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能登地震のど真ん中で、自衛隊より行政より早く支援物資を広めていった3児のママが、本当にしてほしいと思っている支援とは……。想いの見える化トークライブ、今回は坂下賀英子様をお迎えしました。

 1月1日に起こった能登半島地震。自らも地震に見舞われた一人の市民でありながら、地震発生時から次々と支援ネットワークを現地に広げていった地元のママリーダー、坂下賀英子さんが緊急出演! 
 坂下さんが、次々と自分や周りの人の想いを実現させていっているのには、自分のあり方としての一貫性を行動に表す学びと実践をされていて、所属団体にいつも貢献されているからなのだなと納得しました。まさに、愛や思考を拡張されてきた結果。これからどんなことをされるのか、またお話をききたいですね。私もできることないかなぁ?

《思いの見える化トークライブ》とは、おふぃす・ともともの代表、高野朋美が、経営者その人のバックストーリーに迫り、そこから来る揺るぎない思いを存分に引き出す、楽しくてへぇ~すごいっの1時間です。
これまで:これからの情報など、こちらから(Facebook)発信しています
記事最後に、おふぃす・ともともの連絡先も載せています!

【以下は文章です】
高野:はい、えそれではようこそ坂下さん、想いの見える化トークライブへ。はい、この想いの見える化トークライブはですね、あのま経営者であったり、あるいはこうリーダーの方たちの、こう思いを聞く…お早速早速いいねが来てますよ、いいねが。思いを聞くというあの本当ざっくばらんにあの私、経営者専門ライターという肩書きなので、~やる時はめっちゃ真面目に聞いていくんですよ。トークライブでは真面目に聞きません。もうざっくばらんに聞いてってます。まそういうね、あの自由なあのトークライブなんですが、坂下さんはですねえ4人目になる、4回目。賀英子と来てますよ、賀英子と、コメントに。はい、あのはい視聴者の皆さんのコメントも自由に打っていただいて大丈夫ですのでね。あのいいねとかコメントがあると私たちも励みになりますので、はいよろしくお願いします。はいということで、はい4人目のトークライブ今日はですね、株式会社凛でよろしいですかね。
坂下:はい、そうです。
高野:凛の代表です、坂下賀英子さんに来ていただきました。
坂下:よろしくお願いします。
高野:お願いします。坂下さん、じゃあ簡単にご自身の自己紹介をしていただいていいですか?
坂下:はい、あの皆様こんばんは。私はですね、あの石川県の七尾市に住んでおりまして、今あの会社の方は立ち上げまして今1年目になるんですけれども、株式会社凛の代表をしております。ま20年前からアルソア化粧品というところでビューティーカウンセラーをしている中に、ま子供を育てながらママで頑張る人みたいな感じの位置づけで今20年目になっているところですね、はい。
高野:なるほど、はいありがとうございます。で今日はですねえ、なぜ坂下さんにご登場いただいたかというとですね、坂下さんが今どこにいるかが非常に関係してるわけですね。坂下さんが今どちらにいらっしゃるんでしょうか?
坂下:はい。私は最近有名な能登半島地震でですね、被害も結構大きかった震度6強だった石川県の七尾市に住んでおります。
高野:はい、震度6 強、七尾市。皆さんニュースで多分ね。七尾市って七に尾のなんですけど、何度も目にされたんじゃないかなと。本当にど真ん中ちゃど真ん中ですよね、地震が起きた。そこに坂下さんはいらっしゃるわけです。でえっとまそこでま1月1日ね地震が起きて、でそこからあのま地震が起きた被災地でこう坂下さんはですね、この被災したこ地域にものすごく貢献をされてたんですね。どんな風なこう貢献をされてって、あの日から一体何がここまで起こってるのか?というのをニュースには、ニュースには出ていないけどその現地にいらっしゃる視点でそれを語っていただくのと、あとはあのいろんなこう復興支援とかがあの入ってると思うんですよ。でそれがどういう風に現地で受け止められていて、で現地の人たちがどんな風になってってるのかみたいな、その具体的な話もね今日聞ければという風に思っていますので。はいよろしくお願いします。
坂下:はい、よろしくお願いします。
高野:で、まずですね、あのずっとあのマイクオンで大丈夫です、坂下さん。ありがとうございます。でまずですね、1月1 日ですよねえ。私はあの島根県にいるので、ま海方なんです、うち。うんあちょうどね本当にパソコンの前で何をするでもなく座ってたんですよ。なんか変なこうゆらっと来るわけです。ああ揺れてると思って、で、お結構長く揺れるなと思ってテレビつけたらすぐに逃げてくださいって言ってるわけですよ、NHKが。逃げろ?どういうこっちゃと思って、でよくよく見ると日本海沿岸全部があのこう赤いラインでこう縁取られてるわけですよ、津波来るぞと。うわあえらいことになってると思ったのが1 月1日、私がこう地震を自覚した最初のタイミングだったんですが、坂下さんあの時って坂下さんはどんな状況だったんですか?
坂下:うんそうですね、1月1日のちょうどこう4時だいだったんですけれども、私は富山の方のあの初詣行ってたんですね。そう初詣で行って帰ってきてるところに、ちょうどインター降りたくらいに1回の地震があって、いつもの地震かな?車で私が運転してたんですけども。で1回目の地震が来た時に、あなんかいつもの地震かなと、結構地震が多いので。
高野:地震結構あるんですか?
坂下:結構あります。でそっからまたあの出発して家に着いて、さあ駐車場に止めるぞと言ったタイミングで6強がきたんですね。
高野:どんな感じだったんですか?
坂下:私がこう運転していたので、まちょうどバック入れようかなと思った時に揺れが、強い揺れ、その前に地震のねアラートが鳴ったので、あこれ地震来るねっていう形でちょっと身構えていたら、今までにないくらいの揺れだったんですよ。どんなだったかというと、こう車に乗ってる状態でもこうジェットコースター乗ってるんじゃないかってぐらい。波を打ってるそんな感じ。本当にこんな感じです。で目の前に私電信柱あったんですけど電柱のその線ですね、電線がもうぐにゃぐにゃ揺れていまして。で飛んでたカラスとかが一斉にブァーって行って、猫もジャーって走っていってみたいな感じ。でこれは初めてだなと思って、これまずいと。でこのまま電信柱の逆に隣にいたら、もしかして倒れてきたら困るから、ちょっとだけずらすんだけれども、本当に揺れるのも長かったですね。
高野:はあすごい状況だった。ジェットコースターに乗ってるような感じだったんですね。
坂下:本当にそんな感じ。
高野:坂下さんのところのご家族はまあの旦那さんとあとお子さんは何人いらっしゃるんでしたっけ?
坂下:3人ですね。
高野:皆さん車に乗っておられた?
坂下:そうです、そうです。幸いなことにその日はその時間帯は車に一緒に5人で乗ってました。
高野:なるほど。でま割と長い揺れがあって、収まってどうされてったんですか?
