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妄想読書会『売る売らないはワタシが決める - 売春肯定宣言』

1. 好きか嫌いか

嫌い嫌いも好きのうち。

たとえば、物凄く感情を揺さぶられることが「不快」な人は、物凄く感情を揺さぶられたときに、その対象を「嫌い」だと思ってしまうかもしれない。もしかしたら、「好き」過ぎて揺さぶられたのかもしれないのに。

好き嫌いは個人の気持ちだ。
寝て起きたら、明日は違う気持ちになっているかもしれない。


2. 売買春を考える出発点

海:海坊主、海の妖怪。最近、鯰坊主が気になっている。
鰆:さわら。そろそろ休暇が欲しい出世魚。
缶:海に浮かぶ孤高のアルミ缶。夏は炭酸を注ぎたい。

妄想読書会#3.001

海:では、妄想読書会、第3回目を始めます(*1)。
今回は、松沢吾一・スタジオポット編集『売る売らないはワタシが決める―売春肯定宣言 』(ポット出版)を選びました。
この本の内容は、タイトル通りです。前半が売買春否定の方々への反論の論稿集、後半が1999年開催の「性風俗と売買春を考える」の座談会の文字起こしで構成されています。
2000年1月出版ですが、とても面白いし、読みやすい本でした。売買春を考える上での出発点として良い本だな、と思いました。


*1 このnoteは、リレーマガジン「Feature FUTURE」に参加しています。


海:後半の座談会を中心で、感想を聞いてみていいですか。

鰆:とても勉強になりました。そして、仕事の思い出が、よみがえりました。

缶:仕事の思い出とは?

鰆:"「体を売る」という言い方にこそ問題がある"という箇所を読んでて、ここでは、売買春と臓器売買がよく比較されるよね、売買春は単なる「サービス業」の一種なのに、なんで一緒にするのかな?という話があって、「体を売る」っていう言葉を使ってるから、売春が「人格も売る」特殊な行為とみなされやすいんじゃないか、という指摘につながるんですが、言葉の大事さというか、繊細さを痛感する話だな、と。
仕事のレポート書いてて、言葉の定義とか揺らぎとかで、上司から、ド詰めにされた記憶がよみがりました。

海:おつかれさまです。

缶:あくまでサービス業の一つ、という前提は重要です。
座談会では、南智子氏の発言が、要所要所で際立っていたと思います。

海:南氏は、セックスワーカーとして、性風俗店の経営者として、そして文筆家として、話題を掘り下げたり、展開したりする起点になっている気がしました。
座談会での、質問者1に対する質疑応答は、特に面白かったですね。


3. 「差別するつもりもないんですけれども、気持ち悪い」

質問者1(女性)...私は売春をする予定が全くないし、今までしたこともありません。その理由は差別されるからではありません。したくないからしないだけなんです。売春をされる方を差別するつもりもないんですけれども、自分が売春をすることを考えるとすごく気持ちが悪いんです。例えば一○○○人男性がいたら、その中で一人ぐらいしかOKの人がいないんです。
(同書 p 291)

缶:これのどこが「質問」なのか、分かりません。

鰆:とはいえ、この「質問」から話を展開していけるのは、複数名で語らう醍醐味でしょ。

海:この質問者に対する登壇者からの回答は、要約すると下記のような感じで、わりと冷たい反応でしたね。
・ 相手を選べる売春もある。相手を選べばいい。
・ 売春も仕事だから我慢も必要だが、質問者には向いていない。
・ 「自分が嫌いな人と性行為ができない」という個人の感想と、売買春の問題とは切り離した方がいい。

「個人の感想」と「社会問題」とを分けて考えるべき、というやり取りの後に、南氏から以下のような、それでも「つながる」可能性の指摘は、読んでいて、問題が手の届くものになったような印象を覚えました。

(中略)あの方の性の個性で、売春がいいとか悪いとか言うべきではないんですが、ただ、差別的な感覚にはひっかかってくるのかもしれないと感じたんですね。(中略)自分ができないような気持ち悪いことをしている人は気持ち悪い人だというふうに感じたり、そんな人は許せない、耐えられないとなってしまって、攻撃をするとか差別をするということにつながる方もあるかもしれないと思いました。
(太字引用者、同書p294)

鰆:「好きか、嫌いか」という感情は割と根深くて、いつの間にか、「ワタシの好き」が、世の中の「当たり前」になって、「社会的にも正しい」と思い込んでしまうことがある。一つ一つ、自問自答するのも、結構しんどい。
ちなみに、「『当たり前』は、理由にならない」って、この前、上司にド詰めにされました。

海:おつかれさまです。

缶:たまに循環参照して、グルグルしている人もいます。
法律で禁止されているから、悪いこと。
悪いことだから、法律で禁止されている。
法律で禁止されているから...

