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許さない。
打ち合わせ前の心療内科受診を終えた。
8月から復帰するつもりでいる。
先生曰く、障害が排除されれば、間違いなく可能であるとのことだ。
でも、この機会、無理せずに半年ぐらい休んでも良いんじゃないですかとのことだ。
もう自分を責めるのをやめた。
気付いたらやめていたのだ。
ここ数日で自責と絶望感は怒りに変わっている。
この仕事に対する大きな志は間違いなくあったのだ。
だから7年の月日をかけて、ここまできたのだ。
道のりは長かった。苦しい時間だった。仕事の傍らでやってきたのだから。
それをこうも呆気なくへし折った環境と人間たちを絶対に許さない。
なぜ、現場の仕事内容より、人間関係でこんなことにならなければならない。
あれだけの言葉を毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日言われながら。
そんな相手の何を受容する必要があるのか。
私は変わろうとした。学ぼうとした。しかし、そちらは変わろうとはしなかったじゃないか。
異変に気付いてから、何が「優しくなった」だ。
優しくなったからと言って、今までやってきたこと言ってきたことは帳消しになどならない。
相手も相手の事情がある?どうして私がそれ察してやらねばならない?なぜ我慢せねばならない?
ましてや、業界未経験者がベテランの何を察するというのか。
檻の外から押し付けて放置して。
なんて安っぽいチームという言葉だろうか。
私は、社会人になってから、今までどんな人であろうと、必ず良いところがあると受け入れようと心がけた。
進んで人を助けたし、困れば助けてもらった。
それがインクルーシブな社会、職場に近づく、小さな一歩だと思ったからだ。
しかし、世の中、そんな人ばかりではないということがよくわかった。
自分の考えがあまかったのだ。
自分がわからないのは、自分がダメだと思うから苦しかったのだ。教えてもらわずして、初めての人間に何がわかるものか。
誰もが困らないみんなが働きやすい環境にするなど、もうそんなことはどうだって良い。
他者などどうだって良い。
私は私のために学び、私のために働き、私のための進路を選択して歩んでいく。
今までnoteを見てくださった方、幻滅させてしまったでしょうね。
今日まで書いてきた内容は間違いなく、嘘偽りのない私の思いです。
でも、これが私が至った結論です。
それでは。
終わり。
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