パニック障害とうつ病を20代に経験した私が今思うこと
20代後半の3年間、私はパニック障害とうつ病で暗闇の中をずっとさまよっていた。
そして40歳を過ぎた今になっても、自分がうつ病であったことを(近しいわずかな人間を除いて)話すことはなかった。
怖かったのだ。
「私がうつ病だったと知ったら周囲はどう思うだろう」と想像するだけで心がこわばり、震えがとまらなくなるほど怖かったのだ。
でも、昨年暮れに受けたストレングスファインダーの個別セッションが私を変えてくれた。
この個別セッションで、私は自分を他の誰でもない唯一無二の存在なのだと生まれて初めて確信することができた。
そして同じくらい、私以外の人間も唯一無二の存在であり、それぞれに強みや弱みがあり、素晴らしいのだと気づくことができた。
おかげで私は、弱さをひっくるめた自分すべてを受け入れることができるようになったし、他人がどう思おうともまったく気にならなくなった。他人と自分を比べることすらなくなった。
だって誰一人として同じ人間はいないんだもの。いろんなことを思う人がいて当然だし、比較するという概念そのものが馬鹿げてる。そう思えるようになったから。
そうして年が明け、私は自分の人生の中でずっと隠しておきたいと思っていたとっておきの経験、うつ病のことを語ろうと決めた。
同情なんていらない。理解してほしいとも思わない。
事実と、私自身が感じていることを、ただそのままに書く。
もしかしたら私の経験が誰かの光になるかもしれない。それだけを願って。
パニック障害とうつ病を発症したきっかけ
私がパニック障害とうつ病を発症したのは27歳のときだ(実はこの記事を書くまで発症した正確な年齢を間違えていた。それぐらい闇の中に葬り去っていたのだ)。
当時私は、大学時代からずっとアルバイトをしていた居酒屋(焼き鳥屋)で正社員として働いていた。
仕事はものすごく楽しかった。接客業は天職だと本当に思っていた。
だが、キャリアを積み、人が入れ替わるなかで私は店長に任命された。しかも3ヶ月後には2店舗も任されるようになった。
嬉しかったのは間違いない。だけど、心の奥では「自分は店長に向いていない」ということをとっくの昔にわかっていたのだ。
結果はお察しのとおり。
「店長」という肩書きだけを振りかざし、売り上げを上げることもスタッフをまとめ上げることもできず、最終的に半年で店長を降格させられることに。
この降格を、私は「私の人格を全否定された」と捉えてしまった。
店長として何もできなかった自分はなんてダメなんだ、なんてつまらない人間なんだ、私なんて会社どころか誰にも必要とされていない、私なんて、私なんて…。
毎日毎日、自分を責め続け、否定し続けた。
当然眠れなくなる。食事もとれなくなる。仕事には行くがなにもかもが虚ろでミスばかり。
そんなことが2週間ほど続いた、忘れもしないクリスマスの夜。
真夜中に目覚めた私は、突然狂ったように叫び始めた。
本当に自分でも「狂った」と思った。止められなかったのだ。
わけのわからないことを叫び、吠えるように泣きわめき、床の上を転がりまわった。
それは10分ほどの出来事だったのかもしれない。でも私には永遠に続くように感じられたのを覚えている。
結局泣き疲れて眠り、翌朝社長に「会社を辞めさせてほしい」と伝えに行った。
そこで社長に言われたのは「とりあえず休め。籍は置いておく。そして今すぐ病院へ行け」だった。
「病院?なぜ?」
私が最初にそう思ったのも無理はない。だって自分が病気だなんてこれっぽっちも思っていなかったのだから。
それでも言われたとおりに紹介された心療内科へ行き、やっと自分が病気だったことを知ることになる。
病気なんてもんじゃない。相当に重度のパニック障害とうつ病だった。
パニック障害とうつ病を併発していた3年間のこと
発症してから回復するまでの間の3年間のことは、正直あまり覚えていない(3年という期間だって正確に数えたのは今初めてだ)。
ずっとずっと暗闇の中でうずくまっていたような気もするし、おぼろげに思い出す風景もぼんやりと霞みがかっている。ピーカンに晴れた日だってあっただろうに。
食事だってそうだ。いったい何を食べて生きていたんだろう。
うつ病診断テストで「食事の際に砂をかんでいるように思える」なんて項目があるが、まさにそうだった。じゃりじゃりとした噛みごたえだけ。
仕事も転々とした。一人で暮らしていたので生きていくためのお金は稼がなければならなかったが、なにぶん病気を抱えているので仕事が長続きしなかった。
ありとあらゆる仕事をしたような気もする。でもやっぱりほとんど思い出せない。
