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どこかで、聞いたような話⑦

保育園の入り口が今日も混み合っている。

私は人気者には腰が引けてしまうタイプだ。流行りに乗れないタイプとでも言おうか。例えばパリのルーブル美術館に行った時も、人混みをかき分けてモナリザを見るのではなく、モナリザの前にできた人だかりを写真に収めるような、そんな天邪鬼な人間だ。

だからママさんから絶大な人気を誇るグク先生も、確かに私に対して特別にしてくれて有難いし目の保養になるし癒されるのではあるが、彼を取り巻く人混みには加わりたくないのである。ただ、今思えば、この私の態度が若いグク先生を刺激したのかもしれない。

さっさと帰ろうとするとグク先生に呼び止められた。

「シュウくんのお母さん!日曜の運動会でお父さん参加の競技があるんですけど、僕がシュウくんのお父さんってことで出ようと思ってます!いいですか?」

「はっ。そう...なんですね。あの、実は、日曜はお父さん代わりの人を連れて行こうと思ってたので、多分大丈夫です。お気遣い、どうもありがとうございます」

「あー、そうなんですね。親戚の方とかですか?」

「んー、ちょっと、知人です」

運動会にはシュウとふたりで参加するつもりだったが、土壇場でジミン君がお父さん役を買って出た。ミン部長も来るかもしれないので躊躇したが、シュウが絶対にジミン君と行きたいと泣いて駄々をこねたのだ。

グク先生の反応を見て、私は少し、当日の嵐を予感した。

待ち合わせ場所で合流した後、ジミン君はシュウを肩車して運動会会場に入った。シュウに父親がいないことを知っている人達から彼に視線が集まっているのを見て、「ああ、失敗した」と思った。遠くにグク先生が見える。ジミン君の方を見ている。結構怖い顔で...え?でもどうして?

運動会でジミン君は、目立っていた。部外者でありながら、すぐにこのイベントにおけるスター的存在に躍り出ていた。

「誰ですかぁ、あの方は」

背後から突然ミン部長の声。説明が大変だった。頭のいいミン部長だから、しどろもどろになっている私を見て大体は理解してくれただろう。

なんとなく気疲れした私は何故か、スマホでSNSを開いた。そしてそれは大きな間違いだった。

別れた夫が昨晩、別の子のパパになった、らしい。

アイツはシュウが1歳になる前に浮気した。周りからの反対もあり、本人も反省したというのでその時は一応、許した。でも、アイツは全く反省なんてしていなかった。私たちの離婚の原因は、相手に子供が出来たから、という、最悪の報告によるものだった。私は自分が騙されていたことよりも、可愛い我が子が捨てられたことに憤った。だから、今、産まれたての赤子の写真を見て、私は身体中の力が抜けたような感覚を覚えた。

運動会を楽しそうに過ごす家族がとても遠くに見える。みんなを残し私ひとりだけ遠くに連れていかれたような気分。音楽も笑い声もうるさい雑音にしか聞こえない。ああ、もう正気ではいられない。

「これより、お父さんによる障害物競争を始めます。参加されるお父さんは前に集まってください」

ジミン君が集合場所からこちらに手を振っている。でも今の私は手を振り返す気力がない。

6、7人ずつ、発砲音で次々とスタートする。ぐるぐるバット、網くぐり、飴玉探し、パン食い、ピンポン玉運び...趣向を凝らされた様々な障害物にお父さんが苦労する姿に会場は盛り上がっている。半ばを過ぎたあたりでシュウが叫んだ。

「あっ!ジミンせんせいとグクせんせい!いっしょにはしるよ!」

え?ボヤけた視界に男性が6人ほど。パーン!という音でスタートを切った中に、このレースの1位に異常に執着しているふたりがいた。ぐるぐるバットで目が回ったように少しふざけて走るジミン君をグク先生が全速力で追い抜き網の中へ。それに気づいたジミン君も網へ入り、するすると先に脱出。小麦粉で鼻から下を真っ白にしながらグク先生が先に飴をゲット。それを追うジミン君。パン食いの紐が高くて苦労するジミン君に対し、先にパンを咥えた背の高いグク先生が挑発。スプーンにピンポン玉を乗っけて走るグク先生のTシャツを、追いかけるジミン君が引っ張りピンポン玉が落ちる。笑うジミン君に足を引っ掛けるグク先生...始めは大笑いしていた観衆も今や何事かと静まり返っている。ふたりはいつのまにか、グラウンドで取っ組み合いになっていた。

「こーらーっっっ!ふたりとも!やめなさーーーいっっ!!」

子供を叱る時と同じ感じで、私は怒鳴った。我に返ったふたりは相手の服を掴んでいた手を離す。ふたりとも顔に小麦粉、体に土、という無残な姿だ。

「だーめなんだ、だめなんだー。ふたりともせんせいのくせに、だーめなんだー」

シュウの言葉で私は吹き出してしまった。お腹を抱えて笑った。すっかりしおれてしまったふたりの姿と、今この状況が可笑しくてたまらなかった。さっきまでの落胆をすっかり忘れるほど。

ふたりが顔を洗いに行っている間、ミン部長にまた声をかけられた。

「魅力的な女性は大変ですねぇ」

「いや、そんな」

「いや、村崎さんはね、自分が思ってる以上に魅力的ですよ。ただ、もう少し大人の男を選んだ方がいい」

照れ隠しなのか時折ニヤッと笑いながら話すミン部長にそう言われて、私は立ち直る元気の源が心の何処かからか湧き上がるのを感じた。すなわち、自分への自信、だ。

(続く)

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