speak-spoke-spoken
タイトルに意味は特に無い。
最近、できる限り毎日英作文を書くようにしている。将来海外に出なくてはいけないかもしれないし、暮らすまではいかなくとも少なくともこの先の進路では英語を使うことがわかっているからだ。中学生レベルの英作文ですらままならないことを思い知らされる日々。できなくてもあまり深く考えないようにしていたが、ここ数日魂が不調だったためかspokeの綴りを間違えただけで本気で凹んでいる。そんな感じで、今のわたしは魂の元気がない状態でこの文章を書いている。
わたしはずっと省エネで生きてきた。全く何もしてこなかったわけでは無い。それなりに努力はした。でも、ほどほどに目標が達成できれば満足できたから、精神的に追い詰められるほどには頑張らないで生きてきた。死にそうになりながら頑張っている人を横目に、しんどそうな生き方だなと思いながらずっと生きてきた。
そんなわたしが頑張らざるを得ない状況になった。博士課程進学を決めてしまったからだ。どうして博士課程に行くのか、といろんな人に訊かれたが、わたしはもう少し大学で勉強したいと思っていたし、何より普通の就職は向いていないと感じた。歴代の先輩の戦績を見るに、今の研究室は技術職に弱く、就職先で研究を続けることはかなり難しいようだった。つまり、このままいくと文系就職の可能性が高いことがわかっていた。そのため昨年の春から夏にかけて、さまざまな業界の技術職以外のインターンや説明会に行った。しかし、どこも肌に合わなかった。研究を諦めてこれらの仕事に就くことになったら後悔しかしないだろう、ということを理解した。幸い、実家は経済的に不安が無く、理解のある家だったので、両親に進学について反対はされなかった。とはいえ、周りはすでにほとんどが就職して自分のお金で生計を立てている中、さらに進学する心苦しさは当然ある。罪悪感を少しでも解消するには頑張らなくてはいけない。そこからわたしは頑張り始めた。論文になるくらいの量の実験データを出した。学会にも積極的に参加した。新しい解析も自力で始めた。いまは論文を書いている。自分の研究に直結するもの以外も沢山勉強した。大学受験が終わってから初めてちゃんと「勉強」をした。その場限りの成績を取るための勉強ではなく理解するための勉強を。
でも、いくらやっても課題は常に山積みだ。学問に終わりはない。どんなに疲れるまでやっても達成感はあまり得られない。わたしは頑張っていると自分に言い聞かせても、わたし自身が一番、自分が頑張れているとは思えていないのだった。
気がつくと、しんどそうな生き方だなと今まで思っていた人たちと同じようになっていた。
こういう気持ちだったんだな、と思った。
周りがいくら頑張っているねと言ってくれてもダメなのだ。自分にとって納得のできる、もしくは完全にあきらめのつく結果が出なければ、自分の中で頑張ったことにはならない。この生き方は本当に幸せなんだろうか。でも、途中でやめることはきっとできない。理想を描いてしまったから、それが完膚なきまでに壊れるまで、完全に絶望するまでは恐らく止まれない。
自分の精神が壊れる前に何らかの形で決着が着くことを祈っている。正直、すごく疲れてしまった。
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