坂下:収まって一旦ま家に戻ろうっていうことで、すぐそのまま駐車して。駐車する時にエコキュートが倒れてるっていうのが分かりまして。エコキュートが倒れてるの見えて、これまずいみたいな。
高野:あまずいってなったんですね。
坂下:いや思いました。でえっとうちの旦那さんがあのまずあの薪ストーブ家使ってるので、ちょっと火とか大丈夫かっていうところとか、そういうのもちょっと確認するために家入ろうと思ったんですけど、実はその玄関がちょっと下がっていまして、玄関開かなかったんですね。開かないんです。こうやって引き戸になってんです。それ開かないし、で津波が来るから逃げてくださいみたいな、とにかく避難してくださいって放送がずっとずっとなるので、あこれまずいと思ってそのまま家にも入らずに高台の方にある公園の駐車場に走って、あの車で走って。
高野:私あのコメントにですね、あの坂下さんのおっしゃってることをちょいちょいちょいちょい要約しながら入力するんで、あのたまに下向きますが、あんまり気にしないでください。そっか高台は結構すぐ近くにあったんですか?
坂下:そうです。あの車で大体5分以内のところにある1番やっぱ津波が来るってことだから、いつも避難する時はここですよって言われていた施設の方だとまずいなという風に旦那が判断して、それであのはい走らせてた感じですね。
高野:旦那さんがこう英断をされたわけですね、じゃあ。
坂下:そうです、そうです。
高野:へえ、で行ったら結構もう人が集まってたんですか?
坂下:そうです、そうです、もう車若干ちょっとこう集まり始めてる時があって、あのところから水がバーってあのなんていうか吹いていたというか…
高野:水道管が破裂して?
坂下:そうそうそんな感じです。ブロック塀がちょっと倒れてるとか、なんかさっき通ってきた道なんだけども全然違う道になってたって感じ。
高野:怖い。そんな感じだったんですか?で坂下さんとその高台から海は見えたわけですか?
坂下:いや私がいたところからは海は見えなくて、ま山の中のにあるやつなので、あの本当に森しか見えないんですけれども、とにかくそっからも消防車もたくさん通るし、私が行ったタイミング大丈夫やったんですけど、もうすでにまあのすごい渋滞になっちゃってて。私入った時はまだ大丈夫だったけど、即満車になっちゃったって感じですかね。
高野:なるほど。あのマジでリアルですねと国川さんから来てます。でそこにましばらくいらっしゃって、行動、なんか動き始めたのって何時ぐらいなんですか?
坂下:それから大体6時間ぐらい経ってからですね。車の中にずっといて、でずっとアラートも鳴って、ずっと余震も続いていたので、これどうすればいいのかなと。とにかくあの初詣の帰りなので、持ってるのはもらったみかんと水が1本とかしかなかったんですね。どれぐらい避難してなきゃいけないかわかんないから、公園にある自販機に、ちょっと飲み物買った方がいいんじゃないかってことで、みんな長蛇の列に並んで買ったんですけれども、やっぱそれからやっぱ夜になるにつれて、えっとちょっと帰ってく人もいたんですよね。ちょっと帰るというか家の方は心配だから。ちらちらあの少し地震のそのアラートが収まってきたので。で私のえっと両親も同じようにあのその公園のとこにいたので7人で車の中にずっといたんですけれども。その時やっぱり電話色々繋げて、でその時にあのじゃちょっと食べ物だけでも取ってこようかって言って、旦那さんとお父さんと一緒に一旦あの歩いて自宅に戻って、で次戻ってきた時にあそろそろみんな出てるからじゃああの1回家戻ろうかっていうことで、家に戻ったのは大体夜の11時ぐらいですね。
高野:そうだった。夜中にじゃあ家に戻られてるんですね。なるほど。でもその日はもうすぐに寝られたんですか?
坂下:そうですね、家の中に入った時に元々旦那さん写真撮ってくれたんですけども、あの重たかった重たいはずの薪ストーブがずれていて、煙突が曲がっているであったりとか、もうテレビが倒れてたりとか、食器棚が壊れてるもう転倒してるとか、もうぐっちゃぐちゃな状態だったので、とにかく寝る部屋だけは確保しようと思って1番安全だなって思う部屋にみんなで布団引いて、その日はやっぱパジャマ来て寝てるとちょっとあれだからみんなで着て寝て。
高野:そうだったんですか。でまあ夜が明け、そっからどんな風に動いていかれたんですか?あのあの、いいねが来てます。
坂下:ありがとうございます。そうですね、あの私たちやっぱ次朝になった時に、もうぐちゃになってる食器棚とか皿とかこれどうすればいいんかねっていう風な感じだったんですけれども、私のその4時過ぎには実はあの地震が起きてからあのJPSAと言って一般財団法人の日本プロスピーカー協会でね、高野さんと同じなんですけども、この方々がグループ制度を作ってるんですけれども、そこで賀英さん大丈夫っって言って、であのその4時半ぐらいからもうダダダってスレッドが動きまして、夜です、夜です。夕方その地震した時の4時半ぐらいには皆さん…。無事だけど大変ですみたいな感じ。これから何が必要ですかって言われて、ちょっと何必要かわからないっていう状況で判断ができないっていうか。その時にあの東北で震災を経験されていた同じプロスピーカーの方からも賀英さん大丈夫って連絡が来ていたので、これはちょっと聞こうと思って。この災害があった時に必要な物資ってどんなことでした?っていう風にリスト送ってほしいですって言って。それを何も判断もできないで、そのままそのJPSAの金沢支部のラインに投げまして。でそこからやり取りできないので、あの支部長不在の中、副支部長の人たちが一生懸命やり取りしてくださって、次の日の朝にはその物資を届けるっていうことがあったので、次の日の昼ぐらいでした、あの朝ですねもう朝まず1つの車が、小倉プロスピーカーなんですけれども、皆さんから集めてくださったのを届けてくださって。とにかくもう断水になっていたので、水を遅く持ってきてくれ、必要になりそうな除菌シートとかいろんなものを車にたくさん詰めていただいて持ってきてくださいました。
高野:あの今すごくあーそういう感じなんだって思ったのが、被災した自分ですら何が必要なのかが分からない?
坂下:分からないです。
高野:はぁそうなんだ。あまりにも家の中ぐちゃぐちゃだし、断水してるし。あぁそうなんですね。でま先に被災経験のあるところに聞いて、これがいるんだろうこれからみたいなので。それをま支援を求めたってことですよね。
坂下:うんそうです。
高野:はぁそうだったんだ。はいあのまJPSAって言って一般財団法人日本プロスピーカー協会と言って、あのまね人ね、あのま周囲の人の物心両面のあの幸せに導くあの技術を体得したま真の指導者っていう人たちが、ま集まってる団体があるんですけど。まそこがいち早く動いたってことですよね。
坂下:そうですね。
高野:でま国川さんJPSA金沢支部はマジすごかったっていう風に書いているんですが、そうするとですね、そのま坂下さんがこれがいるって言ってこうまリスト送って、いつ物資がその何第1弾物資が届いたのっていつですか?
坂下:1月2日の、もしくは朝9時ぐらいだったと思います。9時10時ぐらい。多分店やってない時点で、多分前の日に皆さん水とかも買ってきてくださったりとか家にあるこれ余ってるよっていう非常食であったりとか、そういうのをあの1箇所に集めてくださったのが小倉さんの事務所だったんですね。でそこでまず運べる人から運んでいこうっていうことで、あの私の家に来てくださったりとか。あとはその前にですね、あのどんたくってちょっと七尾の人はよく知ってるんですけれども、スーパーの方にあれは昼頃にですね1月2日はどっちが先だったかちょっと忘れちゃったんですけども、あの第1弾の人たちはワゴン車に乗って、それもプロスピーカーの方たち4人ぐらいなんですけど、富山さんであったりしんさんであったりと方々があのトラックというかま大きい車に乗せてですね、買って持ってきてくれたっていうのがちょっと時系列的にどっちが先だったかなって感じなんですけど、持ってきてくださいました。
高野:なるほど。あのこま2日ってまだこう地震が起きたっていう事実で、多分騒然としてる時じゃないですか?自衛隊もまだ入ってないんじゃないですか?
