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心の島 小笠原−17 桟橋にて繰り広げられるドラマ

島と外界をつなぐ交通手段が船しかないので、入出港日はイベント的な趣がある。
何も用がなくても時間になるとやって来る人もいたりするので、船が着くときと出るときは港(島では桟橋と総称していた)は大賑わいの様相だ。


小笠原との関わりは30年以上になる。
取材で、個人の旅で、もう何十回行ったかわからない。コロナ禍の3年を除いて行かなかった年はないし、一時期は住んでもいた。その間に見たり、感じたりしたことを1つずつまとめていってもいいかなと思い、書き始めた。本当の雑記だが、興味あったら幸いです。


2020年のデータを見ると,宿泊や飲食サービス業の就業人口は島の12.2%で、この人たち、つまり民宿やペンションを営んでいる人たちは入港時にはお客さんを出迎えに行くし、出港時には見送りに行く。
また、友だちがやってくるとか、仕事の関係で迎えに行くべき人が来るとかという理由で出向く人もいる。だから、船が着くときはかなりの人口が桟橋にやってくる。
おがさわら丸が着く父島の、二見港から少し離れた扇浦や小曲といった地区に住んでいる人は、朝の防災無線で流れた到着時刻から逆算して出かけるが、大村や奥村など二見湾にある地区に住んでいる人は、おがさわら丸が湾に入ってきたときの汽笛を聞いて「そろそろ出るか」といって車を出す。これは、港が近い母島の集落(元地)も同じだ。

自衛隊や教職員の入れ替わり時期だと、出迎えも見送りも横断幕なども登場してにぎやかだ。
母島に住んでいたときは、私もやはり汽笛を聞いてははじま丸が入ってくるのを写真に撮ろうと自転車で出かけることも多かった。ただ船から降りてくる人を見ているだけでもなんとなく、楽しくなる。

自分が船に乗っている側だと、タラップを降りたときに知っている顔が迎えに来てくれているとやっぱりうれしい。ああ、島に帰ってきたなぁという気持ちが高まる。

見送りのときは悲喜こもごもだ。三月は毎便ごとに別れがある。教職員や東京都支庁、国の出先機関の職員たちは、島に馴染んだ存在である。たいていは家族全員できているので、子どもたち同士の別れもある。学校の先生が出発するときは、「◯◯先生、△△先生見送り式」など前もって知らされる(村民だよりか、全戸配布される学校からのお知らせ?に載ってたような??)。生徒たちはもちろん、親もやってくるから桟橋は大賑わいだ。
2010年に母島で見送り式を見たときは、一人ひとり挨拶をして、生徒たちが先生の首にレイをかけてあげていた。もう、レイで顔が埋もれんばかりの数が首にかけられる。
そのレイは、船が島から離れはじめ、速度を増す前に次々海に投げ込まれる。船の航跡のあとに、赤いレイが点々と残り、波に揺られている。
トップの写真はその時のようすで、レイは写っていないけれど、船を追って子供たちが海に飛び込む様子が写っている。そして海から手を降って見送っていた。これには、撮影しながら涙が出た。

父島では、テレビでも旅番組で小笠原が取り上げられると必ず映る、見送り船が有名だ。
薄い記憶では、30数年前は、多くても5艘ぐらいしか出ていなかったような気がする(覚えているのは武じいと呼ばれていた遊漁船「南星丸」の船長が見送りながら吹いてくれた進軍ラッパ、父島タクシーの岡本さんの船、小笠原ダイビングセンターの和船……かな?)。
ダイビング船からは、見送りの最後、乗っている人たちが海に飛び込んで、海から手を振って見送ってくれた。これは今も行われている。
こんな風景を見せられたら送られる方は泣けてくるし「絶対もう1回来よう!」と思うだろう。

でもまあ、夢を壊したくはないが、とあるダイビング船のスタッフと出港前日飲んでいたら
「あ〜、明日は出港か〜。飛び込まなきゃ〜」と大義そうに言っていたので
「やっぱり大変なの?」
と聞くと、
「そうですね〜、でも仕事ですからね〜」と笑いながら言っていた。それを聞いて、最初に感じた感動はほんの少し、薄れたかもしれない(笑)

でも、仕事であってもあんなふうに見送ってくれる場所を他に知らない。
みんな、満面の笑みで、「また会おうね!」と言ってくれる。
もちろん仕事と関係なく、気持ちとして送ってくれる人もたくさんいる。
入港時は11時前後(母島では14時前後)から少なくても20〜30分、出港時は14時半前後(母島では11時半前後)から20〜30分時間を費やして迎え、送ってくれるなんて、それだけでも嬉しいではないか。こんな出迎えや見送りはほかでは経験したことがない。

2023年、コロナを経て久しぶりに島に行き、30数年前に比べると島らしさの内容が変わってきたなと思ったけど、出迎え、見送りの風景は変わらなかった(GWの直前で船に載っているのが200人前後でありかつ、ほとんどが島の人だったので、見送りの数はものすごく少なかったが)。
船が交通手段である限り、この強烈な印象は、訪れた人の胸に深く刻まれるだろう。

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