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『違う冬のぼくら』で友情が育まれたりギスったりした話

きみとぼくの見ている世界は、ほんとうに同じだろうか。
認知の常識を問い直す、2人専用パズルアドベンチャーゲーム

『違う冬のぼくら』は2人プレイ専用のパズルアドべンチャーゲームです。プレイヤーはそれぞれ家出をした二人の少年となり、協力して壁を乗り越え、「どこか遠く」を目指します。旅を通して友達と一緒に、あの日の友情を取り戻しに行きましょう。

My Nintendo Store『違う冬のぼくら』ゲーム紹介文より


茹だるような夏の暑さがあまりにも引かなかった頃、『違う冬のぼくら』をプレイしました。
2人協力ゲーということと、タイトルロゴがかわいいことしか前情報が無い状態で始めたけど、いやあ、良かった。
めちゃくちゃ月並みな言い方だけど、良いゲームだった。
2Dドットの横スクロールアクションっていいな…。
感想が溢れて止まらないのに、一緒に遊んだ友人以外にプレイした人が周りにおらず話せないので壁打ちです。
ちなみに。
他所様の記事とは違って解説でも、考察でも、プレイ日記でもありません。
ただの自己整理のための徒然日記なのでご容赦を。

『違う冬のぼくら』のネタバレをバチバチにしていくので、今後プレイする可能性が少しでもある人はここで引き返すのを勧めます。
ぶっちゃけ公式の画像とかトレーラーすら見ないでやった方が面白いくらいある。
他記事とかレビューとかもそうだけど、この先を読んだらもうこのゲームは出来ないと思ってもらっても結構。
アニメも映画もネタバレ読んでから観るタイプのネタバレ推奨派の私が言うんだ。そういうことです。




絶対にゲームはやらん!っていう人向けに概要をざっくりと。
電車に揺られながら男が過去を回想している。
家庭環境にそれぞれ少し悩みがある少年2人が、町のシンボルの石像を壊すために家出するというストーリーが始まる。
山の頂上にある石像を目指してギミックを解きながら進む2人だが、道中で鹿の死体を見つける。
そこで彼らは気を失ってしまい、目が覚めた時には見える世界が変わってしまっていた。
途中で化け物に追われて、来た道を戻ることも出来ないため先に進んでいくが、彼らの会話に不自然なすれ違いが生まれ始めていく。
というのも、1人は人の頭がニコニコした顔の動物に見えて、1人にはロボットのように見えているし、見える景色も異なっているようだ。
地面に空いた穴の上を歩いて行ったり、何もない空間を上って行ったりする相方…なにこれ??何かおかしくね??
ゲーム的に言えば、プレイヤーごとに見えているステージの形が違う状態になっている。
先に進むほどギミックが難しくなっていき、果てには片方が目隠しプレイになったりするのを片方が会話で誘導していく。
そんなこんなで自分たちの謎を解き明かすという目的も加えて、少年たちの家出旅を見守っていくというお話です。

ゲーム面での話をしていきましょう。
最初のプレイは”機械”視点の子(青コートくん)で始めたけれど、これ本当にこっち側で良かった…。
わたくし、ゼルダシリーズの序盤敗北勢故にパズルアクションが苦手である自負がございます。
動物視点は分裂したり相方の頭投げたり、割とキャラコンを必要とするステージが多い気がする。
そんなんで初回プレイ始めてたら、マジモンのリアル友情破壊があったかもしれない。
相方の中身がゼルダ好きで助かった…。
後半になるほどパズル・謎解き要素が多くなっていくのがとても楽しかったなあ。
ストーリーが真相に迫っていくことで少しずつ見える世界も重たさ?というかグロさ?がちょい増しになるんだけど、直接的な言い方すると、それどころじゃねえ!ってくらい後半は難しかった印象。
そして前情報が無い状態、なんなら公式紹介文に書いてあるのに視点が変わることすら知らなかった私たちは、進んだ先で起こる事すべてがよくわからなくて、面白くて、興奮状態でプレイしているのだから口頭説明がしっちゃかめっちゃかになるのは当たり前で。
それをお互い汲み取りながらじっくりじっくりと、でも飽きることなくできるようなゲームだったと思う。

