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人に先は見えない。できるのは歩くことだけ。

この足が一歩を踏み出し、そこにある地面に到達することは確信を持って動けるだろう。厳密にいえば、それでも、その瞬間地震が来て地面がなくなる恐れもある。すぐ先の未来でさえ人は完璧には見えない。

先の先の未来はさらに分からない。

完璧でなくとも、地震が来る可能性があれども、
次の一歩なら十中八九は思い通りの一歩が踏み出せる。

その十中八九見えている次の一歩を重ね、先へ進んでいる。
人生においても大半がそうであろう。

結局のところ、人は点と点をつなげて生きている。

本当にこれで良いのだと思う。

その、「ただの一歩」を余計なお世話のごとく
同じ道を歩んだつもりの先輩方が邪魔な言葉をかけてくる。

「覚悟が必要だ。」
「辛い道だ。」

それが辛かろうが未知の領域だろうが経験してないので分からない。
未だかってない苦しみが待ち受けているのであれば、なおさら想像

ただし、まだ折り返す前の人生だがひとつ理解したつもりでいる。

人間はそのレベルにあった苦痛と喜びを感じる生き物だ。

学生時代も、サラリーマンも、経営者になってからも、苦しみエピソードはすぐ出る。

最大の不幸は”苦しみ”が他の人(たち)の意思決定によって左右されるものであること。

学び。
感じ。
動く。
経験する。

これらはすべて同時に行われる。

学んでから動くのではない。
意思決定なんてスタート前の作業。
どんだけ考えても、結局、道は未知。

いつでも常に。
早いも遅いもなく。

同質化の圧力に負けず。
オリジナルカラーで。

横並びは気にせず前だけを見て、適当でもよい、大事なのは一歩踏み出すこと

結局、1周まわってそこに行きつく。
さぁ、動けマイセルフ。ユアセルフ。

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