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キミは嘘をつかない 1

恋は大きく分けて2種類ある、と思う。
一目ぼれのように瞬間的に落ちる恋と、じっくりゆっくり沼に落ちていくような恋。

でも、私の恋の始まりは、そのどちらでもなかった。
喩えるのなら、深い沼の上にある今にも壊れてしまいそうな桟橋を恐る恐る歩くような恋。

31歳、独身、彼氏なし。
それが、私。

社名を聞けば誰でも知っているような大企業の購買部で働いている。購買部とは、会社がモノやサービスを購入する時の仕入れ先を決める部門だ。つまりは会社の財布の紐を握る存在。良いモノを安く仕入れることが私たちのゴールだ。
「いかに高く売るか」を考えている相手からいかに良い条件を引き出すか。そのために、女の私は相手に適度な威圧感を与えるべく、見た目を工夫し、キャラを変えた。簡潔に言うなら、嫌な女。会社における私は、もはや本来のキャラがどんなだったかわからなくなるほど嫌な女が板についている。

元々内向的な性格の私が、高い役職と、黒縁の眼鏡、パンツスーツ、ヒール7センチ以上のパンプスという武器を手に入れれば、それは自動的に男を寄せ付けない意思表示のようなものである。
もう2年ほど彼氏のいない私を心配した友達のチカは、ある日、横浜でどこかの金持ちが主催する船上パーティという、世にも胡散臭いイベントに私を無理やり連れて行った。

港に集まった参加者たちは、皆、結婚式に参列するような装いだった。私も、29歳で駆け込み結婚した友人たちのために買ったドレスを久しぶりに着て行った。しかも、一目で上質とわかるピンクの可愛いドレス。嫌いな女の式に呼ばれた時、彼女より目立ってやろうと思って買ったハイブランドのものだ。
私の悪意が染み込んだそのドレスを着て、メガネの代わりにカラコンをし、唇を不自然なほどに潤わせると、船の前ではしゃぐハタチそこそこの女子たちとも十分戦えると思えた。チカは年齢を偽ろうと私を説得した。
こうして私たちは「28歳の普通のOL」になった。

そんな偽りの私は、そこで彼に会った。

船上に集った男たちは、いかに自分を大きく見せるかに必死だった。
立派な名刺入れからカッコいい肩書きを配る者、会話の中に横文字を詰め込む帰国子女風、週末の過ごし方でマウントを取る者。

その中で一際輝いていたのが彼だった。

黒の、少し光沢のある細身のスーツにシルバーの華奢な縁取りの眼鏡をかけた彼は、誰が見ても「大物」だった。
それでいて、スーツと眼鏡の奥に垣間見える彼はまるでリヤドロの陶器人形のように美しくて、透き通った肌と繊細で優しい雰囲気は船上の全女子の瞳を潤ませた。

彼は話し上手なようだった。立ち姿は貴族のように華麗なのに、和気あいあいとした人混みの中で、彼は表情豊かに、時に声を張り上げては人々から笑いを引き出した。彼の周りからは女たちの猫撫で声だけでなく、男のふざけ合う声もよく聞こえ、そのことが彼の株を更に上げるのだった。

「凄いねあの人。王子じゃん」

チカは目を光らせた。

「まさか、あの人混みに入ってく気?」
「うん。なんで?」
「いや、流石だなって…」
「なんのためにこんなに着飾ったのよ。一番良いものが欲しいタイプだもん私」
「ははは。私はいいや。行ってらっしゃい」

静かな秋の夜、ここ数年で一番綺麗に着飾った私は「俺って凄いアピール」の男たちの話を笑顔で聞き続けるという拷問に耐え続けた。自分に自信のある男はドヤ顔で名刺を差し出したが、私はどの名刺のまやかしにも気付けるほどビジネスで場数を踏んでいた。私は、30を過ぎてこの場に来てしまったことをただただ申し訳なく思った。

宴もたけなわというムードが漂い始めた頃、予定外のことが起きた。
酒に強いはずのチカが、倒れた。

倒れた女の友人ということで私は呼び出された。気を失ったように倒れたチカを船のデッキにあるベッドまで運んだのは、あの王子だった。

「お友達の方ですか?」
「はい。な、何があったんですか?」
「突然顔色が悪くなってフラフラって」
「お酒には強いはずなんだけど」
「…船酔い...かな」

王子はパーティ会場へ戻った。
チカがうっすらと目を開けた。

「...ごめん」
「大丈夫?具合悪い?もうすぐ降りられるから、それまでここで寝てて」
「あー、失敗した...」
「体調悪い日?」
「違う...でも変な薬飲んだの、お酒と相性悪かったんだと思う...ねぇ、私、お酒弱いことにして...」
「ったく...わかった」

少しして、王子は水の入ったグラスを持ってやって来た。

「これ、どうぞ」

彼からグラスを受け取った瞬間、私は脳に突然電気が流れるようにある記憶が甦った。

〈私、この人、知ってる...〉

「家、近いんですか?」
「うーん、東京なので」
「どの辺ですか?」
「彼女はだいぶ西の方なんだけど...私はxxだからタクシーで帰って今夜は家に泊めます」
「もし良ければ、僕車なので送っていきます」

うぅ…と、チカが苦しそうに声を出した。

「どした?吐きそう?」
「サ...ヤ......」
「あの、この方が車で送ってくれるって。それで今日はうちに泊まろう」

チカは水を少し飲み、またベッドに伏した。

「サヤさんって言うんですね」
「はい。初めまして、ですよね」
「多分この船で唯一話してないんじゃないかな」
「あはは、なんだか、混み合ってたから」
「ですよね。サヤさん、初めまして。キムソクジンと言います」

(つづく)

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船上パーティで出会った王子様みたいな年下男子キムソクジンとの恋。全21話(2022.3〜連載)

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