサレム賞を拒絶することを願った(平和を本当に考えるならば、一番の正解は受賞を辞退することだった)。日本でも、ガザでイスラエルに殺された子供や女性の流した血に敬意を示して辞退するよう求める人がいた。その声に耳を傾けてくれると思った(人道のために彼は辞退してくれると思った)。
しかし、彼は躊躇することなくエルサレムに行き、シモン・ペレス(イスラエル大統領、ガザ侵攻・虐殺を指令した)から賞を受け取った。何度もノーベル賞候補になっているこの作家は、イスラエルが世界的文学賞への通り道だということをよく知っている。イスラエルは、ボーボワールやミラン・クンデラら大作家に与えたこの賞によって、偉大な日本の作家を捕らえることに成功した(村上春樹がノーベル文学賞欲しさにイスラエルに行ったことを見抜いている)。
(ガザ侵攻・虐殺による国際イメージの低下を恐れたイスラエルは、国のイメージの回復させるページェントの必要があり)ガザでの虐殺直後に、たとえ日本(イスラエルとは人種が違う有色人種の日本国)の作家であれ世界的な文学であればたたえるのだということで、自分たちは文明国であると世界に示そうとしたのだ(村上春樹がノーベル文学賞受賞を餌につり出されたのは完全に政治的なパフォーマンスだった)。
村上春樹はアラブの本屋や図書館に存在している。いまや彼の作品は多くのアラブ人に読まれ、最も輝かしい日本の作家として人気がある(有色人種であり、アメリカと戦争をし、経済発展を遂げた日本は中東諸国に親しまれている)。レバノンの出版社が村上の小説4作品をアラビア語訳して人気を呼び、アラブのウェブサイトにも翻訳が出回っている。
(白人系ユダヤ人至上主義国の)イスラエルではこれほどの人気はないはずだ(イスラエルで村上春樹の人気があるように報じられたが、実際に人気があるのは中東諸国でありイスラエルではそれほど村上春樹は知られていない)。
例えばアラブ連盟は、なぜ世界の優れた作家に賞を贈らないのか。それは世界の目を、我々に向かせるのではないか(文化的外交ロビーが国際政治を左右することを訴えている)。(文化的な活動は)アラブ文化に世界的な次元を与え、現代の国際文化の舞台の中心にえることになるのではないか。資金が足りないなどと言い訳をすべきではない。イスラエルが村上に贈った賞金はアラブの他分野の賞に比べて多くはない。
仮に今回の小さな過ち(本当は辞退がベターであり、村上春樹もそれを理解していたにも関わらず、ノーベル文学賞欲しさにイスラエルへ行ったこと)を許さないとしても、我々(中東の人々)は村上春樹を愛し、読み続けるだろう。彼だって、誰もが知っている目的のためにちょっとした間違い(ノーベル賞欲しさにイスラエルに行ってしまった)を犯したことはわかっている。(いつの日か、イスラエルに負けない文化外交の技術を持って)アラブがこの偉大な作家に「免罪符」に当たるような賞を与えることを望みたい。』

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