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ゴールデンカムイ 尾形百之助の虚無顔は無感情の印なのか?

(ネタバレです。最新刊まで一周読んだ方向けです。絵はトレス)

ゴールデンカムイを通読していくと、尾形は狙撃時に顔の表情が完全に無い、いわゆる虚無顔になっている描写が多いのに気づくかと思います。特に冷静に狙いすまして人を撃つ時、この顔になっています。
(逆に自分や周囲の人間が襲われるなど「これは殺るしかない!」という状況の時には怒り、嘲り、薄笑いなどの表情が現れていることが多いです)

この虚無顔が尾形の罪悪感の無さと捉えられる事が多く、あんな事をこんな無表情で…と血の気が引く思いをした人も多いかと思います。(ええ、例の場面です)

さて、ここで尾形の虚無顔が何を表しているのか検討してみたいと思います。「検討と言っても何も感じていない、罪悪感が無いという意味だよね?」と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、事はそう単純ではないと思います。


巻は前後しますが、まずは尾形の罪悪感についてです。

別の投稿に尾形の罪悪感について書いておりますのでそちらも合わせてご覧いただけると良いのですが、

25巻243話:怪我で入院中の尾形が熱に浮かされて勇作狙撃時の夢を見ながら「勇作殿」とうわごとを言っている描写があり、尾形が勇作殺害に罪悪感を感じていることが示されています。

尾形は弱っている時や危機に際してしばしば勇作のおどろおどろしい夢や幻想を見ており、罪悪感に苦しみ続けている様子がうかがえます。




17巻165話:勇作狙撃時に虚無顔になっており、上記と合わせて「罪悪感=虚無顔」という対応関係が明らかになります。(顔がきれいすぎてとても描けなかった…ぜひ単行本見てください)

11巻103話:母死亡の際、幼少の尾形が虚無顔をしています。この時、尾形は罪悪感を抱いているものと考えられます。



14巻137話:網走狙撃時にも虚無顔になっていて、あの狙撃に対して罪悪感を感じていることがうかがえます。





虚無顔により発生する誤解こそが中盤のエモさの鍵


初読の時は網走狙撃後に虚無顔なので何も感じていないように受け止めていましたが、実はあの虚無顔こそが尾形の罪悪感の表れなのです。その事が実に巧妙に隠されています。分かりづらい…。

でも、この誤解こそが私たちに「尾形、なぜなんだ」と考え続けるよう仕向けます。中盤のエモさをもたらす大きな鍵なのです。ここは大切に大切に味わいたいものです。初読者にネタバレしてはいけない大切な誤解です。

尾形はその辛い人生を罪悪感に押しつぶされないように虚無顔の後ろに隠れ感情を麻痺させ生き抜いているのですね。いい加減にして欲しい…(いいぞもっとやれ)

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