鰆:法律も時代とズレたりするし、法改正もあるわけで、法律しか根拠がない人とは話を続ける自信はないなぁ。


4. 家父長制と「きれいな性」

缶:「貞操」と「売買春」が、家父長制の副産物だって話は面白かったです。

海:座談会で、登壇者の宮台真司氏は、家父長制を『妻や娘を家父長つまり男の所有物であると見なすような感受性や制度の複合体』と定義します。
男女平等をうたって家父長制を批判し、にもかかわらず売買春を否定する人は、「貞操」と「売買春」が、家父長制を補完することから目を逸らし、自ら家父長制を再生産するという自己矛盾を起こしている、という考え方は本書の前提になってますね。

缶:自覚があれば、家父長制バンザイでもいいと思います。無自覚は恥ずかしい。

海:下記のような、松沢吾一氏の指摘する「きれいな性」「はしたない性」もその延長にある話ですよね。きれい/汚い、清らか/はしたない、という軸は、良い/悪いと同じように気をつけた方がいいな、と改めて思いました。

(中略)フェミニストであれば、ここは誰もが賛同するところかと思いますが、家父長制は女の性を強く抑圧してきました。女が性を享受することははしたないことだとされ、そうしたいと思うことさえ意識できないようにされてきたわけです。ここに女性たちがそもそも置かれた位置の歪みがあります。この歪んだ位置からは、さっきも話に出ていたように、男社会が押し付けてきた、女性にとっての「きれいな性」「美しい性」「清らかな性」のみが善とされてしまっています。
この歪みを修正しないまま女性が売買春を見た時に、やはり「はしたない性」「汚い性」「愚かな性」などと思ってしまいがちです。
(太字引用者、同書p328)


5. 「あなたの妻や母親が売春をしてても許せるのか」


海:「あなたの妻や母親が売春をしてても許せるのか」。この質問は、大阪弁護士会と近畿弁護士会の主催のシンポジウムで弁護士から受けた質問として、松沢氏が紹介しています。よくある種類の質問ですが、松沢氏は、とても怒っていて、その理由は以下の3つですかね。
・ 妻や母親の職業は、許したり許さなかったりするものではない
・ 個人の感想と社会的な規制・法律は別もの
・ その質問自体が、性暴力である。 

鰆:たとえば、セクハラ失言系の不祥事で加害者がド詰めにされる時、同じような質問ってされてるじゃない。「あなたの娘や、妻に、同じことされたら、あなたどう思うんですか」ってやつ。わりとありがちな質問だよね。
そういう質問って、回答を求めてるんじゃなくて、謝罪を要求してるんだよね。「なんでそんなことしたの?」って子供に叱るやつと一緒。謝罪以外の反応されると、むしろ怒りが増幅するやつでしょ。

海:個人の感想と社会的な規制・法律は別もの、っていうのは、その通りだと思いますね。

缶:おっしゃる通りですが、一方で、その考え方って、迷惑施設問題につながる危うさもありませんか。「必要性は認めるが、近くにはきて欲しくない」みたいな。

鰆:そうね。法規制をどうするかと、個人の感想は分けて考えた方がいいけど、個人の問題として、家族が売春することについて、一度、考えてみることはあっていい。
まじめな話、娘とか息子が売春するってなったらどう?

海:援助交際的なものは、やめてほしいですかね。フリーの街娼みたいなものだと思うので、未成年でやるのは流石に危ないかな、と思います。なんかトラブルに巻き込まれたら親として悲しい。
仕事なら別にいいです。ただ、身体が資本の仕事って、大変なイメージあるんですよね。スポーツ選手とかと一緒で、「老い」が仕事に大きく影響しそうじゃないですか。身体にガタきたらどうするのかな、とかは心配ですね。
あと、周囲から差別的なまなざしは受けると思うので、ラクな仕事ではないかな、と。暴力を奮ってもいいと勘違いする人もいますし。もちろん暴力は犯罪ですが、暴力を受ける可能性は低い方が良いわけで…

缶:売買春に差別意識はないけど、皆が差別するから、それとは距離おこうみたいな。トイレットペーパーが売り切れた現象と似てます。
自粛生活でトイレットペーパーが不足するとは思わないけど、そう思ってる人たちが買ってしまって品切れするから、自分も買い置きしておこう、みたいな。

海:いずれにせよ、子供の自己決定の問題だと思うので、親としては情報を与えることを意識したいです。
「ダメなものはダメ」という頭ごなしの説教は、自己決定の十分な情報を与えることにはならないですよね。前半の論稿での麻姑仙女氏の記述(鎌田慧氏に対する反論という形式で掲載)には具体的な「情報」が列挙されていて、自分の知識不足がよくわかりました。模範回答がほしいくらいです。

缶:ところで鰆さんは、性風俗のお店とか行くんですか。

鰆:いや、自分は、余暇は、押入れに閉じこもって一人を満喫したいタイプです。

海:それも個性ですよね。

(終わり)