光の速さで駆け抜ける(日記30)
昨日は、はじめショップを開店させて、ものの3時間で閉店させるという所業を成し遂げた。
無知って怖い。
知らぬまま、著作権を侵害したものを販売するところであった。
教えてくださった方には感謝しかない。
見ず知らずの方が通りすがりに教えてくださったのだけれど、わたしはラッキーだなあと思った。
せっかくオープンさせたのに、すぐ閉店になってしまうなんて、落ち込むかなあと思ったのだけれど、実はあまりのことに、同居人氏1と大爆笑していたのである。
誰も追いつけない速さで開店して閉店した!
と言い合って、きゃっきゃしながら笑った。
ほんとうにまぼろしのショップになってしまった。
でも、やってみてよかったな、と思う。
やってみなければ、知らないままだったし、教えていただかなければ、どなたかにご迷惑をおかけすることになっていたから。
何事もやってみるものだなあ、と、思った。
この経験で、コラージュなんてもう作らない!となるかといえばそうではなくて、なんだか気楽な気持ちになったのである。
これからは、「これが何になるんだろう」とか考えなくて済んで、何にもならないからこそ、自由に、ただ無心で、作ってゆけばよいだけなのである。
今まではどこかで、作ったその先のこと、販売してみたいなあだとかを、思っていたのだけれど、その枷が外れたかんじ。
コラージュするという行為は、純粋に、自分のためだけにやればいいのだな、と、思った。
そのうえで、こんなのできたよ、かわいくできたよ、きれいにできたよ、よければ見ていってください、と、noteにお披露目する。
それが、コラージュする行為には、ぴったりなのだなあと、思った。
思えば、この日記も、「日々の生活をお披露目している」という気持ちで書いているし、わたしには、「お披露目する」という行為が、ぴったりなのかもしれない。
お披露目するから、よければ見てくださいね、という心持ちが、自分にとっては、とても自然でいられる気持ちなのだろう。
かみさまは、ちょうどよいところに、自分を置いてくれるものだな、と思う。
タイミングとか、運とか、縁とか、そういうものまるっと含めて、こうなるとちょうどいいよ、ということを、結果的に、教えてくれているのかもしれない。
特定のかみさまを信じているわけではないのだけれど、こういうときに、かみさまの存在を感じる。
誰かにご迷惑をおかけしちゃう前に、止めてくださってありがとうございます、かみさま。
感謝します。
これからは、粛々と、コラージュをつくってゆきます。
そして、それをお披露目してゆこうと思います。
光の速さで駆け抜けたはじめショップを通して、そんなことを、思った。
投げ銭?みたいなことなのかな? お金をこの池になげると、わたしがちょっとおいしい牛乳を飲めます。ありがたーい