坂下:入ってない、入ってない。もう入ってないです。
高野:ですよね。自衛隊とか、もちろん行政とかも多分ねてんやわんやだから、物資がどうだとかっていうレベルではないと思うんですけど。その時に国よりも自衛隊よりも早く物資が来たってことですか?
坂下:そうです。
高野:すごくないですか?これ。
坂下:私3つの団体ってあれなんですけれども、アルソアに所属してるので、アルソアの方々もやっぱり動いてくださっていた。でBNIのメンバーの方々も動いてくださっていた。でそれをどこも結局私たちは何も判断できないけれども、周りの金沢の人、石川のま奥の人もそうですけど富山の人も、みんなでそれぞれで動いてくださっていて、でやっっぱり七尾の道がどうなってるかとか能越道がどうなってるのかってのはみんなの情報でしかわからなくって。皆さんのLINEでやったりとかで、でどうなってるのか分かって、ちょっと道もどうかわからないんだけれども、ものすごく皆さん時間をかけて来てくださって。で1人で行動すると危ないからみんな時間合わせて来てくださっていて。もう本当にありがたかったです。で私だけのことではなくて、私の周りのあの仲間であったりとかにもあのこれだけの量のものが来るから、あのみんな取りに来てねっていうことも言えて、みんな本当ありがたいて言って取りに来てくれて。ブルーシートを全国から集めてくださっている方が届けるねって言って、来てくださったりってことで、2日3日ぐらいでほんとたくさんの方が来てくださいましたね。
高野:すごいスピードですね。でま物資がま次から次へとやってくると。でま坂下さんそれをこう地域の人にも配っていかれるというか…
坂下:そうです。あの私が結構悩んだのは、やっぱりこうこの皆さんのお気持ちをどこまで広げていいのかなっていうのが正直悩んだとこで。私と家族とそして仲間の人もそうなんですけど、同じように所属している人たちも何人か七尾にはいるので、その方たちにもお渡しすることはできるけど、どこまで広げていいんだろうかっていうのは、若干3日4日って結構悩んだと。でもあの量がたくさんあるとみんなに配れるっていうのがあって、さっきコメントくださった国川さんマジですごかったんですけれども。福井県というこっから3時間普通で考えるともう3時間ぐらいかかるところから、ご自身の会社の水道をあの開けて、タンクとかいろんなものに詰めて、50…あれ1トンですね1トンの水を福井から七尾まで運んでくれたんですよ。
高野:あの国川さんね今聞いてくださってる、1トン?あの普通の車に乗る?乗るの?
坂下:あの国川さんの車すごかったです。仕事柄そういうの持ってると思うんですけど。
高野:うんいやはい、実は2トンです。すごい、いやすごいな2トン。
坂下:そう、なので私も本当に1年に1回ね連絡するってわけじゃなくて墓参りとかに行った時にお会いする親戚の方であったりとか、中学の同級生だったりとか、いろんなグループラインの人にとにかく今日の夜にお水が来るから、みんなここに集ってねって言って、てもらって。本当にいいなみたいな感じでみんな言ってたんですけど。もう本当にみんなに渡してほしいって言われてるから、みんな来てねって。でもそのスーパーの向かいには水を求めてる人たちもあって並んでたんです。だけれどもやっぱその人たちにね、ご縁とかで渡せるわけではなかったので、私からのご縁の人たちが本当アルソアの人とか、本当に自分たちの家族みたいな感じで、取りに来れない人はお父さんお母さんに来てもらってねとか、とにかく渡そうとっていう感じで。
高野:なるほどだから坂下さんのまずご縁がある人から、物資を届けていこうと。そうですよね、だって。みんなねやっぱり被災しておられる中でそれは悩みますよね。
坂下:そうですね。本当に水ないってことはすごい大変なことで。食べ物、そういうのも全然やっぱ正月だったから、冷蔵庫の中に結構買だめしてあったのがあっても、正月だからスーパーやってないんですよ。
高野:はあ大変だ。
坂下:そうなのでやっぱり買えないっていうのもあるし、スーパーオープンできないっていうところが、そういうのもこね、いろんなことが混在していたっていうのがありますね。
高野:そうなんですか。やっぱでも話を聞いてやっぱりこうLINEだったりとか、こうFacebookだったりとか、ああいうこう連絡ツールがすごくやっぱりこうなんか役に立ってるというか。
坂下:本当そうです。
高野:ね、ですね。でま坂下さんがご縁がある人たちにそれを通じてどんどん声かけてったっていうところですね。で皆さんやっぱりこう取りに来られるわけですか?どんどんどんどん。
坂下:そうですね。それからも取りに来られたりとか、グループラインで繋がってるけれども今度は逆に赤ちゃんがいて支援物資とかが4日5日ぐらいから、あの七尾市の方にも届くようになって、1家族:1ケースまで取りに来ていいですよとか、少しずつそういう風になるんですが私も給水のところにも行ったことあるんですけれども、何時にこれが始まりますよって言った時点でもう何千人という人が並んでいて。
高野:いや私テレビで見てるだけでしたけど、並んでらっしゃいましたね。
坂下:でやっぱりその量はやっぱり最初の時はやっぱ足りなくって、2時間並んだけど結局もらえずに帰ったっていうことがあって。これだけ私たちは周りの人に助けられてるんだなっていうことも実感し、そのうちやっぱりこう食べ物とかもどんどんやっぱりなくなってくるというか、冷蔵庫そんなにたくさんあるわけではないので。その中であのBNIの方のご縁でまた物資が集まってきて、県外の方からもカップラーメンだったりとか非常食っていうものとかもそうですし、除菌ペーパーとかあとホッカイロとかなんかたくさんのものが、私のこのいろんな組織の方からどんどんどんどん集まるようになって、あのリビングと縁側のとこに置いてたんですけど、あの部屋の半分ぐらいダンボールになってた時もありまして。
高野:なんかも貯蔵庫みたいな感じ。
坂下:そうそうそうそう本当に。坂下物資センターっていう感じだったんですけど。
高野:いやすいません笑ったらあれですけど、そんな状態になったんですね。
坂下:そうそう。でやっぱグループラインの中にやっぱりママたち、いつも一緒に活動してるママたちがいるので、あのそのうち、やっぱりこんだけ物来るんだけれども、今度物送ってくれる方の中にレモンさんっていうラジオDJの方がいらっしゃって、
高野:はい、レモンさん、あの実は今日私レモンさん初めてお会いしたんですよ。あの本当にレモンなんですよね。レモンのかぶり物を…
坂下:何出る時もレモンかぶって。そのレモンさんも1月2日に私に連絡くださって、何が必要?っていうことで。予めリストいただいてたので、それを送らせていただき、全国の方に発信していただき、私の家に届けるってことは不可能じゃないですか七尾のね。これどうしようって考えた時に、BNIのメンバーで末広堂さんていうきんつばを売ってらっしゃる方と話をして、うちの店に一旦置くこと可能ですよっていうふうに言ってもらえて。一旦みんな末広堂さんに行く状態で、きんつば屋さんなのか何屋さんなのかわからないぐらいの状態になるぐらい…
高野:もう末広物資センターになったわけですね。なるほど。
坂下:もうね佐川急便さんにストックしといてもらわないといけないぐらいもう物がどんどんどんどん溢れていって。
高野:すごいなあ。まBNI、聞いてらっしゃる方ね、BNIってあのビジネスネットワークインターナショナルと言って、まこれ私も入ってるんですけど、あのま日本全国世界にこうメンバーがいるこうね、ビジネス、あのまギバーズゲインっていう理念の元でこうビジネスを発展させていくってグループなんですが、そこからもいっぱいこう届いたわけですよね。
坂下:そうなんですよ。メンバーの末広堂さんもきんつばではなく物資がいっぱいえじゃこうストックするところになってたっていうところですね。
坂下:その小林さんが運ぶわけにはいかないので、そこにあの集まってきて、そっからどうやって運ぼうかとか。
高野:運ぶの大変ですよね。集まってきたけど。
坂下:そうまだ佐川急便さんとかもこっちまで来れるようにはなってなかったので。もう1つあのアチーブもやってらっしゃってBNIもやってらっしゃる、あのトヨバックスの宮本さんていう方の、あのガレージもものすごく広いってことで、そこも拠点にしっていただいて、そこからいく人たちをそれぞれ作っていただき、えっと私のVAEに届けてもらったり、避難所とかの縁にある人たちにもどんどん運ぶっていう仕組みがどんどん出来上がって。
高野:それこうなんかいろんな人たちが、自分はこれができるあれができる、あのこれいいようちが引き受けるよみたいな感じで、自然とそういうこう仕組みができてた感じなんですか?
