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【3分記事】漫画の実写化が失敗する理由

こんにちは。漫画「進撃の巨人」の最終巻がついに発売となりました。20代の方々にとっては、青春を共に歩んだ大作フィクションとして、人生最高の思い出として刻まれるのでしょう。30代の私としては、面白い漫画だとは感じつつも、多少は温度感を低めに静観している今日この頃です。

ふと脳裏をよぎったのは映画版「進撃の巨人」2部作でした。ぶっちゃけ私はこの2部作、まあまあ好きです。世間ではかなり評判が悪いですが、それはそれで納得です。

一方、現在公開されている、映画版「るろうに剣心」。こちらはとても評判が良い作品ですね。漫画「るろうに剣心」こそ、我が青春といいますか。アクション、キャラ、展開、すべてが最高すぎて、以降の剣戟アクション系漫画には物足りなさを感じてしまうようになりました。

そんな「るろうに剣心」の実写化は世間的には成功しているという評価が多いようで、私は「TheFinal」まで観ましたが、個人的には退屈に感じている部分が多く、世間の”絶賛する”評判にはついていけないのが本音です。

何となくではありますが、日本で評価されやすい実写作品には、ある傾向がはあるように感じます。そしてその傾向には”ある違和感”を感じます。今回は、実写化に失敗した「進撃の巨人」、成功した「るろうに剣心」、2つの作品を例として挙げ、その違和感を紐解いていきたいと思います。

原作に忠実かどうか?という評価軸

私が違和感を感じているのは、実写作品に対する、世間の評価は「原作に忠実かどうか?」「登場人物の風貌が原作と似ているかどうか?」に偏りすぎていることです。

映画の楽しみ方は個人の自由なのですが、せっかくの映画を「原作に忠実化かどうか?」「再現性が高いかどうか?」という評価軸(だけ)で観てしまっては、ただの間違い探しになっているような気がしてならないのです。もっと純粋にまっさらな気持ちで、ある作品を観に来たというスタンスで観てもよいのかなと思っています。その目線で観ると、映画版「進撃の巨人」も決して悪い作品ではなく、何が起こるか分からない緊張感を抱く私たちと、壁の向こうの未知への興味を持つ主人公たちの心情が重なりあい、オチのぶっ飛び加減も含めて、割と楽しめる作品です。とくに完結編の問題のシーンも「おお、結構フルスイングしてきたな(空振りしている気もするが)」という、謎の気持ち良さはありました。

つまり「原作に忠実かどうか?」この色眼鏡を外して作品を観ることは、映画を幅広く楽しめる視点を持つことに繋がると思っています。ただ、ここで言いたいのは、決して「原作に忠実かどうか?」の目線で観るな!ということではなく。その映画が面白くない理由を「原作に忠実ではない」「あのシーンがない」「○○キャラクターが出てこない」にすり替えてはいけないということです。

面白くないと感じた映画は面白くない、それ以上でもそれ以下でもありません。演出不足、予算不足、演者の技術不足、いくつかの要因がありますが、それは原作があろうとなかろうと、原作に忠実であろうとなかろうと、関係ありません。誰しもから平等に1900円を徴収する映画である以上、ストーリーの展開や会話の文脈を、原作を知っていないと得られない知識で補完する前提で作られている映画は、基本的にはよろしくないと思っています。映画は、映画内の出来事だけで、ある程度は成立させておくべきです。

その良例として、アメコミが原作であるMCUを挙げさせて下さい。

MCUは原作に忠実か?

世界的なヒットとなっている、マーベルシネマティックユニバース(以下:MCU)。私も全作品を視聴済みですが、全作品漏れなく面白く、ディズニープラスでの連続ドラマも全て視聴中です。MCUの作品は、原作であるマーベルコミックスのシナリオに忠実ではありません。キャラクターの性格や設定をある程度は継承しつつも、現代向けに新たな解釈で作り直されています。つまり面白い映画は「原作に忠実であるかどうか」とは無関係なのです。

”実写化”というワードが良くないのかもしれない

もしかしたら実写化というワードが良くないかもしれません。実写化という言葉で、消費者の潜在意識に、2次元がそのまま3次元に変換されて提供されるという考えが刷り込まれます。単純に”映画化”で良いのかもしれません、もしくは原作○○と記すだけで、タイトルを変えてしまうとか。

その場合、どうしても消費者への訴求力が弱くなるので、メディアの発信方法や、マーケティングの方法を変えなければなりません。

映画には「いままでこんな作風をみなかった層に、こんな作風をみせる」効果もあるので(例:「JOKER」はアメコミ映画の皮を被った社会風刺映画だった)、「あの人気漫画が実写化!」というコピーで消費者を誘惑して、革新的なメッセージを届けるのも有効な手法です。ただ、消費者側(少なくとも国内の)に、そのメッセージを受け取る姿勢が身についていない現状は、危険なやり方です。(映画「ドラゴンクエスト ユアストーリー」のような悲劇は幾度となく繰り返されてきています。個人的には最高だった)

さいごに

いま日本の実写映画は、世界で競争する力を失っています。アニメ、漫画、ゲーム、今もなお世界的にも影響を与えている国内コンテンツが、実写映画になると途端に世界に対する攻撃力を失うのは、何か原因があるとしか思えません。

現在のように、実写化を担当する脚本家や監督が、出演俳優のファンや原作ファンの顔色を伺いながら作品を作っていても、日本からアベンジャーズは生まれません。それは消費者側が「原作に忠実かどうか」を捨てない限り、いつまでも繰り返されます。具体的には、私たち消費者は、映画「ドラゴンクエスト ユアストーリー」を”野心的な映画”だと受け入れるところから、始めなければならないのかもしれません。長い道のりである気がします。


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