オートクレーブを待ちながら、僕はトイレに引きこもる。

 来週から社会人らしいが、今日の僕は大学の研究室に足を運び、オートクレーブが終わるのを待っている。どうしてこの時期まで大学に来ているのか理由を説明することは簡単で、単純に片付けが終わっていないからである。

 聞きなじみのない人に説明すると、オートクレーブというのはでっかい圧力鍋みたいなもので、「高圧蒸気滅菌器」なる別名のとおり、実験に使う道具、および生物・微生物を培養する培地を滅菌処理するための代物である。それを使わないと培養した物にカビが生えたり、道具が不潔なままになるため、生物系の実験では必須の機械である。
 特に培養実験と遺伝子組換えの実験をやるときは重要だ。遺伝子組換えした生物は生きたまま実験室外に持ち出すことがカルタヘナ法により禁止されており、廃棄する際にきちんと処理をする必要がある。

 僕は学部と修士での3年半、ずっと植物の遺伝子組換え関連の実験をやってきた。そして、植物の遺伝子組換えでは往々にして培養のステップが必要となる。それはつまり、何かとオートクレーブをする必要があるということだった。

 いったい何度、オートクレーブをかけたのだろう。
 毎回思うことといえば、「長い」だった。
 何を滅菌するかによって時間は変わるが、僕の場合ほとんど2時間以上かかる設定でやっていた。そこからまた滅菌したものを冷ましたり、乾燥させるために一晩乾燥機に突っ込んだりするわけである。

 他にやることがあればそれに手を付けるなどしていたが、暇をもてあましたときが多々あった。そういうときは好きなことをやっていた。本を読んだり、ソシャゲしたり、今みたいに何か文章を書いたり(カクヨムで『まいにちリハビリ道場』を投稿していたときは、よくオートクレーブを待つ時間でその日のぶんを書いていた)。
 
 思い返して一番多かった行動は、トイレに引きこもることだった。

 昔から腹を下しやすい体質であることも、もちろん要因のひとつである。「就職祝いだ」と父から腹薬を渡され、素直に「ありがとう」と言うくらいにはトイレが近い人間だ。しかしそれ以上に、人のいる空間に居座ることが苦手であることが一番の理由だった。
 トイレはいい。”個”が確保できる。
 狭い狭い、確実に他人に侵害されない領域だ。
 何も研究室に所属してからの話でなく、思い返せば高校時代も休み時間のほとんどをトイレで過ごしていた。いじめられて教室に居場所がなかったとかではないが、単純に様々な人が好き勝手行動する休み時間の教室より、”個”が確約されるトイレに引きこもるほうが落ち着いた。四隅を壁で囲まれた、教室の喧噪が微かに聞こえてくるあの場所が好きだった。
 その習性を持ったまま僕は大学生となり、やがて研究室に入った。
 一人で作業をするとき、隣で誰かが頑張っていると気が散った。自分の作業を見られているような気がして、それに得も言われぬ不安を覚えた。その度に、僕はトイレに席を外す。トイレで落ち着きを得る。
 オートクレーブをかけて待つ間も同様だった。(急を要さない限り)誰かがいる場所で作業に打ち込む気になれず、とりあえずとばかりにトイレに逃げた。穢れを滅するための機械に仕事を任せ、僕は不潔な聖域へと足を運んだ。良いか悪いかは別として、それが僕という人間だ。僕の心は、トイレに引きこもることで滅菌されるものなのだ。

 これからの人生でも、逃げ場所としてトイレに頼る場面は多いだろう。社会人なので、これまでのように足繁く通って引きこもるわけにはいかないが。何であれ、すぐ近くに心を落ち着けられる場所がある。それは幸せなことなのだと思って生きていたい。

 オートクレーブの様子を見に行く。滅菌が終わり、減圧の途中だ。あと十数分もすれば冷めて、ここの研究室の一員としての最後の作業が終わるだろう。明日からここに来ることはなくなる。後ろ髪を引かれるような思いはなく、今の僕はただ、オートクレーブをかえた実験器具のように、トイレで全て出し切った後のように、ようやくすっきりできるのだなと思うばかりである。

 オートクレーブが終わる。
 その終わりを待ちながら、僕は最後にトイレへ行くことにした。

〈了〉






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?