坂下:そうです。その宮本さん自身JPSAの中にスレッドの中にいらっしゃって。でえっと最初の日はここだったんだけども、物がたくさん集まってくるようになるからじゃ宮本さんのとこに集めてと。宮本さんに集まるから何日と何日は自分が行けますよってことでLINEでずっと皆さんやり取りしてくださって。そしてあのJPSAの方です、皆さんがあの運んでくださって、1月の2日から1月の8日までは皆さん正月休みだからということで毎日来てくださいました。
高野:はぁすごい。いいねマークが来てます。あの秋山さんがですね、緊急時のこう優先順位その判断選択って本当にね、想像するだけで難しいですねと。賀英さんが日頃何を大切にしてるか決断力の力だと感じましたっていうところです。
坂下:ありがたいですね。
高野:いやあそうだったんだ。であの割とこうもう本当にこう地震直後から、で少しやっぱ落ち着いてきたぞっていうのって地震発生からこれどれ何日ぐらい経ってからですか?
坂下:そうですね、1月の8日の日ぐらいとかだった。まだちょっと落ち着いてはなかったんですけれども、私のグループのママたち、そのグループのママたちもやっぱり家にその地震の速報だけ見てても辛くなるだけだし、何もすることができないからなんかしたいねって話になって。で坂下家にやっぱ物資を取りにくるのとついでに手伝ってくれるようになったんですね。私集めるのはできるけど仕分けすることは絶対できなかったので、見やすいようにしてあげるねっていうことで、見やすいようにしてくれたりとかっていうことやり取りしていくうちに、みんなどんどん元気になってたんです。誰かのために何かするってことが。なので世間は全然やっぱりまだまだ落ち着いてないんですけれども、やっぱ仲間が集まってあの調理とか、最初何もしてなかったんですけれども、せっかくだったらやっぱみんなであったかいもの食べようよって言って、うちの母が一緒に住んでたので母自身が支援物資で持ってきてくださるものを活用して豚汁作って、おにぎり作って、あのみんなであの電気は通ってるのでそれはできたから、じゃみんなで食べようって言って。で食べてどうだったこうだったって話をしてるうちに、ま本当元気になってきた。じゃこの詰まってる支援物資に対して取りに来てくれる人は増えてきてるけれども、逆に取りに来れない人とかそういう人はいないのかっていうので、みんなで連絡して。赤ちゃんがいる家とか高齢者がいる家とかを、皆さんはあのなんか困ってることない?みたいな、水はある?みたいなこと連絡して、そういうのが動き始めた頃に、だいぶ自分たちの気持ちって変わってきてるなっていうことに気づきまして。
高野:なるほど。だからこう助けられる側じゃなくって、こ助けていく側にみんななってってるっていうことですね。
坂下:私たち自身はやっぱ被災してるので、物があるわけじゃないですけど、届けることはできるよねと。車で動けるようになってきていたからこそ、あの自分の友達で赤ちゃんがいてあのおむつとか足りないから持ってってあげるって言って、持ってったり。そんなことをしてるうちに、ママたち自身があの本当はもう春休み?違うな、冬休みか冬休みが終わって子供たちが学校に行く時期なんだけども、子供たちも学校が休校だから、絶対みんなが一緒にいるっていう空間でちょっとだんだんみんなストレス溜まってきてるんですよね。そのうちに私たちがこのママのケア大事だなっていう風に思って、イベントを作ろうって、これBNIのメンバーに協力していただいて、子供たちのケアのイベントを開こうって言って1月の11日と1月の14日に、あの大きなイベントを開催する企画をしました。
高野:どんなイベントですか?
坂下:11日の日はですね、あの子供たちをあの集めて、外であの本当に走り回っってもらうっていう風に、メンタルケアの高林さんていう先生がいらっしゃって、その先生があの本当に子供たちと一緒に楽しく遊んでくださった、フラフープ持ってきてくださったりとか縄跳び持ってきてくださったりとかして。その時に私たちコタンメンバーは牛丼を作りまして、120食ぐらいですかね、それをみんなで食べるっていうイベントを開催させてもらい、ご機嫌教育というNPO法人立ち上げてる上野さんに力を借りまして、そういったことをあの開催させてもらった。でそこの資金もJPSAの義援金使わせていただきました。
高野:あなるほど。そこでお金を使ってるわけですね。
坂下:そうなんです、そうなんです。お金を使ってもらうところ。そう動ける人みたいな感じでみんなの力をみんな合わさせてもらって、このやつをやりますと。
高野:あそっか。いや私もあのまそんなたくさんじゃないですけど、あの義援金あの入れさせていただいてるんですけど、やっぱね、あのこれで本当にいいのかなと思ってるわけですよ。現地に行ってね、本当はあの色々手伝えばいいけど、なかなかそれもできない中、まできることって言ったらあのわずかにお金をっていうところなんですけど。でもそういう風にちゃんと使われてるっていう風に分かると、やっぱこっちもちょっとあよかった役に立てたみたいな感じがするので、ちょっとほっとしますね。あそうなんだ。
坂下:現地にいるからこその情報があるとか、施設にいるからこそ開催しやすいとか、こんな時期にこれやっていいのかなとかたぶん周りの人だったら考えてしまうと思うんですけど、ここにいるからこそこれやりたいですってことを広瀬さんて方とか中心に、会場に施設にこれ貸していただきたいです交渉してもらったりとか、当時その施設はトイレがもう壊れていたので、トイレをどうするんだと。100人近く来るんだけどトイレどうするんだ問題がありまして。仮設トイレなかなか手配できないっていう話からこれもBNIのメンバーにお願いして、仮設トイレってできますか?みたいなそういう交渉もし、でやっとそこに間に合ったと、その日の朝に間に合ったっていう感じで。
高野:あ良かった。いやちょっといや今日本当におし面白い話っていうか、すごく興味深い話を今私は聞いてるなって思っていて。あのやっぱりね、こう生活であったりとか、こう生きるっていうことが最初はすごく重要なので、その状態が私1ヶ月ぐらいずっと続いてるのかと思ったら、もう10日ぐらい経ってそういうこう楽しい事をやろうっていうことになってるわけですね、現地は。あいやすごく興味深いなと思って聞いてましたね。でそこでのイベントってどんな感じでしたか?
