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人は最後の言葉を求める生き物

トップ画像は、岩手日報さんからお借りしました。

311が過ぎ、10年め最初の日を迎えました。貴方の311は、どんな1日でしたか?宮城のメモリアルパークでは、小さな奇跡が目撃されたようでしたね。

わたしは霊媒師として、震災前から故人の通訳をし、言葉を伝えてきました。だからこそ、誰よりも知っています。

人は、最後の言葉を求める生き物。

でも、岩手日報さんの画像にあるようにわたし達は「終わりの時」を操作することはできません。終わり方を決めているのは、見えない力だからです。わたしが平成小野篁を2年前に名乗ったのは命に期限がついた友人に、その期限の交渉権を得るためでした。昨年5月、彼女は他界。わたしとの約束通り彼女がいう「わたしは幸せ」の言葉を聴いてから篁公は迎えをよこしました。苦しかったし、しんどかったけれど、これでよかったと思っています。平成小野篁を名乗ったことに後悔はない。代わりにわたしは見えない世界の仕事を前より手広くすることになってしまいましたが。審神者として、ね。

9年めの311は、友達と自宅の退去準備をしていました。40冊くらいの本を売ろうと自宅を出て車に乗り込んだとき、14時46分を5分ほど過ぎたことに気づき、慌てて黙祷しました。虹が出たのは、ちょうどそのころ。橋を渡り、いくつかの御霊が空に帰れた気がして、嬉しかったです。

人は最後の言葉を求めて生きる。それが遺されたものを支えていくから。だからこそ先に行くものは残すものに対し、責任を取らなければならない。間違っても、負の遺産など残さないように生きる義務を負う。それを果たしてくれるからこそ先人として敬えるのだと思うのです。ただ長く生きているだけでは、敬えとか年功序列とか言えない。なぜそうなるかに意味があるわけだから。そして、そこで作り上げたものがあるからこそ、最後の言葉を求めるのだと思うのです。

貴方がいま、口にした言葉が誰かにとって最後の言葉になるかもしれない。生きていたら訂正も上書きもできるけど、縁が切れたらそれすらままならない。会えない人は、死んだ人と同じこと。夜桜お七にそんな歌詞があったなあ。だからわたしは、終わりのときには黙ることに決めています。わたしが口をつぐんだときは、終わるとき。最後の言葉になるかもしれない言葉を選んであげることも口にすることも、愛情がなければできないことやから。そんな当たり前のことをしっかり認識しなさい、と、見えない世界に言われるようになった時代、それが令和という時代なのかもしれません。

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日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。