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今こそセンス・オブ・ワンダーを

2月末の休校宣言、解除されたと思えば今度は緊急事態宣言による休校。6歳と3歳の娘を抱えながらの仕事は牛歩並みのスピードで、イラつきをぶつけてしまったりお世辞にもいい環境ではなかった。

この状況、望んでなった訳ではない。もちろん良いとは思ってない。できればどうにか改善したい...

そう思ってあの手この手を試してみている。

トランポリンを導入して運動不足解消を狙ってみたり...


キッズタブレットとAIスピーカーによる学校のチャイムを鳴らして生活リズムを整えたり...


とはいえ、完全に自粛で屋内にこもるのはかなりメンタルにくるものがある。

かといって子連れでスーパーに買い物もリスクが高いし、なにせ子供はおかまいなしにどこでも触る。危なすぎる。

できればお友達と遊ぶなど社会性も身につけさせたかったし、クラスメイトと授業を受ける経験をさせてあげたいところだけど、今はそれができない。

そうなると、親がお友達兼先生をやるしか方法がない。


そこで、家庭保育の時間割を作ってチャイムごとに自習と、親が先生になる授業を混ぜることにした。そして、その中に「もり」という屋外学習の時間を作った。


「もり」の授業でやること

授業とはいえ先生役は親=自分がやるわけで、いきなり言われても子供は言うことを聞いてくれない。

このバランスはなかなか難しくて、やはり先生=他人に言われるのと、実の親がいきなり先生ヅラするのとでは子供側だって心の準備がいるだろう。

なので、授業といっても緩めにしてある。絶対に授業っぽく!と思うと、達成できずにイラついて結果子供に叱り飛ばしてお互いイヤなムードになりそう。ここはもう、緩くていい。

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最初の課題は「森で葉っぱを拾ってくる」授業。

いろいろな色や形の葉っぱを拾い集めてきて、乾かして、それを今度「こうさく」の授業で使う予定。

この日は快晴だったのでピクニック的な散策も兼ねて大きな公園を朝からウロウロしてみた。

初回なので自由な感じで、葉っぱを集めつつおいかけっこをしたり、人の少ない早朝の公園で走り回ってきた。



自然に触れ合うことの恩恵

実は、大人側も自然で得られるものは多い。

近年のさまざまな研究で、屋外での自然に触れる活動は鬱病予防や記憶力の向上、アルファ波を誘発してリラックスした脳の状態を作り出したり、運動によって脳の老化を防いだり、いい効果がたくさんあることが判明している。

自然環境を90分間歩いた参加者は、都市環境を歩いた参加者と比較して、精神疾患のリスクに関連する脳の領域で神経活動の低下を示しました。

( https://www.pnas.org/content/112/28/8567.abstract )

急速な都市化と鬱病発生率の関係などをみていると、現状の家にずっといる状態は実はかなりハイリスクな要因になるのではないか...という心配もある。

その点でも、週に数回を森で過ごすというのは心と体の健康維持にも役立つはずだ。

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健康維持だけじゃない。例えば上の写真をみて欲しい。

これは雨上がりの翌日の公園、落ち葉のエリアで濡れているところと乾いているところがしま模様になっている様子だ。

これを見たときに、なんでこうなるんだろう?とちょっと考えてみて欲しい。

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おそらく、アスファルのデコボコに対して水が溜まる量に差があり、乾きやすいエリアと濡れたままのエリアに分かれて2色になっている。

それだけの話なのだけれど、自然の中ではこうした観察のポイントが無限に出てくる。

そして、普段いかに何も見ていないのかを思いしる。


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切り株から、さらに枝が生えている。切り株からもまたこうして成長するんだね、というのを子供たちと一緒に観察した。

絵や写真で知っていることでも、実際に見て体験するのとは経験の濃度が違う。

ついついなんでも検索したりスマホの中で見知っただけで「知っている」つもりになっているけれど、見たことがある≠知っている、ではないだろうか?

料理にしても作り方を知っているのと、実際に作れるのとは雲泥の差があるように、知識とは体験して運用することで深みが出る。

家に引きこもっての家庭学習では体験に限界があるからこそ、森へ行くことはとても価値が高いと思う。


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今こそセンス・オブ・ワンダーを

なんども紹介しているので、すでに読んでいる人もいるかもしれない。レイチェル・カーソンの「センス・オブ・ワンダー」という本がある。

化学薬品による環境汚染にいち早く警鐘を鳴らした書として、いまも多くの人々に読み継がれている名著がある。『沈黙の春』だ。その著者レイチェル・カーソンの遺作として、彼女の友人たちによって出版されたのが本書である。

本書で描かれているのは、レイチェルが毎年、夏の数か月を過ごしたメーン州の海岸と森である。その美しい海岸と森を、彼女は彼女の姪の息子である幼いロジャーと探索し、雨を吸い込んだ地衣類の感触を楽しみ、星空を眺め、鳥の声や風の音に耳をすませた。その情景とそれら自然にふれたロジャーの反応を、詩情豊かな筆致でつづっている。

鳥の渡りや潮の満ち干、春を待つ固いつぼみが持つ美と神秘、そして、自然が繰り返すリフレインが、いかに私たちを癒してくれるのかを、レイチェルは静かにやさしく語りかけている。

そして、レイチェルが最も伝えたかったのは、すべての子どもが生まれながらに持っている「センス・オブ・ワンダー」、つまり「神秘さや不思議さに目を見はる感性」を、いつまでも失わないでほしいという願いだった。

そのために必要なことは、「わたしたちが住んでいる世界のよろこび、感激、神秘などを子どもといっしょに再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、すくなくともひとり、そばにいる」ことだという。本文中に挿入されているメーン州の海辺、森、植物などをとらえた写真も美しい。『沈黙の春』と同様、読者の魂を揺さぶらずにはおかない1冊である。(清水英孝)

とてもいい本なのでぜひ読んで欲しいのだけれど、清水さんの要約がとても的確なので引用した上の文章に全て書いてあると言ってもいい。

つまり、いっしょに観察・発見して感動する大人がそばにいることが重要なのだ。


思えば、僕らはあらゆるものをどんどん効率化して誰かに外注して暮らしてきた。

ひるがえって現在、今度は自宅にずっといなければいけなくなり、外注できる事は激減し、かなりの制約下での暮らしを迫られている。

そして残念ながら、この状況はもっと長期化して続きそうな気配だ。


期せずしてできてしまったこの大きな隙間のような期間、今こそセンス・オブ・ワンダーを取り戻す時期なのかもしれない。

今日は強い雨だから、あえて傘をさして散歩に出るのもいいだろう。

人が密集しない大自然に家族と出かけるのもいい。

ウイルスは僕らを分断しようとしてくるけれど、繋がろうと対抗するのではなく、離れている時間の中で取り組めることに目を向けていきたい。

そうだなぁ...こんな時だから、それぞれがセンス・オブ・ワンダーを探せるような仕組みと、デザインの筋トレになるような、そんな連載を書こうかな。課題と観察と実験をセットにしたような。ちょっと検討してみよう。

人の少ない早朝の大きな公園へ行きましょう。
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