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どこかで、聞いたような話④

翌朝。シュウの熱は少し下がり、ぼーっとはしているが大丈夫そうだ。とは言え保育園に預けられる体温ではないから今日は会社を休まなければならない。そもそも昨夜深夜にパニックになって人を呼び出した人間が今朝は子供を預けて仕事に行こうと考えるなんて虫が良すぎるにも程がある。夕方にはホソク先生も来てくれるのだ。今日はいいママでいたい。運のいいことに、今日唯一入っているアポの相手は多分延期を許してくれる。

保育園へ連絡し、上司にも報告。PCは持参しているから社内作業は家で対応できる。9時を少しすぎたところでアポ先に連絡を入れる。

「xx編集部の村崎です。ミン部長、いらっしゃいますでしょうか」

うちの雑誌の大口顧客である大手リゾート広報部のミンユンギ部長。前の担当者から引き継ぐ時に要注意人物と言われた癖のある人だ。笑わない、沈黙が多い、仕事に厳しい。俗に言う担当者泣かせなクライアント。

「はいもしもし、ミンですがぁ」

低くてボソボソと話す、特徴のあるいつもの声だ。

初めてミン部長に会った時は、なんて愛想のない人なんだろうと驚いたものだ。そして本当に仕事に厳しい。こちらに少しでも準備不足があれば早々に会議を切り上げたりする。前任者は相当なストレスを感じていたようだが、私はそういう人にこそやる気を刺激されるのだ。絶対にミン部長から笑顔を引き出してやる。そう思って他の顧客の倍、力を注いだ。今では年に数回は砂糖菓子ほどに甘いミン部長の笑顔をいただいている。

しかもだ。先日、保育園の行事でミン部長にばったり会ったのだ。私は完全にママモード、ミン部長もパパモードの時に。そしてもっと驚いたことに、彼はシングルファーザーだというのだ。私たちは同志だった。

子供たちが出し物をする間、私たちは子供用の小さな椅子に腰掛け、肩がぶつかるほどの近距離で我が子を撮ったり笑ったり掛け声をかけたりしながら楽しい時間を過ごした。他はほとんどが夫婦連れだったので、私とミン部長もまるで夫婦のようだった。(何か勘違いしたグク先生が数回的外れな確認をしてきたほどだ)

帰り道、お互いに小さな子供と手を繋ぎながら並んで歩いた。主にひとり親のあるある話で盛り上がった。笑う度、その甘い笑顔を隠すように俯くのに、小さな娘にパパと呼ばれれば屈んで最上級の甘い表情で応える。普段のミン部長は笑顔が多くユーモラスで優しい人だった。いや、仕事をする中で大体は気づいていたが、予想を遥かに超えて魅力的な人なのだ。

「そりゃあどうしようもないですねぇ。僕も先週痛い目に逢いましたよ...はは。じゃあまた連絡ください、シュウくんママ。お大事に」

会議の延期は快諾された。ミン部長はひとり親の苦悩をわかっている。

子供の構って攻撃を浴びながら在宅で必要最低限の仕事をし、シュウを昼寝させた頃、私の頭の中は今日の夕飯のことでいっぱいだった。もしホソク先生が夕方に来るなら、そしてその後の予定がないなら、ご飯くらい食べて行ってもらうのがいいのではないだろうか。いや、そうしてほしい。でも我が家の冷蔵庫には今ロクな食材がない...

色々と考えた末、やけに頑張りすぎておらず、風邪を引いた息子にも食べやすいものという理由でシチューを作った。実はシチューは私の得意料理だ。前の旦那も好きだったっけ...。

夕方、予告通りホソク先生はやって来た。仕事場の緊張感がまだ肌に残っているのか、昨夜よりさらに頼もしく素敵に感じられる。

「アミさん、大丈夫ですよ!シュウくんは体が丈夫なんだね。強く産んでくれてお母さんに感謝しないとだなぁ」

「忙しいのに昨日も今日も、本当にありがとうございます。いや、ごめんなさいかな、昨日は本当に」

「いいって言ったでしょう。大丈夫。頼られて嬉しかったですよ」

私の目論見通り、夕飯は3人で食べた。夕飯に誘った瞬間、ホソク先生は全くそれを予期していなかったような純粋な反応をした。ちょっとあざとい男なら夕飯を提案されることくらい想像できそうなのに、先生にはそういった技能がないようだ。そしてそういうところは私をひどく惹きつける。それに先生は何度も私のシチューを褒めてくれた。先生には「尊敬」と「可愛い」が共存している。

家族団欒みたいな風景に幸せを感じていた時だ。

『ピンポーン』

こんな時間に、誰...。

(続く)

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