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Hスーンズ『ブコウスキー伝』を読んで

(図書館の、なんと開架コーナーにあった)ハワード・スーンズの『ブコウスキー伝』(2000、河出書房新書)を読んだ。

ブコウスキー個人のことはなんとなく知ってはいたけれど、読む前と後ではまったく印象が変わってしまった。

本書で「フランケンシュタイン」とまで表されるルックス。酷い瘢痕に大きな頭、だらしのない体。
この見た目と、父から虐待されていても母が守ってくれなかったという記憶がブコウスキーの女性や人間関係全般に強い影響を与えることになる。

それが恋愛関係であれビジネス関係であれ、しばしばブコウスキーは手のひらを返したように親しくしていた相手にひどい態度をとってしまう。

知人はこう語る。

「(ブコウスキーは)友愛を求め、友だちになりたがり、自分の心を開き、愛を分かち合おうとする気持ちが激しくあったものの、過去にその喜びを求めてあまりに何度も傷ついたため、もはやそうすることができなくなってしまっていた」(p153、154)

これを読んで思い出したのは、ある種の恐怖症を抱えた人は、わざとその恐怖を起こすようなことをするという話だ。
例えばガラスが割れてしまうのではないか、という恐怖を抱えるあまりに、自分の手でガラスを割ってしまう。そうすれば自分の意図しないタイミングでガラスが割れるのではないかという不安から逃れることができるからだ。

長く人から肯定的に受けとめてもらうことのなかったブコウスキーは、好きだとか楽しいとかいった感情の扱いも、安定した関係を築く方法もよく分からなかったようだ。

初の自伝的小説『郵便局』で、主人公のハンクは次々と自分から去っていく女性たちをあっさりと手放す。決して執着しない。
これもまた、追い縋ってまた捨てられるなんて苦しすぎるからなのだろう。あるいは、女になぞ依存するかといったプライドだ。あるいは、元からこんな女に縋るほどの価値はないから、別れたところで大したダメージはないのだという自己暗示だ。

同じように『郵便局』では、辛い労働シーンとユーモアに溢れた楽しげなシーンが淡々したトーンで語られる。
そのバランスが絶妙で読み進めてしまうのだが、これもまた、面白いとか好きだとかいう感情をありのままに捉えられなかったからなのかもしれない。良いことが起きるたびに喜んでいたら、それを失ったときにダメージが大きいから。


作風からしてあけすけでなんでもアリなオッサンなのかと思っていたら、その実、素直な性格とはとても言えない、ものすごくセンシティブで常にもがいている人だった。
けれど世間は前者のブコウスキーを求めるし、それで食っているので、そこから抜け出せないというのがさらに彼を追い詰めたのだろうと思うとなんだか可哀想になる。


彼の伝記的小説とは違う話が多く、それはそれで「なぜこれは書かなかったのか」「なぜこれは書いたのか」という視点からも興味深いが、どこからどこまでが真実であれフィクションであれ、しっかり読み進めさせられてしまう自伝的小説をいくつも書いてしまうのだからすごい。
何度人間関係をぶち壊しても、次から次へとブコウスキーを賞賛し応援する人間が現れたのは、やはり確かに彼の作品にも、彼自身にもそれだけの魅力があったのだ。

だからこそこんな熱意のこもった伝記が書かれ、日本でも出版されるのだろう。

ブコウスキーのことを深く深く深く知れる一冊。

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