シナリオ中で何度か選択肢が提示される。
それは2人で1つの答えを選ばなくてはいけなくて、かと言ってクイズのように〇×が明確にあるような問題ではない。
例えば、道中で出会う夫婦とのシーン。
家出した息子を探しに山へ来た夫婦が激しく言い合いを始めてしまい、宥めるために少年各々がそれぞれと話すことになる。
そこでの会話を経て、「もし君たちの両親が離婚したら君はどちらの親についていくか?」と問いかけられる。
…どっちでもいいよ!!!しらね~!!!
個人的にはそう思うんだよなあ。
でも私は今10歳くらいの少年で、家族というものに思うところがある。
そもそも、この答えって環境や考え方によって違うんだから2人で一致させる必要ってあるのか?
そうは思いながらも選ばなきゃならないもんは選ばなきゃならない。
余談というか個人的解釈だけど、この選択肢って”お母さん”の方を選びがちな気がする。
血の繋がらない父親とちょっとヒス気味の母親。
青コートくんは母親側と話をするが、何だかんだ子供を大切に思っていることを語られる。
父というものを知らない子であるし、同じような境遇の姿も知らない子に自分を重ねてしまって、私は最初から”お母さん”を選ぶつもりだった。
それぞれの会話パートは通話ミュート指示が出るため、お互いのリアクションがわからない状態で合流したところで、先程の問いが出される。
一瞬の無言。
2人ほぼ同時に言葉にしたのは「”お母さん”…かなぁ」だった。
赤マフラーくんも彼は町長の息子という裕福な生まれであるし、冒頭で母親の優しさについて語っていた気がする。
そして、プレイヤーである私たち2人は大変ありがたいことに家族環境は恵まれている。
全く他意は無いことを踏まえていただきたいが、血の繋がりというものに重きを置きがちだ。
血アンチの人はごめんな。
まあ、つまり赤マフラーくん視点でも割と”お母さん”派が優勢だと思う。
何度でも言うが、私は”どっちでもいい”と思っている。
マジョリティど真ん中の私が、少年たちの人生を垣間見た上で「そう感じるだろうな」の話だ。

閑話休題。

このような選択肢の選ばせ方にTRPGやマダミスを感じるなあ、と思っていたら作者様が言ってましたわ。
ゲーム内で出てくる選択肢って、エンディングにはほとんど影響しない。
更に言えば、自分の人生とはなーんにも関係しない。
シナリオ読まずにすっ飛ばしていっても、このゲームは十分面白いと思う。
けれど『違う冬のぼくら』って、こういう"思考し、選択する"ところに人気の要因があるんじゃないかな。
一種のロールプレイである。
そのため、プレイ後に真っ先に浮かんだ感想が、「これ、TRPGに興味ある初心者にやらせたらおもろいやろなぁ」だ。
それこそ、ゲーム中2個目の選択肢は「おじいさんを見捨てるか、助ける(修理する)か」だが、ここは明確に意見が割れるだろう。
機械視点では無機物的に世界が見え続けるが故に、人間への感覚が鈍くなっておじいさんの真意に納得しやすくなっている。
動物視点では事件そのものが目の前で起きる。
ポップな見た目だからこそ、被害者がウサギだからこそ、わかりやすくおじいさんは悪者だ。
そして選択によってエンディングが変わるかもしれない、と初見時は思っている。
ここ、まじで最高。
選択肢が出た時の「いやぁ、これはどうしたもんかな…」っていう緊張感のある空気がたまんねえよ!!
自分にしか見えていないものをどれだけ伝えられるか。
操作キャラの人生として鑑みた選択が取れるかどうか。
異なる主張になった時にどういう決定をするか。
これこそTRPGの楽しいところであり、難しいところではある。
TRPGとかのトークゲームって、肌に合うかどうか確かめるにはちょいハードル高いんだよね。
時間も人も知識も必要だし、始めちゃったら最後まで辞められないしね。
なので、この”思考し、選択する”ことに面白さを見出せる人は、より『違う冬のぼくら』に没頭できるかもしれない。
そうしたら、いつかトークゲームにも挑戦してもいいかもしれない。
どこかでTRPGとかマダミスとか人狼の話が出来たらおもろいやろな。