坂下:そうするとやっぱ子供たちが久々に友達と会えたっていうこととか、外で遊ぶってこともみんな危険だから行ってなかったし、家でゲームばっかりしてたんだけども、めちゃめちゃいい笑顔をしてたんですよ、本当に。外の公園めちゃくちゃ晴れてましたし。お母さんたちもあのほぼね皆さんすっぴんですよ、この連日。そうなんだけれどもあのそんな中であのみんなでね集まって、あったかいもの食べて、そして集って喋るだけでどんどん元気が出たって。あそこでご飯食べたことによって、家でご飯作ろうって思えたっていうママさんもいたとか言って。
高野:ああそうなんだ。いやこういうことがそうですよね、その人のこうなんか心を起こしていくっていうか。
坂下:そうですね。そういうイベントの価値って、私結構イベント開催してるんですけれども、この時期にこんだけの人たちとやれるっていうのは七尾の人だけじゃ無理なんですよね。やっぱり県外の方々の協力があってこそのこの開催だなと思って。そっから3日後にも同じように大きなイベントさせてもらって、リアル逃走クエストっていうので150人ぐらい子供たちが来て。もうすっごい楽しかった、もう公園全部使って逃走クエストしてうちの子供たちもゾンビ役やりたいとか、なんかいろんなことやって。もう雪だったんですけど、雪の中でも晴天だっったんですよ。もうついてるな私たちと思ったんですけど。BNIのメンバーの人たちが焼肉、あの本当にバーベキューであったりぜんざいであったり あの唐揚げであったり、あの JPSAのねあの伊沢さんって方が手羽一というね手羽先屋さんやってるんですけど、そこのキッチンカーも出してくださったりとして。炊き出しではないよねこれっていうような炊き出しを行っていただいたって感じです。
高野:それってニュースになりました?
坂下:これはですね、実はですね、ニュースにはなっていなくてですね、新聞には載りました。北国新聞って地元の新聞なんです。11日のそのみんなで牛丼したよとかそういう時は、あのまずそれも地元の新聞の方やってくれたんですけども、たまたまそこを通った朝日新聞の方、あの記者の方が、えこの時期になんでこの子供たちがここに集まってるんだろうって興味深くなって、たまたま公園に入ってきてくださったそうで、で主催者私ですってことで、その新聞社の方連れてきてくださって、でその方がこの1月2日からのこの出来事を聞いてたら坂下さんの家取材したいですって言ってくださって。物資がいっぱいある家に来てくださり、それがあの全国版の新聞に載させてもらったって感じ。すごい大きな新聞に。
高野:いやあ、てこういう話こそ報道してほしいと思う。私あの元々新聞社なんで、こういう話こそ報道するニュースだと私思うんですよ。でやっぱね困ってたりしんどかったりする状況ってこう連日報道されるから、その報道ってめっちゃ重要ですけど、そうじゃなくってちゃんと地元の人が、あのこうね気持ちを自分たちのこう気持ちをちゃんとこう上げるために、こういうイベントごとを企画してやってるって、これねすごいなんかこれからね、多分いろんなとこでまたね、地震とか起こると思うんですけど、ものすごい重要な情報な気がするんですよ。こういうのがやっぱ人をね本当に立ち上がらせていくというか、じゃないですか。だから私今日すごい話を聞いてる気がしてます。いやまそのね、あのま坂下さんという人がいて、でこの方があの本当にこう人的なネットワークを駆使して、で自衛隊よりも国よりも早く、これすごいな。あの地震の次の日の朝にもう物資が届いてると、水も来てると。であのもう2週間待たないうちに、あのこれはこう子供たちとかママたちを元気にしなあかんってことで、イベントを開催し。でもうあの本当炊き出しレベルじゃない要する本当に普通のイベントレベルにいろんなこう時間とかなんかね、出店とか来てるわけですよね。お祭りみたいな感じになってるわけですよね。そういうことが繰り広げてられていったという、ま私が話聞いてても坂下さんあなたは一体何者なんですかっていう風に、あの聞いてみたくなるんですけど。あの坂下さん前々からこういう感じですごく色々、あの人とのネットワークをこう作って、こう活動的にあのやってらっしゃった?こう地元であったりね、こうま貢献というか地元のために何かやったりとか企画したりとか、前々からそんな感じの坂下さんだったんですか?
坂下:うん、私はですね、あの10年前にあの結局アチーブメントっていうところね、あのさっきのJPSAじゃないですか、そこに学ぶ前の私っていう形でしたら、あの本当にただただ3人の子育てしてて忙しいみたいな感じで、どっちかというと何かやりたいんだけれども自分で何でもやれるって思って、空回りしてるタイプっていうのもそうですし、これやってもいいのかなって結構こう周りの目も気にしちゃうっていうとこもあったりとか、判断しにくい人ですね。
高野:あなるほどね。自分が出ていくような感じではなかったんですか?
高野:あの元々バスケットボールをやっていたので、あの活発ではあったんですけれども、やっぱりこう人と何かするのは、だから好きっていうのはあったんですよね。ただ軸がないっていう感じですかね。やっぱ軸がないからその場その場でやりたいことをやっていくって感じだから、形にしてくのが難しかったりとか、やっぱりこう決断の決断がちょっと曖昧であったりとか引っ張る能力がなかったなって思います。
高野:あ、リーダーシップていうところで言うとあんま10年前なかった感じ?
坂下:なんか変なリーダーシップ?今で言ったらね。やりたいと思ってるんだけども最後までやりきれるかといったらそうでもなかったりとか。
高野:あのもしね、ちょっと変な質問するんですけど、もし10年前のそのうん坂下さんが、この1月1日の地震を経験してたらどんな風に動いてたと思います?
坂下:多分、ただただ誰かが何かをしてくれるのを待ってたと思います。
高野:物資がくるのをただ待ってるとか?
坂下:でこれがないあれがないって言って、こうなったらいいよねっていう風になんか文句言ってたかもしれないと。
高野:ああ。いやでも多くの方ってそうだと思ってて。やっぱり大変なね思いをするわけなので、やっぱ国からの物資がね届くの待つだろうし、でなんかこうね誰か手を差し伸べてくれるの待つだろうし、それが普通だと思うんですけど。でも坂下さんはもう非常に今回は能動的に動いていかれてる。もう本当にいろんな人と連絡取って、でこう物資をこう集めそれをこう分散していくっていうところも、たくさんの人の手を借りて。まそれをやっていかれたわけですよね。どうやったら変われるんですか?その10年前の坂下さんが、こう待つだけの坂下さんが、今のような坂下さんにどうやってそうなってったんですか?
