見出し画像

ゴールデンカムイ 尾形百之助の顎の傷はなぜ左右対称で直線なのか?当時の口腔外科學の教科書から分かること

数年前に尾形をはじめて見た時からずっと気になっていることがあります。それは杉元につけられた顔の傷が直線的で左右対称なことです。ただの負傷にしてはあまりにも人工的で「あれは一体何なのだろう?」と思っていました。既に議論が終わっていることかも知れませんが、私なりに調べたことを記しておきたいと思います。(一部トレスで図を作成しています)

あれは普通の負傷でついたものではない

川落ちの場面で、単行本では顔が当たった瞬間は描かれていません。ここの動きはアニメの方が詳しいのでそちらを見ていきましょう。崖から落ち、顔の真正面から岩に当たり、例の傷がついてない顔が映り、川に落ちます。その後担架に乗っている時もあの傷はありません。

あの傷は病院に運び込まれる前には無く、病院を出た後の谷垣狩りのときにはあります。つまり病院で手術したことでできたものなのです。

まあ、考えてみれば普通についた傷なら杉元や野間のようにギザギザになるはずで、明らかに人工的にできたものです。尾形の場合は治療のためにメスなどで切られ、直線的で縫い合わせた痕のある傷になったわけです。野戦病院などではなく設備の整った病院で落ち着いて治療をしたお蔭か縫い痕が等間隔で非常にきれい(?)ですね。


何のための手術だったのか?

結論から申しますと、顔を正面から強打した後に下顎の左右の皮膚を切る手術をしたということは恐らく左右同時の下顎の骨折だったと考えられます。

この怪我を負ったのは明治40年ごろと推定されています。そこで当時どのような治療が行われていたかを調べるため、国会図書館のデジタルアーカイブを調べてみました。そこで見つけたのがこちらの本です。

近世歯科全書. 第7巻 東洋歯科医学専門学校出版部 大正9年 出版

(下顎の骨折に該当するのはP.119~127)

これは尾形が怪我をしてから14年後の本です。骨折治療の基本原理は明治時代も今もさほど変わっていないので、14年程度であればその当時の治療の様子が十分わかると思います。実は他にも明治期の口腔外科の書籍や講義録など色々と見つかったのですが、この本は図を多用しており、具体的な治療法を知ることができて一番参考になりました。

因みに下顎の骨折は噛み合わせの事もあるため現代なら主に歯科医師が診ることが多いようです。しかし、明治期ですしその頃の北海道ですし、運び込まれた病院に歯科医師がいなかった可能性も高かったかと思われます。そのため現パロ尾形でおなじみの「地方都市の歯医者(野田先生公式設定)」から治療を受けたかどうかは不明です。


さて、話を戻して治療についてです。あの部分をわざわざ切ったということはあの部分が折れていたということです。したがって骨折の場所はこのあたりだったわけです。担架の上で左右の頬がパンパンに腫れていたのはこのせいだったんですね。

この部分は元々折れる可能性が高い部分の1つで、特に親知らずが骨に埋まっている場合は、そこが折れやすいと書かれています。ピーナツチョコを割る時、ピーナツのある周辺が特に割れやすいですよね?同様に親知らずがある部分は骨が折れやすいようです。そのため現代ではラグビーなどコンタクトスポーツを行う人は骨折防止のため積極的に親知らずを抜いているとのことです。尾形も左右共にその部位がぱっきり折れたということは、完全には生えきってない親知らずが骨の中にあったのかもしれません。かわいい…(個人の感想です)

ところで現在でも事故などで顎が折れる事はそれなりにあるはずですが、あんな傷を見たことはないですよね。それは、現在は顔に傷が残らないように皮膚ではなく口の中から切って治療を行っているからとのこと。尾形が怪我したのが現代なら傷を残さずに治ったし、我々もファンアートなどを描いた後に「ギャー!!キズ書き忘れた~!」ってならずに済んだわけです。リアリティを追求すれば現パロ尾形は傷がないのが正解かもしれませんが「あの傷があってこそ」という気もするので、そのあたりはお好みで。

