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私の好きな人 4

定時まで1時間あるのに外はもう真っ暗だ。電話も鳴らない静かなフロア、同僚たちは各自デスクでPC作業をしている。残りの仕事を優雅に終わらせて今日は定時で帰ろう、そんな雰囲気が漂う中、私は余計な思考が邪魔をして仕事に全く集中できない。ホソクさんが、先ほどからずっと「東京カレンダー」を読んでいる。片肘を立てて、真剣な表情で「艶やかな夜を約束する珠玉の10軒」なんて特集が大見出しになっている雑誌を読んでいるのだ。ホソクさんの席からページをめくる音が聞こえるたび、ホソクさんは何を計画しているのだろうか、ホソクさんには艶やかな夜を過ごす相手がいるのだろうか、ホソクさんとのデートはどんなに素敵なんだろうか、ホソクさんはデートのあとはどこに…なんてことばかり考えては気がそぞろになって仕事どころではない。

「どっかいい店ありました?」

雑誌に集中しているホソクさんにソクジンが声をかけた。「グッドジョブ、ソクジン!」と心の中でガッツポーズ。

「ん?ジンも見る?」
「あ、はい。じゃあ後で」
「ここ置いとくから好きに見ていいよ」
「ありがとうございます」

だめだ。違う。それじゃ何にもわからないじゃないか。頭のてっぺんからプスプスと煙が立つ。私の脳はショートしてしまったのか。そんなことを考えていた時だ。

「森山さん。イタリアンと和食ならどっち?」
「はいっ?」

ホソクさんからの突然の質問に思わず声が裏返る。

「どっちが食べたい?直感で、イタリアンと和食」
「わ、和食、でしょうか…」
「OK。ありがとう」

そう言うと、ホソクさんはパタっと雑誌を閉じスマホを持ってどこかへ行ってしまった。ホ、ホソクさん…。ぼーっとしている私におしゃべり好きの吉田さんがその流れで話しかける。

「森山さん、和食好きなんだ」
「あぁ、はい。好きですね、やっぱり」
「前から思ってたけど、あんまり帰国子女っぽくないよね」
「はい?帰国子女?」
「うん。ほら、見た目とか雰囲気とか」
「吉田さん…帰国子女っぽい見た目とは、どんな…」
「ほら、なんていうか濃い目張り入れてるみたいな。あ、アイライナーっていうんだっけ?そんでワンレンっつーの?おでこ出して髪が黒くて長いの」
「はぁ…確かに…」
「僕は森山さんみたいな感じが好きだけどね」
「私みたいな感じ…ですか…あはは」

・・・

数時間後、私は小さな居酒屋で静岡おでんを食べていた。友人のアキちゃんと数ヶ月ぶりの女子会。女子会と言うと聞こえはいいが単に女二人で夜飲みに行くというだけで女子会らしい話題はゼロに等しい。

「ちぃちゃん、まだホソクさん好きなんだ」
「まだって、何寝ぼけたこと言ってるの」
「だってずっとでしょ?つまりずっと彼氏なしの恋愛なしでしょ?修行僧かなんかなのあなた」
「ちょ、自分だって同じ癖に」
「まあね…でも私は好きな人もいないから、リアルでは」
「なんかさー、結局おんなじだよね。二次元好きのアキちゃんもホソクさんを好きな私も。多分マインドが同じ」
「やー、やばいねー」

こんな会話で笑い合える友達がいて良かった。アキちゃんとは高校時代からの付き合いだ。私が留学している間に彼女は大恋愛をしたらしく、そしてその人はとても頭のいい人だったそうで、別れた後は彼を超える人物に会えず恋愛が遠のき、今現在の彼女はお堅い職場で働く傍らオタク道を極めている。聞いた話ではコミケで給料2ヶ月分くらいを稼ぐ書き手であるらしいが、ノーマルな私には間違っても見せられないということでどんな書き手なのかは未だに知らない。

「ホソクさん、一度会ってみたいなぁ」
「ふふふ。超カッコいいよ」
「あの同期のイケメンよりカッコいいの?」
「あー、ああいう感じではない。同期みたいなザ・イケメンではないの。でも、仕事が超できるし、優しいし、尊敬できるし、大人の色気もあって…はぁ」
「まあ、飲め飲め。今日は女子会だ」
「なんかさぁ、5年も片想いしてたらそれだけで十分幸せで、恋愛の仕方とか忘れちゃった」
「わかるそれー」
「てかね、ホソクさんが誰かと艶やかな夜過ごしてるって考えるのは辛いけど、もはや自分のものにしたいとかそういうことでもない気がしてきたんだよ…」
「え、なんかそれやばい」
「だよね。それに私今の職場大好きなの。凄くいいチームなの。だから雰囲気を乱したくないっていうのもあって」
「ちぃちゃん、やっぱ早く誰か見つけた方がいいよ」
「うーん」
「とりあえずリハビリ的にでも」
「うーん」
「その辺のジョンに声かけてさ」
「…もうやめよ、その名前出すの」
「あっはっは!もう一人は猪木だっけ?」
「アントニオね」
「ひゃっひゃっひゃ」
「ホント好きだよね、この話」

5年も片思いを続けられるような私は恋愛体質じゃないし恋愛経験も多くない。NYにいる時に敬虔なクリスチャンのジョンとセクシーラテン系のアントニオと付き合ったことがあるけど、どちらも日本に帰れば恋愛経験ゼロと言った方が良さそうなフィクションみたいな経験だ。

「ホソクさん…やっぱいるよねぇ、彼女」
「まぁ…そんだけ魅力的ならいない方がおかしいよね」
「だよねぇ…」
「そういう話、しないの?飲み会とかでさ」
「うーん、話題として出たことはある。でもかわすの上手いんだよ。隣の部長はお酒入るとセクハラとか下ネタ満載なんだけど、ホソクさんは絶対そういう話しないし。てか、お酒弱いんだよ、トップ営業マンなのに。あんなに色っぽいのに。ヤバくない?可愛くない?」
「わかったわかった。ちぃちゃんがそれで幸せならいいんだ私は。でも、いつかホソクさんを諦めなきゃいけなくなった時に相当辛いんじゃないかと思ってさ…友達として心配してんだよ。いつか終わりが来るって思ってるなら、早めに告白して早めに諦めた方が良い気がして」

・・・

家への帰り道、コンビニで「東京カレンダー」を買った。色っぽい逢引を想像させる写真とともに紹介される店はどれもホソクさんに似合いそうで、私はホソクさんとのデートを妄想して幸せになったり、ホソクさんと誰かのデートを想像して落ち込んだりを繰り返した。そしてその内に胸が苦しくなり動悸がした。アキちゃんの言う通り、自分の心を守るためにホソクさんへの想いに早く決着をつけた方がいいのかもしれない。

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