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妄想読書会 『ねずみさんの失敗』

1. 「失敗」が小さい

「失敗をしたことがあるか」と聞かれれば「ある」と応える。当然である。
では、「人生における最大の失敗は何か」と聞かれると急には出てこない。頑張って探せば出てくるのかもしれないが、死屍累々の失敗は、その大小関係がよく分からない。しかも、どちらかと言えば「恥ずかしい過ち」であって、拳を握りしめて怒りに震えるような「人生における失敗」ではない。

結局のところ、今、自分が、のほほんと過ごしているから、確たる「失敗」を引っ張り出せないのだと思う。今に絶望していれば、その原因となり得る出来事に「人生における失敗」というハンコを押しまくる。今が苦しければ、過去の経験全てが暗く重くのしかかってくる、そんな気がする。

結局のところ、今、自分は、ぼんやりとした「こうあってほしいなぁ」の範疇に入っているのだと思う。なので、過去の「失敗」は経験としての重さしかない。でもこれは、単なる生存者バイアスかもしれない。明日には悲嘆に暮れているかもしれない。真剣に生きていないからだ、と言われれば、そうかもしれない。

そんなことを、ぼんやりと考えている。


2. 「怠けもの」のねずみさん

海:海坊主、海の妖怪。
鰆:さわら、夏でも出世魚。
缶:海に浮かぶ孤高のアルミ缶。夏日で熱々。

妄想読書会#2.001

海:では、妄想読書会、第2回目を始めます(*1)。今回は、図書館がお休みだったので青空文庫から選びました。『ねずみさんの失敗』(*2)というお話です。まずは簡単な感想など、お願いします。

鰆:読みやすかった。1,000文字ちょっとで完結するのがすばらしい。

缶:焼いた油揚げは美味しいのでしょうか。食べたことがありません。

*1 このnoteは、リレーマガジン「Feature FUTURE」に参加しています。
*2 村山籌子『ねずみさんの失敗』青空文庫より 全文はこちら

海:あらすじは、こんな感じです。

<あらすじ>
ねずみさんはとても怠けものです。ねずみさんが歩いていると、チュウチュウさんの家から油揚げを焼いている匂いがします。ねずみさんは、分け前をもらおうと、いったん家に帰り、おかみさんと、一番いい服を着て、チュウチュウさんの家へと急ぎますが、途中、道に迷ってしまいます。大きなおもちゃの熊に道を教えてもらい、チュウチュウさんの家へ辿り着いた時には、すでに油揚げは食べられた後でした。油揚げを食べられなかったねずみさんとおかみさんは、怒って帰りました。

海:著者は最後に「気の毒な話ですね」とまとめていて、肯定するでもなく、否定するでもなく、不思議な読後感でした。
タイトルは「ねずみさんの失敗」ですが、どの辺りが失敗だと思いましたか?

鰆:やっぱり油揚げを食べられなかったことじゃない。もっといえば、道を間違えたこと。

缶:チュウチュウさんに分け前をもらおうとしたこと自体が失敗だったと思います。チュウチュウさんとは何の約束もしていません。道を間違えずに、間に合ったとしても、油揚げは食べさせてもらえないと思います。

海:ネズミさんは、チュウチュウさんの家の油揚げの匂いに気づいた後、おかみさんと一番いい服を着てから訪問しようとしますね。

鰆:そう、正装は、ねずみさんの戦闘服なんだよ。しかも、ねずみさんは頭数を増やすために、おかみさんも連れてきた。もうさ、ねずみさんはやる気満々なんだ。こんな隣人が遊びに来たら玄関先で追い返すのは難しいよ。

缶:なるほど。知能犯です。

海:そうすると、道を間違えなければ油揚げは食べられたのかもしれませんね。

鰆:さっき通ったばかりのチュウチュウさんの家を間違えるなんてね。急ぐあまり、ここぞという時にミスをした。しかも夫婦そろっての痛恨のミスだ。

海:道に迷った際に、おもちゃの熊に出会います。熊は「きつと」「まちがへる」と言ってますね。

二人とも、とてもおとなしく、そして、頭を床にすりつける位低くおぢぎをして、「熊さん、私たち、路に迷つて、大変困つてをりますのですが、チユウチユウさんとこはどつちでございませうか。早く参りませんとあぶらあげの分け前を戴いただかれなくなりますから、早く教へて下さいませんか。」と言ひました。
熊さんはとてもをかしかつたので、フキ出しながら、
お前さんみたいな夫婦はきつと道をまちがへるね。この机の上の穴を通つて、地下室へおいで。そこがチユウチユウさんのとこだ。」
(太字引用者)