本の中で、顎の骨が折れた場合は骨を元の位置に戻し、そこで固定して動かさないようにし、骨が自然にくっつくのを待つと書いてあります。これは骨折治療の基本的なやり方で、明治も今も変わりません。骨がくっつくまでに約1ヶ月固定しておく必要があるそうです。ちなみに皮膚の傷は場所によりますが1~2週間で傷がふさがり抜糸する事ができるようです。


ちなみに、もし折れた場所がこの辺りだったなら

こういう器具などを歯にガッチリ嵌(は)めて歯を固定します。歯を固定することで骨も同時に動かなくなるので、それを利用して骨を固定していたようです。口を開け閉めすると骨がずれやすいため、口を開けられないようにする機構がついているものもあるようです。


下の図は、マウスピースに柔らかくした粘土みたいなものを詰めて、歯に押し付けてから固めています。マウスピース型ギプスって感じですね


要するにこんな感じでしょうか?



現在も、使う器具とか素材とかは違うけど、似たような考え方で固定しているようです。

この本の中では、皮膚を切り開いて手術するとばい菌などによる感染が起きる可能性があるから、できるだけ避けて、できたらこのマウスピースみたいなので済ませるように、と書かれています。

尾形の場合は折れたのが歯のある部分の後ろだったため、歯を使って固定することができません。この本によると、そういう場合は仕方ないから皮膚を切り開いて骨を出し、骨に穴を開けて図のように銀線で固定する方法をとるように、と書かれています。


骨が一部無くなってる時などは下記のようなアルミの板状パーツで固定する方法も。

尾形の怪我のサマリー

杉元との初戦で腕を折られた後に崖から落ち、正面から顔(特に下顎)を岩に打ち付け、奥歯の後ろの辺りの骨が折れ、歯で顎骨を固定できず、外から皮膚を切るというそれなりにリスクの高い手術を行い、骨に穴をあけて銀線などで固定する、という処置をしたんですね。


なおこの本には顎の骨の骨折は
「症状は極めて顕著で、痛みが激烈」
「しゃべる、食べる、飲み込むのが困難」
と書いてあります。可哀想…

「ううう 勇作…殿」巻き

また、ちょっと見ていただきたいのは顎を安静にさせるための包帯の巻き方の図です、みなさんこの図に見覚えはありませんか?



そう25巻243話「上等兵たち」の回で、宇佐美がベッドの上に乗り尾形に跨がってギシギシ揺らしていたときの包帯の巻き方と似てますね。

名付けて

「ううう 勇作…殿」巻き

です。

頭を包帯でぐるぐる巻きにされ顎を固定している様子から、まだ顎を動かしてはならない時期のようです(皮膚の傷はもっと早く治っているはず)。それなのに頭をガクガクさせたりして宇佐美くん悪い子です。


また「一番安い駒」発言の時にボソボソしゃべっていたのは、宇佐美が耳を寄せたところをオマルで殴ろうとしていたからだと思っていましたが、顎を動かしづらくて上手くしゃべれなかったという事情があったのかも知れません。

その直後、宇佐美を殴って病院を脱走した尾形。髪はめちゃくちゃのびていますが、包帯などの様子から骨がくっつくかくっつかないかギリギリの時期だったはずです。骨を固定していた銀線を骨が完全にくっついた後に取り除くべきか否かについてこの本には何も書かれていませんが、尾形の場合は骨が完全につくより早い時期に脱走したので、きっとあの傷の下には今でも銀線が残っているんじゃないかと思います。銀線を顎に秘めつつ金塊争奪戦に身を投じる男 尾形百之助…(だから何?)

怪我の状況、骨が折れた場所、手術の痕、包帯の巻き方、しゃべり方、どれも当時の医学で矛盾なく説明がつくというのは本当にすごいですね。

ちなみに北鎮部隊の尾形に手術をしたお医者さんが、かの有名なおまじない「痛いの痛いの屯田兵」と言ってくれたかどうかは定かではありません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?