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心の島 小笠原−4 野草を食べていた


小笠原との関わりは30年以上になる。
取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あったら幸いです。

島の友人が、私が草を食べ始めたと聞いてもよしてくれた島の草を食べる夕餉。の、食材

図鑑を片手に食べられる草探し

小笠原に住んでいた目的は島の暮らしを見ること(それを取材と称して)、そして本当は2010年6月を目指していた世界自然遺産登録に向けて、島がどんな風に変わるか(特に人の気持ち)を記録したいという思いだった。
島にいる間に何処かの媒体で連載を取りたかったけど営業力のなさで叶わず、ほぼ、2009年までに身を削るような思いでやっていた原稿仕事でつかんだ小金を原資として暮らしていた。

2009年5月に移住して、最初は2010年6月に帰るつもりが、結局8月までいた。年を超えると、だんだんと懐具合がキビシくなってきた。そこで「野菜を植えよう!」とか「農家さんを手伝って野菜をもらおう!」というような生産的な事を考えないのが私の良いところで、「野草を食べて節約しよう!」と考えた。

ネットと、内地の友人が送ってくれた「牧野日本植物図譜」などの書籍と、節約ではなく楽しみで野草を食べていた島の友人に聞いたりして食べられる草を探した。

オニタビラコはタンポポみたいなロゼットを作るキク科の植物で、炒め物のかさ増しによく食べた。食べ慣れると、歩いていてもデカくてつやつやなのがあると「おいしそう!」と思うようになった。
ギシギシは水辺の近くに生える丈夫過ぎるタデ科の植物で、葉っぱは食べられないが(食べられないことはないがまずい)、若芽はさっと茹でるとぬめりが出る。ぬめりもあるので、おひたしにして食べた。

ギシギシの若芽

カラシナは本当によく食べた。取材のために移住したといっても、大半の日々は電動アシスト自転車であっちこっち走り回っては写真を撮っていたボケーっとした日々を過ごしており、島のあちこちにお気に入りの一休みポイントを勝手に設定していた。よく行くポイントの周囲のカラシナが美味しかったので、収穫してはペペロンチーノの具にしたりしていた。

他に食べられるものはないかと調べたら、スベリヒユという草もイケるらしいと分かり探したが、見つからない。あ、あった! とようやく見つけたのは人様の駐車場だった。持ち主に断って「こんなもの食べられるの?!」と驚かれながら這いつくばってまで取ったスベリヒユの味は……全然覚えていない。多分あまり美味しくなかったのだろう。その後、取った記憶がない。

タケダグサが美味しいと、草を食べていた先人が教えてくれたのだが、どうしても見つけられなかった。牧野の図鑑を持っていき、この辺にあるよと聞いた場所に何度も行ったけどどうしても分からなかった。まあ、この草は本来小笠原にはないほうがよい外来種なのだが、あるところにはあったのだ。
当時、なにかにつけて私を小馬鹿にする人がいたのだが、「あんなにあるのに見つけられないのォ?」とまたも小馬鹿にされたことを今も忘れない(こういうことをすぐ忘れられる人間になりたい)

春になるとメダケという細いタケノコが出て、これはすばらしいごちそうだった。きんぴらにしたり、ペペロンチーノの具にしたり(簡単なので何かというとすぐペペロンチーノを作っていた)、煮物にしたり、皮ごと焼いたり……。繰り返すけれど本当に美味しかった! 今この瞬間も食べたい。
このタケノコの最初の収穫は、当時、行っていた保育園のバイトの時だった。
島で暮らしていたときに書いていたブログにそのときのことが書いてある。今ここに書いているようなことをその時も書いている。金がないとか。

自転車であちこち探し回り、いくつかこのタケノコが取れる場所を見つけていた(同様なことはクワの実を探したときにもやっていた。その時はどこの木の桑の実が大きくて美味しいかマップまで作った)。
タケノコは、とってもとってもすぐ出てくるが、取りに行った時点で取れるものを全部取るのは愚の骨頂。独りよがりすぎる。島では次の人の分は残して立ち去るのがマナーなのだ。だから見えている分の1/3は残していった。といっても、私以外にタケノコ採りに執念を燃やしている人はいなかったが。

しかししょせんは草なので、主食にはならない。どのくらい節約に役立ったかは不明だ。だけど、これは食べられるかな、食べられそう! 食べてみよう! と考えながら集落内や山を歩くのは楽しかったなあと、今、思う。


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