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私の好きな人 5

会議室フロアでミーティングを終えアシスタントの黒木さんとエレベーターホールへ向かうとホソクさんが女性と楽しそうに談笑している。モデル並みのスタイルにハイヒール。高価そうなバッグとジュエリー。スパイシーな香り。くっきり入ったアイラインとストレートの黒髪。私は一瞬、吉田さんの言う「帰国子女っぽさ」とやらを思い出した。ホソクさんが私たちを部下と紹介すると彼女はバッグからブランドロゴが目立つ名刺入れを取り出した。

「はじめまして。ビジネスNOWの川谷と申します。今日は取材でお邪魔しました」

紙質もサイズもデザインもスタイリッシュな名刺には「チーフエディター 川谷エリカ」とある。

「部長、雑誌に出るんですか?」

黒木さんが驚いたように質問する。

「いや、ネット記事だしちょっとなんだ」
「今回は、です。是非また取材させてくださいってお話ししてたところなんです」
「いやいや、僕、こういうのはあまり得意じゃないから」
「いいえ!また必ずご連絡させていただきます。うふふ」

ホソクさんが照れた様に俯くと彼女は綺麗なネイルを煌めかせながらホソクさんの肩にそっと触れた。私は彼女を敵認定した。

・・・

ホソクさんのネット記事は本当に小さくて、寧ろ彼女のプロフィール写真の方がやけに目立っていた。但し、彼女はこの界隈ではそこそこ有名なようで、コメント欄には彼女への賛辞が溢れていたし、名刺にあったインスタを覗くとフォロワーが30万人もいて驚いた。その美貌を存分に活かし、ブランド品に囲まれた華やかな生活を垣間見られる彼女のインスタは全くもって私の好みではなかったが、何か嫌な予感がしたので念のためフォローしておいた。そして、ある日、嫌なものを見つけた。

あの取材の日から2週間ほど経ったある夜、彼女のインスタに見覚えのある店の写真が上がった。それは、あの「東京カレンダー」で紹介されていた店だった。「艶やかな夜を約束する珠玉の10軒」の中の一軒で、それは和食の店だった。ぼやけた背景の中に見覚えのあるカフスボタンが光っている。

〈日本料理って、やっぱりいい。美味しい日本酒と素敵な人が一緒なら尚更〉

彼女は写真の下にそう書いていた。何行にも及ぶハッシュタグは読む気にもならなかったけど、私はこの「素敵な人」がホソクさんだと思えてならなかった。確かにその日、ホソクさんは珍しく定時で退勤していた。あの日「必ず連絡します」と言っていた彼女が約束を入れるとしたら確かにちょうど良いタイミングだ。あの日彼女は確かにしたたかに狙うような目でホソクさんを見ていた。何よりも、あのカフスボタンは確かにホソクさんのものだ。シゴデキなホソクさんのことだから彼女という人脈をビジネスに活かせると、あくまでも仕事のために会っただけかもしれない。いや、全力でそう願いたい。しかし、それにしても、場所が嫌だった。私が答えた「和食」を彼女と食べたのかと思うとやりきれなくて、その日は夜明け近くまで眠れなかった。

・・・

翌日、いつも通り朝のオフィスで私とホソクさんはPCをカタカタと鳴らしている。気づかれないようそっと斜め後ろを見るとホソクさんは画面を見ながら微笑みを浮かべタイプしていた。あの女から来たメールに返事をしているんじゃないか。直感的にそう感じ、胸がキリキリ痛んだ。

気のせいだ、私の勘違いだ。何度も言い聞かせるがそうやって自分を甘やかす度に心が痛む。結局全部自分が悪いんじゃないか。5年もの間、好きな人のすぐそばにいたのに何もできなかった私。恋人がいるかどうかすら聞かなかった私。いや、きっとあの女なら彼に恋人がいようがいまいがおかまいなしに自分をアピールできるのだろう。私の負けだ。バカな私、自業自得だ。

一人勝手に恋をして一人勝手に失恋した私はその後も何の行動も起こさず日々をやり過ごした。何故だか私はホソクさんに腹を立てていた。だから大好きな人の顔に視点を合わせられなくなった。タイミングよく仕事は忙しくなり、棚ぼたみたいな案件がいくつも舞い込んだ。私はモヤモヤをパワーに換えて仕事に没頭した。するとホソクさんは「ついに本気見せてきたね〜!」と喜び、グクくんは「先輩、マジかっこいいっす」と褒め、吉田さんは「失恋でもしたんじゃない?」と噂話し、ソクジンは「なんかお前最近怖い」と言った。

今や私の心は完全に殻にこもっている。昔から時々、自分が引きこもりのように感じられることがある。毎日外に出て毎日人に会い毎日話を聞いて毎日喋ることを生業とする私だが、それは単にこの肉体が動き回っているだけで、私という心はずっと小さな箱に入ったままのような、そんな気がするのだ。私は長い間その箱をホソクさんに開けてもらいたいと願っていた。箱の中にある私の心をホソクさんに取り上げてもらって、可愛いね、綺麗だねと優しく撫でてもらいたかった。そんな日を夢見ていた。でも、いくら近くにいても願うだけではその箱自体見つけてもらえない。今になってやっと、そのことが痛いほどよくわかった。

ほどなくして、ホソクさんはNY本社へ出張した。時を同じく、川谷エリカのインスタにNYの写真が何枚も並んだ。傷ついた心にトドメを刺された。キラキラと心が浮き立つようなクリスマス色の街並みの中で満面の笑みを見せる彼女。その瞳はまるで「私の勝ちよ」と言っているようだ。

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