坂下:あの目的だと思います。目的、なんか私自身が何かやりたいっていう風に思っていても、自分は一体何のためにこれをやりたいと思ってるのかとかいうのが、若干曖昧だから。曖昧だった時ってやっぱり決断の質っていうのが本当に緩かったと思うんですね。質が悪いというか。だけど自分にとってはやっぱりママの笑顔が子供の笑顔に繋がるっていうことだったりとか、ママ自身が自分で自分の機嫌を良くすることであったりとか、やっぱ家庭を良くするにはママが要だなっていうこととか分かった時に、いかにママが何をするかって大事なんだなっていう風に思ったんですよね。なのでママ自身の判断基準であったりとか、限度であの言語ねどうやって話すかってこともそうですし、そういったことが非常に家庭で要だなって思った時に、自分でもっともっと学んで、そこできるママの見通しになりたいなっていう風に思ったのが10年前だったんですね。
高野:なるほど、なるほど。だから誰かが何かをやってくれたり言ってくれるの待ってるんじゃなくって、ママとして何を言ったりどう動いていくのかってのが大事だって気がつかれたわけですね。
坂下:そうなんですよ。そこができないとなっていうのは、なんか誰か、いつも誰かのせいにしてしまう。旦那さんがこうだから私は不幸なんだとか、子供がいるから私はこうなんだとか。ママだからこうしなきゃいけないんだなっていう風な、なんかいつも何か言い訳があったな。
高野:なるほどね。あのただですね、そこに気がついたとしてもですよ。人って変わるのなかなか難しいんじゃないかと思うんですけど、そこはどうでした?
坂下:なかなか変われなかったんですよ。
高野:ですよね、ですよね。そんなはいめっちゃ判断できる私になります、なれないですよね。多分どうしてったんですか?
坂下:やっぱ私の中では多分そうなりたいっていうこととかもそうですし、あと学んでいくってことも大事にしていきましたし、あとはチャレンジしていくこともママがいるママだからとか子供がいるから諦めるとかそういうことはやめようていう風に思って。あの1つ1つやってこうという風に思ったんです。だから仕事にしてみても何のためにこれやってるのか、ただただ売上あげたいからと思って今までやってたけれども、なんでアルソアの仕事やってんのかとか、なんで健康とか美についてやってるのかという根本的なとをやっぱりまアチーブメントで学び続けながら、自分でブラッシュアップしていって、あのこうなんですか前に進んでいくことを諦めなかった。
高野:はあ、なるほど。ま坂下さんはね今こう美容であったりとか、でこう健康であったりとかっていうお仕事され、私も坂下さんからあのね石鹸をこう買って、こう毎日こう泡立てて、ありがとうありがとうって泡立てて顔を洗ってるわけですが、あの坂下さん何のためにこれをやってるんですか?この仕事をやってらっしゃるんですか?
坂下:私はこの仕事やり続けてる理由は、人の可能性を広げれる人になりたい。その人らしい可能性広げれる人になりたいっていう、そんな目的が自分にはあるなって気づいて。それをこの仕事通してやっていきたい。だから人が喜ぶこともそうですけど、その人が成長することであったり、こんなことできるようになったってことに寄り添うのが好きだなってやってます
高野:なるほどだから ただ単にそのあのスキンケア商品を売って売上をあげるんじゃなくって、人の成長とかその人の可能性がこう花開いていく、そこをサポートしていく、それが本当に仕事の目的。売るんじゃなくて。その先にちゃんと目的があって、それが見つかったっていうことですね。なるほど、この目的が見つかった時に坂下さんはどんな風に変わってったんですか?
坂下:うん、目的が見つかった時に、やっぱり判断基準がそこになるので、あの仕事にするにしてもそう、例えば遊ぶ時もそう、絶対にそこを外さなくなった時に1番自分の軸ができたことがすごく嬉しかったなっていう風に思うんですよね。
高野:目的が見えたってことで、もう自分の生きる人生というのはこの目的に向かうんだというこう軸がポーンとこう通ったわけですか?
坂下:そうです。私のその人生理念という中の1つに自律っていうのがあるんです。律するっていう自律なんですけど、自律っていう文字自身が自分の何か判断する時、選択する時に軸がある人のことやっていう風に教わって。まそういう風な自分もなりたいし、そういう人作りをする。だから誰かに何かしてもらうではなくって、自分でよくしていくっていうことをやっていける人が増えていったら、もっともっとみんな幸せになるだろうなっていう風に思っていて。
高野:なるほど、なるほどなるほど。まそれをまず坂下さんがもう率先してやってるっていうところですよね。で、ちょっとびっくりしたことが、その10年前の坂下さんは地元の七尾市から1人で出たことがなかったっていう風におっしゃってたのが、嘘でしょと思ったんですよ。そうなんですか?
坂下:そうなんですよ。あの県外にはバスケでいろんなとこ行ったことあるんですけど、全てバスで連れてってくれるし、飛行機で行く時も必ず誰かが先頭切って行ってくれるので。そういうことは全然覚えたことがない、ちょっとついてっただけなんですよね。まそういうスタイルでやってたんですけれども、自分自身がそうやって学びを続けようと思った時に1人で大阪に行かなきゃいけないって思った時、本当に初めて行くことになりましたね。
高野:そうだったんだ。どうでした?初めて1人でこうね、七尾市から大阪にこう行かれて。
坂下:まずあのどうやって電車のチケットを取ればいいのか?そしてどうやって宿泊先を選べばいいのか?
高野:そうです。選ぶ基準わかんないですよね。
坂下:地理感覚もないし、どこを探せばいいのって思った時に、そうナビタイムっていうのを教えていただいて、七尾駅からここまで行くにはこれに乗ってけばいいよ何時に乗ればいいよってことが全部出るので、あその通りに行けばいいんだっていうのは分かったんですけど、それをその日迎えるまでに何十回見ました。
高野:あのもしあのお母さん、ママね聞いておられたら、あの坂下さんは10年前あの大阪にどうやって行っていいのかが分からない状態で、何で調べていいのかも分かんなかったから、人からナビタイムってのがあるの聞いて、それ見てもう何十回も見て、頭の中でシミュレーション繰り返し、でようやく大阪に行った10年前の坂下さん。いやそれが今ね、すごいですよ。あの1月2日にあの坂下家は坂下物資センターになって、国や自衛隊よりも早く周りの人たちを助けていかれるっていう、そこにこう立ってらっしゃるっていうのがますごいなと思ってますね。
坂下:いや私がすごくなくて、私が所属している仲間が本当にすごいなっていう風に思いまして。本当にすごいんですよ。
高野:ほうほう、どんな風にすごいんでしょうか?