記事タイトルにしたにはしたけれど、実際にギスったかというと全くギスってない。
幸か不幸か、私たちはなんの不和もなくクリアしたってだけの話だ。
…これ、一度でもどったんばったん大騒ぎでバチボコに喧嘩したらめちゃくちゃに面白かったけどね。
作者様が「このゲームを通して、基本仲が悪くなってほしいと思っている」と仰っていましたけど、
(yahooのインタビュー記事を読んだんだけど気づいたら消えてた…ソース貼れねえです)
そういう作りになっているんだから、それはそうって感じ。
見える世界や価値観ってものが全く違う相方の言うことは大半が常識外の”未知”である。
そんでもって、大人になればなるほど”未知”なものは怖いものに聞こえる。
意味の分からんこと言う友人ってめちゃくちゃに怖くない?
とんでもなく”良い”大人の方は、自分目線で危険な行動をしそうな相方を「危ないよ~!やめなやめな~!!」となるだろうし、「そんなの常識的に良くないよ!!」みたいなことを言いたくなるんじゃないかな、と思う。
そんな未知への恐怖というものは、子供の頃は好奇心だったはずで。
「何それ教えて教えて!」っていうマインドがあった気がする。わからんけど。
どう楽しんでも面白いゲームだろうけれど、その先で相手への理解があってこそ更に心動かされる作品になるのではないか。
つまり『違う冬のぼくら』を最大限に良い作品に押し上げるのは、自分でしかない。
理解への過程に喧嘩や不和があってもいいよね、ってことだと解釈しております。
ちょっとトークゲームの話に戻るけど、どのゲームでもギスギスする瞬間って大抵あるよね~あるある~。
そうじゃない時ももちろんあるけど、PL同士が疑心暗鬼になりまくった後にシナリオクリアしたセッションが最高に痺れたわね。
まあ、要するにこのゲームをプレイして得られるものって「何だかんだあったけどいい思い出になったね」という、友人との思いの共有だと思う。
お揃いの体験。エモい。
いやあ~最近まじでこういうエモいものに出会った時、頭搔きむしりたくなるくらい心動くわ。
景色の色合いとかBGMとかもめちゃくちゃ良い…。
個人的には、動物視点のBGMが好き。
かわいい見た目でちょいグロな世界観もいいよね…子供の自己防衛を思わせるというかなんというか。
キャラのバックボーン妄想をしてしまうのはオタクの性。
本当に良い作品に出会えました。
『違う冬のぼくら』はいいぞ。


”思考し、選択する”こと、”知る”ことについてはかなり回りくどい見方・書き方をしている自覚がある。
ぶっちゃけこんなもん一言にしたら、前の記事から引用すれば「子供の好奇心」です。
こう考えている自分ってなんだろ?この自分に近い言葉はなんだろ?なぜなに?を見つけるために文章を書くものだから、こんな混沌とした感じになるんじゃないかな。知らんけど。
こちらもよろしくお願いいたします。
まだまだ続く過剰報道です。


ちなみに、私たちのゲーム中の会話が
「おいてめえこら穴落ちてんじゃねえぞ!」
「おぉい面倒くせえよ!ふざけんなぼけかす!」
くらいの言葉が並ぶものであっても、ギスってないです。
いつもより和やかまであるから。
友達ってサイコーだな。

面白かったよ!っていう日記でした。