運命からは、何人も逃れられない

龍神靈氣読本は、毎週月曜更新されます。

運命。
そう聴いて、貴方はなにをイメージしますか?
運命を「うんめい」と読むか、「さだめ」と
読むかで、実は作用が違うのです。
ま、これは独自論なので賛否あるとは思いますが。
でも、臨床で5,000人近い人の「運命」に立ち会い
導き出した結論が、それでした。

いまから18年前、靈氣療術家になりました。
さまざまな事情があり、頑なに拒んできた
靈氣師範になったのが2006年、第一号の
生徒は「あなたから離れるために伝授を
ください」と、申されました。
このきっかけが、わたしの「師弟」という
ものの捉え方を決めていきました。
師範となり出続けた現場で、いやというほど
人の邪気を浴びました。
ひどいときには「死人が出る前に伝授を辞めろ」
とさえ、自らの師範に言わせたほどでした。
それでも現場に出続け。
こちらに渡しなさい、と言われた生徒たちを
「どこにも行きたくありません」と懇願され
抱えた末、わたしは「独立」を余儀なく
されました。
そうして抱えてきた生徒たちは、いま誰一人
残ってはいません。
でも、これが「うんめい」のいく先なのです。

「こんな運命、もう要らない!」
東日本大震災で死にかけたとき、わたしは
強くそう決意しました。
10年が過ぎ、悔しさも哀しみも薄れましたが
あの揺れの最中、行くに行けず戻るに戻れず
壁にもたれ神様に命乞いをした瞬間だけは、
いまでも鮮明に思い出せます。
あの日を境に一度は靈氣療術家も靈氣師範も
捨てたわたし。
しかし10年目を前に、今朝こんな言葉が
降りてきました。

「お前は15年前、運命から逃げた」。

この言葉は、映画「GOEMON」の中で
豊臣秀吉が口にする言葉です。
公開は2009年、このときにもこの台詞に
身動きできなくなったことを思い出しました。
1994年、そして、2021年。
二つのリセットポイントを合わせると30年、
それは社会ができるまでと言われた時間。
いま、逃れようとした運命(うんめい)を
受け入れたら、それは「さだめ」に姿を変える。
なにをさだめとして生きるのか、そのためには
1994、2021というふたつの分岐点をしっかり
分析する必要があります。
そこに必要な自分史年表は、自分史講座
作り手元にある、というね笑
過不足がないのが、靈氣なんだな、と
思い知ります。

さだめは、定め。
だから、うんめいとは作用が違う。
運ばれるだけの命から、定まる命へと
姿を変える。
だから、定まりたくない環境からは
抜け出て行かねばならない。

心に嘘をついては行けない。
それがわたしが靈氣から教わったこと。
なんだかずいぶん長いこと、自分の運命を
誰かに決められていたような気がした日。
でも本当は1ミリも納得できないそんな
運命ならば、拒まなきゃいけない。
誰のせいにも、なんのせいにもせず
自分の望む運命をさだめに変えねばならない。

明日、西陣の拝み屋は独立10年目を迎えます。
2004年「恋屋」という屋号でインターンに
出て、すぐとあるネットワーカーとの縁が
元で屋号替えを師範に言い渡され。
その後「幸の森」という名前で営業して
きました。
師範になり「幸せ屋幸の森」へと屋号改称、
所属組織300名弱の師範の中で17名にまで
登りましたが。
振り返ればそれさえも他人が決めた運命。
その証拠にわたしは長く「大したことない人」
といわれ、独立に際しては勝手に引退発表まで
されたくらいでした。
自らの名前さえ名乗れない暮らしをして
きましたが、よく考えればそれこそが一番
臼井甕男氏が望まないこと。

自らの運命に責任を取るためにどう生きるか。
その答えをさだめに変わる前に出すときがきた。
それこそがきっと、靈氣のくれたギフトなのかと。

よく講座でお伝えしますが、靈氣はエネルギー
でしかないので、意思を持つことはありません。
それを動かす人間の「魂の意図」がすべてです。
そう、思考ではなく、魂の意図。
思考はうんめいを、魂はさだめを。
もしかしたら、そんなことかもしれません。

2018年、上洛を機に2011年から使ってきた
「kotono-ha」の屋号を「西陣の拝み屋」に
改称しました。
わたしには珍しい横文字の屋号を渡したのは
誰だったのか。
答えはまだわからないけれど、それじゃない
からたぶん、屋号も靈氣も変わるのだと思う
のです。

拝み屋としての10年がこれから新しく始まる。
そんな予感が、いましています。

日本に数えるほどしかいない故人の通訳。イタコでも口寄せでもなく三者面談風にお筆書きという自動書記を使い故人と遺された人をつなぎ明日を照らす活動をしています。サポートくださると嬉しいです。よろしくお願いいたします。