鰆:おもちゃの熊が吹き出すほどに焦ってるからね。怖がっていて、それでいて図々しさも隠せていない。平身低頭しながら、「早く教へて下さいませんか」って、かなり混乱してるよ。

缶:ねずみさんの恐怖と焦燥と欲望が入り混じった、お話の見せ場でもあります。


3.「ゴール」の塩梅

海:ゴールが「チュウチュウさんの油揚げを食べる」ことであれば、油揚げを食べられなかったことは「失敗」ですね。
もし、ねずみさんの物語に続きがあったらどうでしょう?たとえば、この後、もっと美味しい油揚げを見つけたとしたら。チュウチュウさんの油揚げを食べられなかったことは「失敗」ともいえない、取るに足らない小さな出来事として収まりませんか?

缶:ゴールポストを動かして良いなら「失敗」はなくなります。

鰆:「ゴール」とか「目標」とか、要は「成功」を定義することなんだ。この定義は時間軸もセット。そうすることで、「成功」と「失敗」の距離が測りやすくなる。距離を測るためにも、ゴールポストは、動かすより、新しいものを立てる方がいい。

缶:距離というのは、たとえば、目標が「今週までに、この本を読む」なら、1週間後に読了できたか、あるいは何ページ未読か、具体的な差分が明かになる、ということですね。

鰆:そう。時間を区切ると「やりたいこと」もはっきりするしさ。ちなみに、小さな成功でも、積み重ねると人は前向きになれるし、実行もしやすい。「今日、この本を開く」「開いたオレ、偉い」「また開く、とても偉い」みたいな。

缶:お題目が大き過ぎると食べられませんからね。


4. 可能性は無限大って何だ?

海:話は少し逸れますが、「ゴール」や「目標」を決めて、それに向かって、時間を区切ったり、選択したりって、なんだか世界が狭くなるような、窮屈になるような気がするんですよ。
でも最近読んだ本(*5)では少し違っていて、こういう考え方はいいなぁ、と思ったんです。ちょっと引用しますね。

*5 宮野真生子・磯野真穂『急に具合が悪くなる』(晶文社) がんを患う哲学者と、臨床現場の調査を積み重ねた人類学者が交わす、20通の往復書簡。名著。

(中略)
けれど、本当は分岐ルートのどれを選ぼうと、示す矢印の先に辿りつくかどうかはわからないのです。なぜなら、それぞれの分岐ルートが一本道であるはずがなく、どの分岐ルートもそこに入ってしまえば、また複数の分岐があるからです。
(中略)
分岐ルートのいずれかを選ぶとは、一本の道を選ぶことではなく、新しく無数に開かれた可能性の全体に入ってゆくことなのです。可能性とは、ルートが分岐しつつ、その行く先がわかった一本道などではなく、つねに、動的に変化してく全体でしかないのではないでしょうか。
『急に具合が悪くなる』1便・拝復

海:曲がりくねっていたとしても、過去の経験は、一本道なわけですけど、目の前の道までもが一本道というわけではない。
そう考えると、自分の経験を「失敗」とみるかどうかは、その時どこにいて、どこに向かっているかで全然変わるような気がするんです。

缶:「失敗」は、その時点の、主観的な位置付けでしかない、と。

鰆:うーん、でもそれ「失敗」と向き合っていない気がする。少なくとも省みることはしようよ。むしろ、この文章からは、どんどん「ゴール」や「目標」を決めて進めばいいんだって、背中を押される気分になるね。何を選んだって、その先には無数の分岐点があるんだからさ。

海:なるほど。たぶん、私は「ゴール」や「目標」を決めることを避けているのかもしれません。あっちやこっちへ適当に歩いていきたいんですよ、私は。

鰆:「あっちやこっちへ適当に歩いていきたい」が目標なんじゃないの。

海:・・・。目からウロコです。

缶:そろそろ、焼いた油揚げが美味しいかどうかについても話したいのですが。

海:お腹が空きましたね。


(終わり)