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本を読む楽しさを取り戻したら

コロナでできないことだらけな上、上司からのストレス発散対象にされている日々

かなり参っているところに、ipadminiの発売情報があって

(こう書くとipadmini買って楽しみを取り戻したと話しになりそうだけど

まだ、今のところは悩み中で、まーおそらく買うと思う(笑))

ipadminiは読書には最適機だなぁと思っていて、ふと、自分の読書スタイルをお風呂中に思い出した。

そして、自分の本の読み方が自分を支えていたことに、お風呂場で気づいて号泣した(笑)

私の本の読み方は、付箋とペンで自分の気に入ったところ、大切と思ったところにバンバン印をつけていくやり方で

しかも、同じ本を何回も読む、自分がこうゆう雰囲気のあの本よみたいなぁとかあの言葉なんだっけというように、時と場合に合わせて。

ざっくりとか雰囲気で記憶してるけど、細かいところは覚えていないので、同じ本を何回でも読むし、読んでるときによってまた、目に入るところが違っていたりするところがあって、いつも新鮮な気分になる

つまり、自分で選択して、自分の意見や大切に思うことを確認して

そして、いろんな本を場面に合わせて読むことで、心をメンテナンスして

ということをやっていたんだと思う。

そもそも、本大好きでどんな本でも節操なく気になったものを読んでいた。

本好きになったきっかけは、

超絶人見知りな私には本は友達みたいな存在で(ボールは友達のキャプテン翼的な(笑))いろんな人や世界を知る楽しみだったこと

父親が本好きで本なら両親ともどんな本も買ってくれていたこと

童話的な本を祖父母が定期購読してくれていたこと

などなど理由はいろいろ。

しかし、就職した後どんどん本から遠ざかって行ってしまった。

理由としては

 就職した先で、仕事の中の意見や自分の話し方などのふるまい、そしてプライベートでの行動までありとあらゆることを監視して、否定する人が上司になり、上司の思い通りでないことは徹底的に否定されたこと 

否定された中のことで、本を読むこと、線を引きながら資料を読んでいたことがあった。

『私はその人のいうこと以外はダメなんだ』と思い込んでしまっていたため、その人の否定することをやるのを避けたり、隠したりするようになっていた。

そのため、昔のような好きで本を読むことから遠ざかっていった。

変な信仰心で自分を殺して生きていたということだろう(笑)

この猛烈な信仰心の理由は、私が2年、希望した専門職への就職ができず、奇跡的に就職できた先であったこと、だからその先で働いている同じ職種の上司を神以上に絶対だ、この人たちのいうこと聞かないとここでは働けないんだ、生活していけないんだと偏った(笑)思い込みをしたのがきっかけだと思う(笑)。

信仰も10年もすれば、現実がわかり(笑)上司たちが矛盾していて自分勝手なことに気づき(笑)、目が覚めてはきたけど、自分の実力や転職への希望も見いだせず、楽しみにしていたことがことごとく、コロナでできないこと、なのに上司からは毎日毎日ありとあらゆる不平不満、否定、承認してくれという欲求をぶつけられ、疲弊してたところだった。

ipadminiの話に戻り、そんな中でもYouTubeを見ることで、日々を支えていた中で、新しいアップルの発表会話があり

ipadminiをすぐ買うだけの予算がないけど、とりあえず、ipadminiで使いたい用途でipadを使ってみて考えようと思っていたところ、

ipad内のノートアプリが、本を読んだメモ書きにちょうどいいのではと思い。それをやってみたところものすごく楽しかったのだ。

(紙のノートで昔は書いてたけど、引用したりしたいけど、手書きでは時間がかかるし、どのノートにどの本の部分を書いていたかわからない、すぐ見れない というので、やめてしまった経緯もあってか。)

iPadだったら、すぐ引用できる、見つけやすい、ペンの色もいろいろすぐ選べる、書く楽しみもある。なんだか、負担が少なくなってかつ、自分の思いを大切にできる(個人的(笑))とものすごく楽しくて、なんだか明るくなれた気がした。単純かしら(笑)

本の中で自分がいいと思ったり大切と思ったところに、線を引いたり、メモしたり、図示して書くことで目で見れるようになり、

より自分の思いを確認して、認めたり、大切にすることになってること。

そして、それがこんなにもうれしくて、楽しいことなんだ

と実感したのだ。

これは昔本を読んでた時には気づかなかったけど。

何年も続けてやっていたことはきっと自分を支えたり、救うためでもあったんだな。

お風呂場で号泣したときはさすがに弱ってるな自分と思ったけど

私の中では大きな転換期になったと思う。

そして、それをこうして、書いていることも昔の私じゃしなかったこと。

誰かに認めてもらわなくても、自分が認めることができる、大切にすれば、それ以上のことはないんだな。

と思ったことだった。

ipadminiについては、そのうち買いそうだけど(笑)

そんな、信仰からの脱却というか(笑)自分自身を取り戻した話。




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