坂下:やっぱり皆さんねやっぱ何かしたいっていう風に思ってるね思ってくださってると思うんですけど、やっぱそういったコミュニティーを一緒にこうチーム作りっていうのを、今まさに作ったわけではなくて、この何年間かけてみんなで作ってきたなっていう風に思うんですよね。その中で震災を経験したのは私だけじゃないから、みんな初めてだと思うんですよ。自分の仲間が被災している、どうしていいかわからないっていうゼロのとこから、コミュニケーションしていって、それで作ってくださって。でいろんなことを判断してくれるっていうこともそうで、なので本当仲間に恵まれているなっていうのはめちゃくちゃあります。
高野:あのどう何をしたらいいのか?どうやったらいいのかはほぼみんな知らない状態だったわけですよね。でもあのどうやったらできるかどうすればいいのかっていうのを、こうみんなでこうワイワイやってるうちにできるって状況が作られていったという感じですよね。だからノウハウを持ってたわけじゃないわけですよね。
坂下:そうそうそうそうです。そういう風にマニアルがあったわけでもないので、その時その時で問題って起きるんですよ。こんなことになってるどうしよう、こんな風な感情になってるどうしようって言った時に、やっぱりそれを諦めずにどうやったらできるかってことを考えて。この起こして、人の力を借りた。私がいろんなとこに運んでくことなんか無理なので、金沢から持ってきてくれることもなかなか難しく、仕事始ったので難しいけれども、あそっかママたちがお風呂に金沢に行っているから、じゃあその金沢行って帰ってくる時に末広堂さん寄ってくれるの、お風呂帰り用事の時に末広堂さん住所教えて、坂下さんに言われましたって言ったら大丈夫なようにしとくから、みんなちゃんと積んで、自分の家だけじゃなくて2件隣の人の分も積んでみんな帰ってきてね、みたいな感じで。そうやって循環することとかできた時に、なんか本当いろんな人がいろんなアイデアくださったりとかして、
高野:あぁいやもうこの話聞いてると、そのやっぱりいろんなこうノウハウとか、ま手順とかねもちろん重要なんですよ、これが起こったらこうやっていく、ただ不測の事態だったりとかそんな風にいかないことがいっぱい起きるわけですよね。でそれをやっぱり乗り越えていくのは、どうやったらできるのかっていうそこにこうみんなこうアイデアを集中させて、実際動いていくっていうことで、やれるようになっていくていうとこですよね。
坂下:たくさんの人の力を借りて、例えばアルソアの方では皆さんママさんばっかりなので、ママさんて情報を集めるの得意なんですよ。だからグループラインの中でね、この地域でこんなことやってるよとか、ここにあの物資があるよとかそういうことをみんなが発信してくれる。そしてみんなが情報を仕入れてくれて、私に教えてくれる。そこからアイデアが生まれて、こういうことを助けてほしいってことを投げかけてくれる。だから全ての組織、全ての皆がもう本当に一丸となってできた。から今のこの時点でこうやって皆さんと一緒に何かができるようにもなっているなっていう風に思います。
高野:なるほど。これ私あのあれですね、あのこう被災地のこうあのね、こう支援であったりとか、でどういう風にこう現地がこう立ち直っていくのかっていうの研究してる人に、私これを見てもらいたいって今思ってるぐらい、すごく重要な情報だと思ってます。でえっとちょっとね、あのもうまあっという間なんですけど、本当残り時間あと10分になってるので、ちょっと坂下さんにお聞きしたいんですけど、あのま先ほどからね色々な名前が出ているこうまネットワーク、BNIだったりとかあとJPSAだったりとか、まここにいる人たちはやっぱり誰かのために何かをしようっていう風にこう思っているあの方たちが多いので、まだねやっぱなんかしたいだったりとかなんかできることないかと思ってると思うんですよ。これから坂下さんがまそんな方たちに私たち含めて、どんなことをなんかしてほしいだったり、どんな風なとこ助けてほしいと思ってらっしゃったりしますか?
坂下:ありがとうございます。私が実はその2月にもう1個大きなイベントさせてもらった時に、レモンさんと一緒にあのタレントの堀さんであったりとか、あの川口こうへいさんとかを呼んでいただいて、あのモノマネの大会であったり、歌とか歌ってもらった時に、心の支援物資を届けようていうのがメインでさせてもらったんですね。今までは支援物資がメインだったフェーズから、どんどんどんどんフェーズは変わってきてるので、メンタルケアっていうことは、このなくならないと思うんですよね。ここやっぱり数ヶ月ずっとずっと続くと思うんですよね。なので子供たちもママもそうだし、お年寄りの方もだいぶやっぱりこう体の不調であったりとか、メンタルの不調であったりとか、そういったことと、あとやっぱりお家がなくて困ってるって方も、本当たくさん悩みってあるんですよね。それを県外の方たちから自分はこれができるよっていうこととかを、例えば私に直接言ってくださったりして、私がまたそれを誰かに繋げるっていう、私はなんかハブの役割をしてるって感じなんですね。こういうことができるって人がいるから、ここ困っている保育園にこれをお願いしようかなとか。輪島の人たちはまだ水も通っていないし、住むとこもない中ビニールハウスで住んでるといことも聞いてるので、その人たちにこういう人が力を貸したいって言ってるよっていうこととかを、私は繋いでいく役割をしていきたいので。できるなって思う方はあのそれを言ってくださればいいし。あとはこう支援金、あの大きなとこにねこう支援していただくことも重要ですし、私たちのような活動しているところの支援金、支援活動にあの支援金として送ってくださるっていうのもすごく嬉しいですし。ここやっぱりいろんなところでね、あの運動はまだまだ続けていこうっていう風に思ってるので。やっぱり子供たちの未来のためにも、子供たちのケアのことでも、何かできる方もいらっしゃったらお願いしたいしっていうところで。とにかくそういうことをあの朋美さん通じでもいいですし、私が直接繋がってる人だったら、もう遠慮せずに言っていただきたいと思います。あの皆さんなんか大丈夫かな?いいかなって皆さん思うんですけど、言ってください。
高野:もう今それどころじゃないんちゃうみたいな。そんなことはもう遠慮しなくていいと。例えばですよ、例えばですよ、坂下さん。あの私のこあのあまり回らない脳みそで、例えばあの遠方にいるんでオンラインでのことはなんかできるぞと。例えばオンラインでのその体のマッサージ法だったら教えられるよであったりとか、でお子さんへの絵本の読み聞かせやったらできるでとか、こんなんでもいいんですか?
坂下:そうですね。なんかそういうところとかも例えばですけど、学校と今協力したりとか保育園と協力したりとかいろんなことやってるので、あの発想みんななんか豊かにしていきたいと思ってるんですね。だからアイデアいただければ、これどうやったらできるか?さっきのあれと一緒ですね、どうやったらできるかを考えて。
高野:なるほど、こうあのアイデアはあの坂下さんのあのFacebookとかに送ればいい感じ?
坂下:そうですね、それ私に送ってくださるのもそうなんですけど、私はまBNIもそうですけどあのJPSAもそうですけど、この復興支援のことでプロジェクトを組んでるチームがあるんですね。
高野:はいはい、それなんていうなんていうプロジェクトですか?
坂下:BNI内はあの3チャプター合同の能登復興支援っていうプロジェクト、でJPSAの方はあの震災の復興支援っていうま結局同じ名前なんですけど大たい、JPSAがやってるかBNIがやってるかなんですけど。そこのあの自分の身近な人たちに伝えていただくことによっても、一緒に何かやろうかってことを、これからまた組織でやってこうかなっていう風に思ってるんですね。その自分が知ってる方に伝えていただいて、ってことを聞いてるよって、それでも大丈夫です。全然大丈夫。その人が私に言ってくださったら大体能登でやってる人、能登でやってるかま石川金沢のJPSAの人か、BNIだったらミリオネかゴールドバリーかファイアーフライのメンバーの誰かに言っていただくでも全然構わないんですけど。
高野:なるほど。例えばですね、私はま大阪のねチャプターにいるわけですがBNIだと。でうちのチャプターでなんかできること取りまとめて坂下さんに、はいみたいな感じでお伝えしても全然大丈夫?
