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最後のピース

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人生リセットした25歳女性と年上弁護士ソクジンの恋、全24話(2022.4〜連載)。 家具屋ナムジュンのスピンオフ(全8話)も収録
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2022年5月の記事一覧

最後のピース 11

最後のピース 11

「今夜は僕が見守るので、ご心配なく」

彼が隣人に告げたその言葉のせいで私の思考は停止した。

「あの…先生?」
「ん?」
「今日、ここに、泊まるんですか?」
「おう」
「…」
「襲ったりしないから安心しろ」
「いや、あの…」
「わたげはベッドで寝て。俺は床で寝る」

そう言って彼はジャケットを脱ぎ、すでに緩んでいたネクタイを解くと第2ボタンまで開け、袖を肘のところまで捲り、クッションを枕代わりに

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最後のピース 12

最後のピース 12

隣のドアが開く音がしたので、私も部屋を出た。隣人はおっ、と驚いたような顔をした後えくぼを凹ませた。

「行こっか」

私たちは前後に並んで階段を降り、人一人分くらいの距離を空けてバスを待った。

バスは空いていた。彼は1番後ろまで行き、私を窓側に座らせた。混んでいないのだからゆったりと広く座ればいいのに、彼は後部座席の一人が座るべき場所にちゃんと、座った。大きな身体をした彼がすぐ隣にいて、バスが揺

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最後のピース 13

最後のピース 13

土曜の朝だというのに6時前に目が覚めた。昨夜は眠りも浅く夜中に何度も目が覚めたというのに。

まだ少しだけ冷えた空気が残る晴れた朝。隣人とのデートの余韻が残る身体をなんとか清めたくて私は朝早くから散歩に出かけた。まだ脳が生温い感覚がある。そりゃあそうだ。夜じゅう、いや、夢の中でさえも、私は隣人とキム弁護士のキスのことばかり考えていた。正直に告白すれば、キム弁護士とはキスの次まで妄想した。まるで発情

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最後のピース 14

最後のピース 14

車は湘南方面に向かっている。

車中ではラジオがかかっていた。二人が無言になるとDJの耳心地のいい声だけが密室に響き、そうすると今度はその沈黙をかき消すように彼が必要以上に大きな声で同意したりツッコミを入れた。

『今韓国ではエゴマの葉論争っていうのがあるらしいんですね。自分と、自分の彼氏または彼女、そして友達の3人で食事中に…』

彼はそれを聞きながら「やー!エゴマの葉を剥がしてあげるくらいなん

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最後のピース 15

最後のピース 15

店を出た時、時刻はまだ20時前だった。でも彼は「よし、帰るか」と言って車に乗り高速道路に入った。私たちの初デート、これで終わってしまうのかな…。沢山お喋りして、海で遊んで、ジンくん、ひかりちゃんと呼び合う約束をしたほどに発展した最高のデートだったけど、何故だろう、少しだけ物足りない。車窓からキラキラした夜景が見えると余計に「もっと」と思ってしまう。

「楽しかったな」
「はい」
「今度はどこに行こ

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最後のピース 16

最後のピース 16

カーテンの小さな隙間から朝の光がうっすらと差し込んでいる。ぼんやりと仄暗い部屋で目を覚まし、横を見ると彼の大きな背中があった。そして昨夜のことを思い出す。瞬間、背筋がゾクゾクと痺れ、身体はじんわりと熱を帯びた。

(スキ…すき…だいすきっ!!)

理性よりも本能が優位に立って私は冷静さも語彙力も失ってしまったみたいだ。ただもう、この広い背中を持つ優しくてかっこいい彼が好きでたまらなくて、朝日に向か

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最後のピース 17

最後のピース 17

マンションの駐車場に入るあたりから、彼は口数が多くなった。昔隣に住んでいた変わり者の住人の話とか、近所の定食屋のおじさんの話とか、シャワーの水圧の話とかをまるで噺家の如くに捲し立てた。以前なら彼の勢いや豹変ぶりに驚いていたかもしれないが、私は既に彼を理解し始めていた。彼はきっと、緊張しているのだ。

都心の立派なマンションはコンクリート壁がヒンヤリとしてあまり落ち着かない雰囲気だったが、家のドアを

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最後のピース 18

最後のピース 18

朝、目覚めた瞬間に彼を想う。

あぁ、彼が好き。
あぁ、最高に幸せな週末だった。
あぁ、早く会いたい。

昨夜、彼はゲームをして喋ってふざけて笑って子供に返ったようにはしゃいでいたのに、私が帰る仕度を始めると途端にしっとりと口数も少なく優しい雰囲気になって私は酷く後ろ髪を引かれた。「そろそろ帰らなきゃ」と借りていたスウェットを返した時も、玄関を出る時も、家に曲がる角の信号で車を停止させた時も、車で

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最後のピース 19

最後のピース 19

「今日なんかいいことでもあった?」

コピー機の前で山田さんに話しかけられた。山田さんはなんだかニヤニヤと嬉しそうに私を見ている。

「え?そんな風に見えますか?」
「うん!なんかねぇ、いつも可愛いんだけど今日は特に。少女みたいよぉ」
「ふふふ、そんな」
「ひかりちゃんみたいな若い子がルンルンしてるとね、私まで明るい気分になるんだわぁ。だからありがとねっ」

山田さんは私の肩をぽんぽんと叩きまたど

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最後のピース 20

最後のピース 20

隣人からの突然の電話。一瞬無視してしまおうかと思ったが、昨日「友達になろう」宣言をしたばかりなのだから何か事情があってのことだろうと、私は電話を取った。

「もしもし?」
「ひかりちゃん!あー、良かった。今、どこ?」
「あ…えっと、大学近くのお店でご飯食べてるんだけど…どうしたの?」
「そうか、いや、無事なら良かった、とりあえず」
「え…?」
「あの、今日、何時ごろ帰る予定?」
「うーん、ちょっと

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最後のピース 21

最後のピース 21

「ところで。今日は何の用があってここに来たんですか」

てつくんが白濁したメロンソーダをズズズズッと音を立てて飲み干しソファーにもたれかかると、キム弁護士は真面目な声色でそう聞いた。

「あ…まあ、ちょっと会いたくなったっていうか」

私はすかさず「どうして家がわかったの?」と彼の方に体を向けて尋ねた。彼はヘヘっと苦笑いして「まあ、人づてにね…」と言葉を濁す。

「ちょっと嫌なことがあってさ…それ

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最後のピース 22

最後のピース 22

新緑の木の下でロマンチックに火がついた私たちは手を繋いで階段を上った。2階の外廊下では言葉も交わさず、いつだって雑な彼がドアをそっと閉めた。年季の入ったこのアパートの壁が薄いことも、すぐ隣にさっきまで一緒にいた隣人がいることも、お互いに意識し、気にかけているように。

真っ暗な玄関で電気をつけようと伸ばした手を、彼は後ろから掴んで握りそのまま私をすっぽりと抱きしめた。彼のいい匂いにふんわり包まれて

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最後のピース 23

最後のピース 23

冷房の効きすぎた建物を出た瞬間、アブラゼミのやかましい鳴き声と体を溶かしてしまいそうな熱気に包まれる。ジメジメと暑苦しく重い空気は私のすぐ真上まで下りてきていて、雨をたっぷり湛えた水風船が破裂してしまいそうな、そんな気配を感じる。

今日は金曜日。家に立ち寄り玄関に用意しておいた大きめのトートを手に取ると、私は足取りも軽く駅へ向かった。

大学はもう夏休みに入っている。彼の講義も終わって毎週火曜の

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