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ゴールデンカムイ 樺太狙撃手対決 にてヴァシリが生き残った事で物語の展開はどう変わったか
樺太狙撃手対決
2021年12月現在、こう書かねばならなくなったことに新参者のわたくしといえどもちょっとした感慨を覚えます。日露戦争延長戦と日露戦争「再」延長戦が存在する今、狙撃手対決と言えば樺太のあれだよねという時代が終わりを告げ、これからはちゃんと「樺太狙撃手対決」「五稜郭狙撃手対決」と呼び分けなければならなくなったわけです。
さて今回は樺太狙撃手対決でヴァシリが生き残った事の影響、もっと言えばアフター樺太にヴァシリが存在する事の意味について書いてみたいと思います。
あの時、銃弾がヴァシリの顔のあの場所じゃなくて致命的な場所に着弾していたら、もしくは尾形百之助にもう少しだけ体力が残っててとどめを刺すことができていれば、その後尾形が頭巾ちゃんにストーキングされることもなかったでしょう。
頭巾ちゃん現代だったらかなりヤバい人なのでは?と思ったんですが、よく考えたら百之助君も相当ヤバい人でしたね…スミマセン
で、あの時頭巾ちゃんが生き残った事はその後の物語の展開にどんな影響を与えたのでしょうか?それに関して、創作をされている転屋さんがこちらをツイートしてらっしゃるのを拝見して「なるほど!」と目からウロコがポォンッと落ちました。
金カムのオリジナル囚人を探して戦う系の話を幾つか考えたことがあるんだけど、尾形が自由だとすぐ敵が片付くし遠距離で共闘も難しいのでのだカムイ(野田先生)のスナイパーが扱い辛いというのがよくわかった尾(形)が動きにくいor銃を使い難い状況を作らないとなかなか難しい…(略)
(カッコ内筆者加筆)
これを私なりに説明すると
お話作りの観点から見ると、もし頭巾ちゃんがいなかったら狙撃手である尾形が遠方の安全な場所から無双しまくっちゃうから、話の展開に緊迫感が生まれずどうにも面白くならない
という事です。
これって一般化して「狙撃手(スナイパー)のジレンマ」と呼んでも良いほど、物語における狙撃手の扱いづらさを良く言い表していますよね!(興奮)
続けて転屋さんは
そのジレンマへの対策を考えたとき
・視界を悪くする(闇や煙など)
・対抗する狙撃手を配置して動きを封じる
するのが有効と書かれていて
言われてみたらおっしゃる通りで、実際にゴールデンカムイの中でも
闇は温泉回
煙は谷垣狩りや網走
など、実際にゴールデンカムイの中でもそういう場面設定がなされている(再興奮)!といたく感心しました。
そういった観点から、現在ヴァシリが存在してくれる事で尾形の持つ過剰に有効な殺傷能力を封じ、撃つにしても1発しか撃てない、という緊迫した状況が生み出され物語が非常に面白くなっていることが分かります。作るという観点が全くなくただ楽しく読んでいるだけの私としては
野田先生すごい…
それに気づいた転屋さんもすごい…
とただただ敬服するばかりです。
あまりにも目からウロコだったので、これがTwitterのTL上を流れ去ってしまうのが惜しく、僭越ながらここに書き留めさせていただきました。
ああ、樺太でヴァシリが死なずに追って来てくれたからこそ、300話の本誌で胃が痛くなるような緊迫感を経験する事ができたんですね。
ありがとう…でも怖いよ…そして2人とも生きて…
(300話直後の2021年12月18日 記)
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