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リアルな棚の可能性

 池袋のジュンク堂書店と、そこで開催されている選書フェアの話をさせてほしい。

 「自宅から半径5km以内にある場所について書く」というお題をいただいた。地図で半径5kmを確認し、圏内ぎりぎりに池袋駅を見つけ、駅近くのジュンク堂書店を発見し、同店で開催中の選書フェアを思い出す。時間にして5分程度。足を運んだことは一度もないが、休みをとって、ジュンク堂書店に行ってみることにした。単なる思い付きで決めてしまったことだが、何かが気持ち良く決まっていくときは、あまり悩まないことにしている。

 電車を乗り継ぎ、Google Mapを片手に、池袋駅からの不慣れな路地を歩く。目指す書店は、駅からそれほど遠くない。

 少し歩くと、目的地らしい場所に大型書店の「丸善」が見えた。少し動揺する。わたしが目指していたのは同じ大型書店でも「ジュンク堂」なのだ。スマホで検索してみると「丸善ジュンク堂」という名前もヒットした。「ジュンク堂」「丸善」「丸善ジュンク堂」どの名前でもいいのだが、私が行くべき場所は、どこなのか。

 丸善の前で逡巡していると、同じ通りの少し先に、ジュンク堂書店の看板がちらりと見えた。どうやら、池袋の丸善は文具とカフェの店で、ジュンク堂の方が書店のようだ。新しい場所はいつだって、ちょっとしたことで不安になる。

 「大型書店は本を探すのに苦労する『ただ不便』な店になった。化石みたいな商売で、ギリギリの経営をつづけている」

(SankeiBiz:ただ不便”な超大型書店はもう無理なのか ジュンク堂創業者が見据える活路 2017年12月16日)

 大型書店の経営は厳しい。ジュンク堂書店の創業者である工藤氏の言葉は、刺激的だが、的確だ。品揃えの豊富さが大型書店の魅力だが、買いたい本が決まっているなら、Amazonなどのネット通販で買えばいい。そのせいなのかどうなのか、2015年に、ジュンク堂書店は丸善と合併し、丸善ジュンク堂になった。

 「書店には、本との偶然の出会いがある。本を売るだけではない。」

 こんな話も耳にする。けれども、本のおすすめ情報なら、TwitterにもYoutubeにも溢れている。偶然の出会いを求めるなら、書店でなくても、別にいい。書店の棚は「売りたい本」に溢れているようで、自分には少し距離がある。好みの読書家をフォローしていた方が、面白い本に出会えるというのが実感だ。

 ジュンク堂書店の建物に入り、エスカレーターで選書フェアの展開されている6階を目指す。フロアガイドをみると、6階は医療、コンピューターのフロアのようだ。私の行きたい選書フェアは人文系であり、ジャンルとして、かなり遠い気もする。フロアを間違えているのか、そもそも目指すべき「池袋のジュンク堂書店」は、ここでよかったのか、駅の反対側に別店舗の可能性も…などと不安だけがつのっていく。

 頭をぐるぐるさせながら上っていくエスカレーターの先に、目的地の選書フェア「第31代作家書店 與那覇潤書店」のポップが見えた。不安が安堵にかわり、少し疲れは感じるものの、思ったよりは近かったな、と辿り着いた今なら思える。

 與那覇氏は、日本近代史を専門とする元大学准教授の歴史学者である。双極性障害から重度のうつ病を患い、その後、大学を退職された。與那覇氏を初めて知ったのは、病気回復後の一冊目『知性は死なない 平成の鬱をこえて (文藝春秋)』を読んだときだ。病気と離職についての真面目過ぎる語りに好感を持ちつつ、漢字のひらき具合に著者の体調を重ねて、要らぬ心配をしたことを覚えている。

 「作家書店」は、ジュンク堂主催の作家による選書フェアである。第31代目の「與那覇潤書店」では、著者自身の本の他に、「歴史に興味を持つまで」「日本近代の探究」「薄れゆく過去の継承」「大学教員として」「未完の「震災以後」」「病気からのリハビリ」「歴史が終わったあとに」といった與那覇氏の個人史をたどるような7つのセクションで構成されている。前日に視聴した動画では、與那覇氏自身によって、小学生時代の読書歴から最近参照した書籍に至るまで、いくつかのエピソードを添えながら、1つ1つの棚が丁寧に紹介されていた。

 小さなスペースをぐるりと取り囲むように棚が並び、さらにその真ん中にも背の低い棚が配置され、さまざまな本がぎっしり差し込まれている。棚、棚、棚にぐるりと囲まれた作家書店は、選者の個人史に身体ごと潜り込んでしまうような濃密な空間になっている。平積みもいいが、棚差しもいい。本の背表紙を追っていくと、大学で教えていたとき、病気で苦しかったとき、歴史学について悩んだとき、與那覇氏が、その時々で、立ち止まって見ていたものと同じものを見ているような気がした。

 『日本の思想(丸山 真男著 岩波書店)』から横へ数歩いけば『放課後さいころ倶楽部 (中道 裕大著 小学館)』が並んでいる。ジャンルも、出版時期も異なる700冊以上の本が、一人の個人史によってつながって、重なりあって、広がっている。膨大な書籍を、つながりを保ちながら一望させることは、リアルな棚の得意とするところかもしれない。この場所でなら「偶然の出会い」もあるように思えた。

 人に本をすすめることは、とても難しい。自分が面白かった本と、他人が手に取って読みたい本との間には、それなりに距離がある。読んだことのないジャンルをすすめるならば、手に取ってもらうハードルは、さらに高い。

 もしも目の前に本を探している人がいて、新しい本と出会いたいというならば、その人に合う一冊を一緒に選ぶことも出来るだろう。その人の、人となりを知り、今の気分を知り、選んだ理由を添えて、「今のあなたには、この本が合うと思うのだけれど」と、すすめることができるだろう。未知のものに関心を持ってもらうには、ある種の近さが必要だ。

 それが難しいから、書店には、多くの人が求めている(と思われる)「売れている本」が一番良い場所に並んでいる。話は戻るが、それならネットで買えばいい。

 與那覇氏の作家書店には、「今のあなたには、この本が合うと思うのだけれど」と同じくらいの近さがある。選者自身が、「わたしは、こういう人となりで、あの時はこういう気分で、その時に読んで今も心に残っている」そんな本が並んでいる。個人の積み重ねてきた経験を、本という形式で開示し、手に取られるのを、静かにじっと待っている。そんな棚の前でなら、わたしでも、近くに寄って、自身の経験を開き、あるいは自身の関心に重ね合わせ、今の自分にあった、新しい一冊を探し出せる気がするのだ。

 個人史から広がる棚に囲まれる体験を、ぜひ一度味わってみて欲しい。池袋にある大型書店の6階に、ぜひ足を運んでみて欲しい。場所は少し分かりにくいかもしれないが、2000坪の床面積を誇る大型書店の小さな小さな一角に、様々な歴史を携えて、じっと待っている本棚がある。


第31代作家書店 與那覇潤書店
2021年3月6日(土)~約半年間の開催予定(2021年4月8日現在)