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私の好きな人 7

昨夜、ホソクさんはチームメンバーに朝イチミーティングの招集をかけた。急なミーティングが開かれる目的は大体悪い話のことが多い。だから朝、会議室へ向かう私たちの足取りは重かった。

全面ガラスで日当たりのいい会議室には既にホソクさんとソクジンがいた。ソクジンに何かあったのだろうか。私は一気に不安になる。

「よし、全員揃ったな…おい、みんな!ほら!なんか表情暗いぞ!」

ホソクさんが冗談っぽく声を上げると全員が姿勢を正し苦笑いを浮かべた。私たちが何を考えているかわかっているように全員と優しく目を合わせた後、ホソクさんはキリッと仕事モードの顔になる。

「実は昨日の夜US本社から連絡があって、J社のグローバル契約が更新にならなかったそうなんだ。みんな知っての通りJ社はうちのTop5に入る大きいクライアントだ。だからもし日本でも同じ扱いになって落とすとなるとうちとしてはかなりの痛手になる」

J社はソクジンの担当だ。ホソクさんが説明する間、ソクジンは少し気が抜けたような感じで時折頷いてみたりPCを覗き込んでみたりを繰り返す。多国籍企業を主に扱うこのチームは本社の動向によって数字が増えたり減ったりと影響を受けやすい。よってこういう事例にはある意味では慣れているのだが、今回のは金額的に少々看過できないレベルである。とは言え、こちらの努力でなんとかなる類の問題でもない。

「今日みんなを集めたのは、この状況をすぐに正確に知らせておきたかったのと、みんなの力を借りたいと言いたかったからなんだ。来年のターゲットはまだ降りて来てないけど、このロス分を全員の力で取り戻すために今から早めに、目標に更に上乗せするくらいの気持ちで準備してほしい。キツいと思うけど、俺も全力でサポートするからよろしく頼む」

もし転職してきたばかりの人がここにいたら、ホソクさんを熱血系の鬼上司と見るかもしれない。しかし、彼ともう何年も一緒に働く私たちは誰もそんな風に思わない。何故ならホソクさんはいつもチームやチームメンバーのことを第一に考えているし、大胆な計画は立てても無茶な計画は立てないからだ。それに、これまでに何度も、私たちはあらゆる危機をチームワークと努力で乗り越えてきた。各メンバーの席を回りPCを覗き込んでめぼしい案件とスケジュールを確認する真剣顔のホソクさんを眺めながら、私はやはり彼以外の人を好きになることなど到底できないと妙に落ち着いた気持ちになった。川谷エリカなんかに負けてたまるかと、むくむくと「お仕事頑張ろうモード」の私が現れる。私は自分の番が来た時にわかりやすく説明できるよう顧客管理ソフトとExcelの画面を整理した。

「どんな感じ?」

デスクに手をついて、ホソクさんが私の背後からPCを覗く。高鳴る心臓の音に気付かれないよう、私はマウスを動かしながら冷静に一つ一つ説明した。

「あれ?これはなに?」

ホソクさんがExcelの中の数字を指差す。私がマウスでそのセルをクリックするとホソクさんが「いや、それじゃなくて…」と私の手ごと包むようにマウスにその手を置いた。自分の手をそっと抜きながら心臓はバクバクと跳ねて身体を揺らす。気が動転した私が「あの、これは…」と無意識にホソクさんの方を向くと、彼もまた私を見た。まるでキスの直前みたいに、至近距離で、視線が絡んだ。咄嗟に顔を背けた私の視界に一瞬、頬を染め視線を逸らせたホソクさんが映った。

・・・

「ジンと森山さんだけちょっと残ってくれる?」

ミーティング終わりにそう呼び止められ、ずっと落ち着かない私の心臓がまた暴れ出しそうな気配を見せる。緊張する私の横で、ソクジンは全て了解済みのような落ち着いた顔だ。

「実はジンが来年の3月でこのチームを離れることになって」
「えっ?」
「うん、俺、転職するんだ」
「嘘…」
「ジンにとってはいい話なんだ。俺たちは寂しいけど、な」
「はい。でもこのタイミングで申し訳ないっていうか…」
「大丈夫。3月まではしっかり働いてもらうし。それで、ジンの大きめのアカウントは森山さんに引き継いで貰いたいと思っていて、可能なら早めに同行始めたり動き出してほしいんだ」
「はい…」
「森山さんのアカウントもいくつかはジョングクに回すんだけど、そっちはジンの引き継ぎが終わってからやってもらえるかな」
「はい、わかりました」
「じゃあ、あとは二人で調整、よろしくな」

ホソクさんは次の会議に向かい、私とソクジンの二人はとぼとぼとエレベーターへ向かう。

「いつ決まったの?転職」
「あー、それは最近だけど、でも前からずっとその予定だったんだ」
「お父さんのところ?」
「うん」
「そっか」
「俺がいなくなる痛手は大きいだろうがそこはお前が中堅として支えてくれ。よろしくな!」
「うん…」
「おい、どした」
「や、なんか、寂しいなと思って」
「やー!なんだ、気持ち悪いぞ」
「だって、同期だし。なんていうか…やっぱり別れって来るんだな、なんて思っちゃった」
「あぁ…」

湿っぽい空気の中でソクジンは私の肩を強く叩いた。

「だからお前も色々、悔いのないようにした方がいいぞ」
「…そうだね」

(続く)

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