3年間のうちで唯一鮮明に覚えていることがあるとすれば、発症直後に父が他界したことぐらいだ。
社長が「とりあえず休め」と休職させてくれたおかげで、私は期限を決めずに仕事を休むことができたのだが、その休職中に父は54歳の若さで死んだ。ガンだった。
もし私がうつ病にならず、通常どおり働いていたら父の最期を見届けることも、死に目に会うことも、もしかしたら見送ることすらできなかったかもしれない。
この経験以後、私は「自分にとって必要なことは必ず完璧なタイミングでやってくる」と思うようになった。それがたとえ病気であっても。
回復したきっかけ
病気の渦中のことをほとんど思い出せない私だが、回復したきっかけも実ははっきりとは思い出せない。
3年間の最後の方はもういよいよ働くことすらできなくなっていて、病院さえ転々としていたし、薬もコロコロ変わっていた。
「その薬のどれかが自分に合った」というのが直接的な回復の原因かもしれないけど、それだけではないと思う。
自分の中で「あ、そろそろだ」と感じたのだ。そろそろ動くとき、そろそろ浮上するとき、そろそろ立ち上がるとき、と。
3年間、暗闇の中をさまよい、ずっと、じっと、自分と向き合い続けていた。そして時が熟したのだろう。今ならそう思う。
それでも、そこから劇的に病気が回復したわけではない。少しずつリハビリし、人のいる場所へ出かけ、仕事を始め、新しい仲間を作り、そしていつしか私は薬を飲まなくても生きていけるようになった。
回復後、現在に至るまで
重度のパニック障害とうつ病を併発していた最悪の時期から15年近く経つ。
その間、病気がまったく再発しなかったかといえば嘘になる。
「うつ病は薬で治る」とは言うが、自分を責めてしまうような思考回路はそうそう矯正されるものではなく、完治は本当に難しい。
実際に、病気とまではいかなくても「抑うつ状態(気分が落ち込んだ状態)」になったことは一度や二度ではないし、そのたびに自分の不甲斐なさを責めたことなど数え上げたらキリがない。
ただ、さすがにこの年になると「ああ、また来たな」という感覚もわかるようになるので、かつてほど症状が重くなることも長引くこともなくなった。
さらに、冒頭にもお話したストレングスファインダーの個別セッションの影響は本当に大きい。
自分が持っている資質を知り、強みと弱みをうまくコントロールする術を身につけたおかげで、今はかつての自分からは考えられないぐらい安定した状態を保てている。
「もう大丈夫。私は完治した 。」
本当はこう言いたい。それぐらい毎日イキイキと過ごせている。
でもそう言わないのは、いつか再発するかもしれないから。
その再発を恐れているわけではなく、調子に乗って足元を救われないよう、自分への戒めとして私はこれからもずっと心にとどめておくつもりだ。
今だから思うこと
私は、うつ病になって良かったと(カッコつけでもなんでもなく)そう思っている。この経験はある意味強みだとさえ。
この場で初めて「自分がうつ病だった」という事実を告白はしたが、その渦中は思い出せないぐらいどん底だった。さすがにここには書けないことだってある。
そのどれもこれもが私にとって必要な経験だったし、それらの経験があるからこそ今の私がある。
また、自分の心と「これでもか」と言うぐらい向かい合い、あらゆる感情を味わってきたから、ほんの少しだけ心の幅も広くなったし、他人の痛みも少しはわかるようになった(全部なんて誰もわからない)。
寄り添うことも、何もしないことも、励ますことも、背中を押すことも。
うつ病を経験したからできることだ。感謝している。
最後に。
冒頭でもお伝えしたように、私はこの記事を通して私自身のことを理解してほしいわけではないし、ましてや同情などしてほしくない。
ただ、人生に無駄なことは何もない。
今どれだけ苦しくても、なにもかもがうまくいかなくても、それは自分自身に必要だから起こっているのであって、いつか必ず「あの出来事があったから今の自分がいる」と思える日が来る。
現に私は、うつ病を経験したからこそ今の私があるのであり、うつ病にならなかったらもっと傲慢な人間になっていただろうと思うとぞっとする。
大丈夫。どんなに夜が深くとも、朝は必ずやってくる。
あなたが、あなたらしく生きられる日は、必ずやってくる。
だから、自分だけは自分のことを信じてあげてほしい。
あなたはそんなにヤワじゃない。大丈夫。きっと大丈夫。
最後までお読みいただきありがとうございます! 一人でも多くの方に思いを伝えるためにこれからも頑張ります!