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めでて、バラして、広がって

テレビを観ない

 いつの間にか、テレビを観なくなってしまった。リビングの隅に設置されたテレビは、高い背もたれのある椅子二脚にさえぎられ、今では視界にも入らない。

 観たい番組はそれほどないし、Twitterから流れてくるテレビのスクショは眉をひそめるものばかりだし、テレビ番組は総じて文化的に劣化したような気がしてならない。テキストも動画も、コンテンツはネットに溢れている。テレビは、ダメな「平成」の匂いがする。

日常的な「近さ」

 昭和の住宅を、「愛でてから壊そう」という建築プロジェクトがある。2021年開催予定のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展で行われる日本の展示プロジェクトだ。典型的な昭和店舗住宅の解体から、イタリアへの運搬、組み立て、転用までのすべてを展示と考え、その建築的な価値を再提示しようという試みである。アルミサッシや鋼製のシャッターなど、戦後復興の工業化を来歴に持つたくさんの部材、その一部は3Dスキャンによりデータも残される。

 このプロジェクトを扱った対談「ヴェネチアに「小さなおうち」を届けるプロジェクト(以下、小さなおうちプロジェクト)」のなかで昭和の住宅が問答無用に壊されるのは、大正や明治の家屋とは違って、歴史化されるまえの日常的な「近さ」があるからだ、といった指摘がなされる。たしかに、ありふれてみえるものは、顧みられず、壊されやすい。とはいえ、「小さなおうちプロジェクト」で解体される昭和の個人宅は、戦後復興のジャンクションを体現した増改築プロセスが刻まれ、すでにジャンクなかっこよさが漂っている。私にとって、「昭和」はすでに十分に距離があるのかもしれない。
 「近さ」というなら、「平成」は、「昭和」よりも、もっと「近い」。私とテレビの距離は、たぶん、かなり近い。

忘却したいという気持ち

 たしかに、近過ぎるものは見えにくい。考えてみれば、そもそも私はテレビを観ないのだから、テレビが本当に「総じて劣っている」のか実のところ知らないし、Youtubeが流れ続ける我が家が文化的に優れているわけでもない。なんとなくテレビを「劣っているモノ」と位置付けて、「テレビを観ない私は進歩的だ」と思っていたことに気づく。冒頭、よく知りもせず、生意気なことを言いました。ごめんなさい。

 「古いものは閉鎖的で劣っている、新しいものは開放的で豊かな多様性に満ちている」などといった考えは、古いものの「顔」を見ようとせず、嫌な役割だけを押し付ける自己中心的な考えである、と知識としては知っている。
 でもしかし、日々のなかで「更地にしてしまえ」という気持ちを持ってしまうのだ。

 先の対談でも似たような話があって、テック派とリノベーション派という思想的な対立のなかで、リノベーション派は、テック派の「忘却主義」に違和感を感じるのだそうだ。もちろん昭和の中古住宅をわざわざ解体して海外に運び出そうとする「小さなおうちプロジェクト」はリノベーション派だ。そして、新しいものを取り込むにあたって、過去を、忘却して白紙に戻すのではなく、「愛でて壊す」ことを薦めている。「小さなおうちプロジェクト」では、個人の店舗住宅の解体によって取り出される昭和の部材に、現代の技術も混ぜ込んで、運搬、組み立て、転用という一連の「愛でて壊す」プロセスから、たくさんの昭和の手触りを残そうとしている。
 更地にしたい気持ちを抑えて、私は「テレビ」を愛でて壊すことが出来るだろうか。

「テレビ」の断片

 まずは、我が家のテレビ(機器)を愛でてみたい。解体したり、3Dスキャンで立体データを残したり、などは能力的に無理なので、テレビと向き合い、その来歴、買った頃から現在に至るまでを振り返ってみたい。

 目の前にあるテレビ、これを購入したのは、地上アナログ放送はそろそろ終了します、といったニュースが出始めた頃だと思う。ビデオデッキではなく、HDDレコーダーが標準セットになり、DVDは再生したいがBluerayはちょっと早いかな、くらいの時期だった。
 シャープのテレビ「世界の亀山モデル」がずらっと並んだ店頭で、なんとなく気に入ったパナソニックのテレビを選んだ。すでに10年以上は使っているので、本体の音量ボタンは壊れている。ボタンを押すと、なぜかチャンネルが切り替わる仕様だ。背面の配線には、引っ越しの際に設置しやすいようにと、付箋に1、2、3と番号を書いて各所にセロハンテープで貼り付けている。所々付箋が剥がれているので信頼できる感じがもうしない。HDレコーダーのリモコンは、純正品が壊れ、シンプルな汎用品に買い換えた。ボタンの数が足りないせいで、痒いところに手は届かないが、子供がディズニーアニメを再生する程度であれば今のところ困らない。仕事のモニター代わりに、一度だけ、PCをテレビに繋いでExcelを映してみたことがある。あまりの解像度の低さに引いてしまった。
 次に引っ越すことがあったとしても、新居に持っていくかは微妙な感じだ。たぶん、家電リサイクル法にのっとって引き取ってもらうことになるだろう。少し寂しい気もするが、安らかにリサイクルされて欲しい。
 なんだか生前葬を済ませたような気持ちになった。

 映像を観る機能は、他の新しい機器ですでに事足りているように思う。それ以外の、「テレビ」とのあいだにあった体験も思い出して愛でていきたい。
 子供の頃は、テレビが食卓の中心で、ほぼ付けっぱなしだった気がする。両親が共働きで、母が帰ってくるまでの18時台はずっとアニメを観ていた。食事時は、父の帰りが遅ければそのままアニメを観続けて、父の帰りが早ければNHKの夜の7時のニュースにチャンネルが変わった。半強制的に流れるニュース番組はそれほど興味はもてなかったが、耳には入ってきた。一人暮らしを始めて、自由にテレビが観られるようになると、ニュース番組を観なくなった。ある時、たまたま手に取った新聞に書かれた「IT(インフォメーション・テクノロジー)」の意味が分からず、自分がまったく世間に疎くなってしまったことに軽い衝撃を受けた。今でもその時のことは覚えている。
 一人暮らしは、能動的にならないと情報が入ってこない。家族と過ごせば、母の読んでいる本、父の観ているテレビ、家族との何気ない会話から、半強制的に雑多なものをバラバラのまま受け取っていた。
 中学生の頃、友達が、久米宏の報道番組「ニュースステーション」を観ていると知って、22時の眠たさをこらえて何度か観たこともあった。内容はあまり分からなかったが、報道番組をわざわざ観ることで、ちょっと大人の気分を味わった。深夜番組の巨乳のお姉ちゃんたちからも、大ぴらに出来ない大人の気分をいただいた。
 一家に一台あるテレビは、家の外にある雑多なものに繋がっていて、背伸びをしてみたい年頃に、手っ取り早く大人の気分を味わう装置でもあった。   

 私がテレビのある生活から受け取っていた断片はたくさんある。息をするように当たり前だったこの体験が、今は少し難しい。そっくりそのまま残すことは出来ないし、それがいいとも思えない。断片は、おそらく、そこかしこに散らばっている。愛でてバラした断片を、いまの生活のなかで、子供たちと見つけていきたい。

(*) このnoteは、リレーマガジン「Feature FUTURE」に参加しています。