坂下:はい、ありがたいです。
高野:同じように個人ベースだったら支部ごとに取りまとめて、はいみたいな感じで?
坂下:OneToOneで色々やってくってなったら結構な時間かかるかなって思うので、何かこまとめていただいて、これをね優先順位で、今のフェーズだったらこれ必要かもしれないみたいなこととかで。本当に前も集まりに行った時とかでも、やっぱり夏目さんっていうミュージカルやってらっしゃる方が、あのそういうことを東北でやったことがあるよっていう形で、じゃぜひやってほしいですとか。そういう案をいただいとくと、何かこれやろうかなって時に、あの人に頼めばいいなっていうことになるので。
高野:なんかすごい、すごい情報ストックになりそうですね。それすごいな。
坂下:今度はあの、今度世界大会でもその優勝とかをさせていただいていたそのシンクロの井村コーチがあのBNIのフォーラムでお会いさせていただいて、その方も何かしたいから何でもやるからねって言ってくださって。私あのそういうこと言われたら、もう絶対連絡する人なんですよ。なので能登来てください七尾来てくださいっていう風にメールしまして。もうぜひ、ぜひやりましょうって言ってくださって、5月の11 と12日に七尾と輪島に来てくださるっていう。だから直接こうやって話しさせていただくと絶対実行するタイプなので。
高野:さすが、その辺がすごいなと思うんですけど。さすがです。なるほど、なのであのBNI メンバーの皆さん、そしてJPSAの皆さん、ご自身のチャプターあるいはJPSAだったら支部会で、あの本当に能登のためにこうできること、自分ができることでいいですよね、の情報取りまとめて、坂下さんに送ってください。
坂下:お待ちしてます。
高野:求めていらっしゃること…あなんか来た、来たこういいねとかめっちゃ来た、めっちゃ来た。なのではい皆さんよろしくお願いします。ちょっとはいあの残りが少なくなってきたんで、時間が少なくなってきたんですが、私もですねこう何かできることがないかなということで、ただですねあの現地に行ってこう何かをすると私あのぎっくり腰をすぐあのやってしまうので、なんていうのがあり、あとま私島根県にいるのでね、なかなか遠くていけないんですが、な私ができることは、私やっぱ想いの見える化と発信っっていうところは仕事でやってるんで、一番得意とするところなんですよ。で、坂下さんがあの今までね、この10年前のこう坂下さんから今までこう歩いて来られた道のりと、そしてこの震災が起こってからされてった、もう大活躍ですよね。この道のりですよね。これってね、今自分にはあのそんなにすごいことできないだったりとか、自分なんてそんなあのね大したもんじゃないから人を助けたくてもできないんだよっていう風に思ってる人の、私は勇気になると思ってるんですよ。七尾市から出たことがなかったひとりで、坂下さんが今こんな風に本当にこう現地の方たちの心と本当に心と体と本当こう生きる術みたいなところの大きな力になってるわけですよね。そんな風になれるよっていう大きな力になるという風に思っているので。私はですね、あのまあ経営者専門ライターなんですけど私。坂下さんの本を出したいという風に思っています。でこう坂下さんがこう本当に歩いてきた道のり、こうストーリーとして皆さんに発信する。これによって、いや自分なんてって思ってる人が自分にもできるっていう風に思ってもらうことって、私はこれからのこうあのまなんかこう災害が起きたりとかそういうことだけではなくて、すごくこう日本の力になるっていう風に思ってるので、是非坂下さんの本をこう出そうという風にこの前あの言ったら、坂下さんがなんてことを言うんだこの人はと思ったらしくて。ただ私の中では本当にこれはもう坂下さんの本を作るのが私の使命やぐらいに思ったので、ちょっとね本当に本を作ろうという風に思います。でこれあのクラウドファンディングでちょっとこう出版のためのね資金を集めようという風に思うので、あのクラウドファンディングまたスタートする時皆さんにこうお伝えするので、是非ねお力を借りれればなという風に思います。でいっぱいお金が集まった、もうめっちゃ集まったら、もう全部のね坂下さんがこうやりたいイベントをやっていただくための資金だったりとかね、他に何かこう助けが必要だったらそっちに使っていただくとかっていう風にしたいなという風に思っていますので、あの皆さん是非ねお力をお借りできればなという風に思っています。はいということであっという間の1時間でございました。で坂下さんこれですね、あのYouTubeにアップしますので、あのその録画またお送りします。でこれあの好きなように使っていただいていいので、あちこちで好きなように使っていただければなという風に思いますので、はいあの是非ね、坂下さんの役に立てていただけたらなという風に思います。
坂下:ありがとうございます。
高野:はい、じゃあすいません、ちょっと最後にあのま見てらっしゃる方に一言なんかメッセージをちょっといただけると嬉しいなと思うんですが。
坂下:はい、ありがとうございます。この今日はね私がこの経験させていただいたことをお話しさせていただいたんですけれども、ま皆さんにとっても震災がそこであるかないか関係なしにいろんなことに共通することってあったんじゃないかなっていう風に思うんですね。特にやっぱり今までいろんなことやってらっしゃる方はあの共感すること私たくさんあると思いますので、もしあの悩んでるとかいろんなことありましたら教えていただきたいなっていう風に、何が力になれるかなっていう風に思います。あとはこれからですね、能登の復興支援もまだまだ続けていきたいなっていう風に思ってるので、私的にはさっきあのお話させてもらった通り、皆さんの力とか皆さんのその資金もそうですしあの本当に皆さんの力によってこうやってさせてもらっている。自分は持ってないんだけども持ってる人と一緒になってこうやってできるってことが本当に宝だなっていう風に思って、これを大型のワークショップと捉えまして…
高野:おすごい捉え方、すごい捉え方、巨大ワークショップですね
坂下:これそうこれレモンさんに教えてもらったんですけど、なんかそうやって捉えることによっていろんな物事もチャレンジしていけるようになるっていう風に教えてもらったので是非皆さんの周りもそういうことが起きた時、あのこういうワークショップなんだなと捉えてチャレンジして欲しいなていう風に思います。
高野:ワークショップ。皆さんワークショップです、楽しんでいきましょう…ゆうたら怒られそう、までもいい。ワークショップ楽しんでいきましょうということで今日は坂下さんに来ていただいて、はい能登の今と、そして能登のこれからのために何ができるのかというのを、何をして欲しいのかというのを、お聞きしました。はいいや今日坂下さん本当大変なところありがとうございました。もうめちゃくちゃいい話を聞かせていただきました。ありがとうございました。
坂下:ありがとうございました。
高野:視聴者の皆さんもありがとうございました。またトークライブでお会いしましょう。はいさようなら、ありがとうございます。
坂下:ありがとうございます。
高野:はい、終了です。
坂下:ありがとうございます。
高野:いやーめちゃくちゃいい話だわ。

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