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私の好きな人 11

コツコツコツと自分の立てるヒールの音がやけに耳に響く。アポが長引いた上に帰りの電車が人身事故で止まり、今やっと駅に着いて早足でいつもの居酒屋に向かっている。年末の恒例行事、営業メンバーだけで開く「お疲れ様会」に大幅に遅刻していた。ソクジンから先に始めるぞとメールを貰ったのがもう1時間以上前だから今頃はみんないい感じで酒に酔い始めた頃だろう。ふと、酒癖の悪い吉田さんがホソクさんに根掘り葉掘り質問する姿が思い浮かぶ。恥ずかしそうに答えるホソクさんの姿や「よっ!部長!さすがっ!」とオヤジみたいに囃すソクジンの姿も思い浮かんだ。ざわつく気持ちのままに自然と早足になるが、時折、自分が失恋したことを思い出しては前進する気力を失う。ホソクさんは本当にいなくなってしまうのだろうか。私はそれを、知りたいのだろうか。

・・・

「おっ!森山さんっ!おつかれっ!」

私に最初に気づいたのは一番奥の席に座る吉田さんだった。案の定、隣にホソクさんを座らせ酒もだいぶ進んでいるようだ。

「いやー、待ってた!森山さんがいないと華がないし寂しいし!」

スーツ姿の男たちを眺めたら、紅一点である自分が加わることでこの会が少しはマシになるような、そんな気もした。吉田さんは自分の向かい側に座れと私を呼ぶ。ホソクさんの近くに座るのは気が引けたが、あのことを聞きたい気持ちもあり促されるままに奥の席へ入る。ホソクさんは私にしか聞こえないくらいの声で「おつかれ」と少し疲れたような笑顔を向けた。吉田さんは私が座るのを確認すると、私に話題を振るでもなくホソクさんの方に向き直り話を続けた。

「で、さっきの話ですけどね、部長、僕はね、単身赴任したことあるからよーくわかるんですよ。寂しいんですよ、単身は。これホントよ。だからね、部長にはね、どこに行くにしてもひとりでは行ってもらいたくない!」

吉田さんの語る言葉でホソクさんがシンガポールに行くという噂が本当だったと悟る。私は一人落ち込んだ気持ちになって、グクくんが持ってきたビールを水を飲むようにゴクゴク飲んだ。

「だからね、今からでも遅くない!この時代いい道具っていうのかな?ツールって言った方がいいのかな?ね?色々あるんでしょ?男女が出会うための、ね!でしょ?ジンも使ってるんでしょ?」

突然話題を振られたソクジンが吉田さんのオヤジ的ノリに合わせて答える。

「やー、なんで俺なんですかー!いや確かにそういうものはありますよ。でもね、僕にはそういうの必要ないし、多分部長もいらない人です」
「あ、そーおー?まぁ、おふたりともカッコいいからねぇ。黙ってても女が寄ってくるもんね。いいなぁ。でもね、僕はね、独身なら絶対に使いますよ、おふたりとは違うから」
「今からでも使ってみたらいいじゃないですか」
「こらっ!ジン!僕は愛妻家なんだよっ」

女性の私が目の前にいても会話の内容を変えようとしない男たちに呆れつつ、私は残りのビールも全部胃に流し込んだ。

「部長。ね、一人で、しかもそれが海外なんてことになったらね、考えただけで寂しいでしょ?」
「ははは、確かにそうですね」
「僕はね、まさか部長にね、そういう人がいないなんて思いもしなかったから、一肌脱ぎたいっていうのかな、部長のために探したい!素敵な人!今ならまだ間に合いますから!」
「まあまあ。気持ちだけありがたく…」
「遠慮はしないでくださいよ。どんな人がいいんですかっ?美人系?それとも可愛い系?」
「いやぁもう、困ったなぁ」
「あ!そうか!部長はカッコいい系が好きなのかっ。はぁー、それはちょっと僕わからないなぁ。僕はほら、森山さんみたいな可愛い系が好きな男ですからね、可愛い系なら僕も探すの楽しいんだけど。ね、部長、どうですか?」
「じゃあそれでお願いします」
「おっ!やっぱり部長も可愛い系!はいっ!じゃあ取り敢えずそういう出会いのアプリをダウンロードしてください!ジン!部長のスマホにアプリ入れてあげて!」
「だから僕知らないって、さっきから言ってるでしょうに!」

私の存在も忘れてそんな話で盛り上がる目の前の男たちにも、私の好意に全然気付いてくれないホソクさんに恋人がいなかったという新事実にも無性に腹が立ってくる。気の利くグクくんが持ってきた二杯目のビールをまたグイグイ飲んで、私はその勢いのままにその下世話な会話に加わった。

「新規より既存じゃないんですか」
「ん?」

吉田さんもホソクさんも、少し離れたソクジンも、私の突然の参加に目を点にしている。

「いつも部長仰ってるじゃないですか。困った時は新規開拓するより既存からオポチュニティー探せって。そんな訳の分からないアプリで新規探す暇あったら、身の回りにあるオポチュニティーに目を向けて、そっちを洗い出して探した方が効率いいんじゃないですかっ」

そうまくし立ててビールを流し込む私にソクジンは「お前、何の話してんの」と笑った。吉田さんは「えーっと既存…どういうことだ?」と不思議顔になっている。酔った勢いでもっと色々言ってやろうかとも思ったが、目の前にいるホソクさんは何か言いたげに私をじーっと見つめていた。その視線に負けた私は「すみません吉田さん、どうぞ続けてください」と言ってグクくんの近くに逃げた。

・・・

お疲れ様会も終わる雰囲気になりトイレに向かうとソクジンに鉢合わせた。

「やー、お前、大丈夫か?」
「なにが」
「新規と既存って、なんだあれ」
「あぁ…まぁ、吉田さんも酔ってたし、いいんだ、どうせお別れだし」
「お別れって?」
「部長、シンガポールに行っちゃうんでしょ?」

ソクジンは一瞬目を丸くした後、イジワルっぽく笑った。

「森山ぁ…シンガポールの話は流れたんだよぉー」
「えっ…?でも、単身赴任の話してたじゃん」
「あれはいつかそんなことになったら、って話だろ?お前さぁ、話ちゃんと聞いてからあーゆーこと言った方がいいよ」
「やば…」
「ヒャッヒャッ。部長に意味、通じたかな」

ソクジンは全部お見通しみたいな顔でニヤニヤ笑い私の肩に手を置いた。自分の失言の重みで肩はさらに沈む。ふらふらとトイレに入り化粧直ししながら全部お酒のせいにしてしまおうと、早く家に帰ってしまおうと心に決める。トイレから出ると同僚たちはもう店を出始めていて、私は急いでコートとバッグを取りに個室へ戻った。

「あっ…」

飲み終わったグラスや中身の残った鍋や皿で雑然としたテーブルに、だいぶ薄まった烏龍茶を飲むホソクさんが一人座っていて、まるで待っていたように視線をこちらに寄越した。

「森山さん。ちょっとだけ時間、いい?」

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