見出し画像

ゆあさみちる 「温泉みたいに人を癒して温められる人になります」

「泣きながらTokyo」「愛しいひと」「星月夜」、2ヵ月に1曲のペースでリリース

「おまえは歌以外で何をして生きていくつもりだ!?」

――今回のインタビューは、5月に発売された「泣きながらTokyo」(作詞作曲:花岡優平、編曲:中村力哉)を聴いて「この人に話を聞いてみたい」と思ったところから機会をいただいたものなんですが、この記事の公開前に「愛しいひと」(作詞:紙中礼子、作曲:永島 広、編曲:川村栄二)「星月夜」(作詞:夏海裕子、作曲:花岡優平、編曲:中村力哉)と新曲が2作リリースされて、このスピード感は何!?と驚いています。
ゆあさ 今の時代にはあまりないから、2ヵ月に1曲のペースで出していきたいねって話していて。
――2ヵ月に1曲!?
ゆあさ できるだけ、ゆあさみちるの世界に触れていただきたいということで、花岡(優平)先生が企画してくださいました。私も最初に聞いた時は驚きましたけど、ただもう嬉しいだけです(笑)。実はデビューするまでに時間が掛かったこともあって、オリジナル曲をたくさん作っていただいていたんです。「私の花」(作詞:紙中礼子、作曲:花岡優平、編曲:猪股義周)でデビューしましたけど、ちょうどコロナ禍と重なってしまって次をリリースすることができなかったのが、今年に入ってまた活動できるようになってきたものですから、配信シングルという形でどんどん聴いていただこうということで進めています。

「私は歌で生きていく!」

――作家の方は、言ってみれば自分の命を削って歌を作るわけですよね。それでも、ゆあささんは花岡先生をはじめとした作詞家、作曲家の方にたくさんの歌を作りたいと思わせたわけですから、表現者として大変な才能や魅力を持っているんだと思います。
ゆあさ ありがとうございます! 自信はないんですけど、花岡先生をはじめとした作家の皆さんが私を認めて応援してくださっているということでは胸を張れます。花岡先生に指導していただくようになってからも私には足りないものや知らないことが沢山あって、先生を怒らせたり困らせたりしたことがいっぱいあったんです、「もう辞めちまえ!」なんて言われることも何回もあって。でも、そのたびに心からお詫びすると「じゃぁ、次がんばれ!」って言ってくださって、「あぁ、この人はまだ私の歌を信じてくれている!」って思えて、人を信じることができずに生きてきていたので、その分ありがたくて、私も先生を信じようって純粋に思えています。
――素晴らしい師弟関係ですね。
ゆあさ 本当に縁に恵まれたと思います。「おまえは歌以外で何をして生きていくつもりだ!?」って言われて、だから自信を持って歌を磨いていけ!ってことだと捉えて頑張ってるんですけど、同時に「歌以外には何もない」って否定されてるって思うこともありつつ(笑)、応援してくださるファンの方も増えてきたので、もう言われたまま「私は歌で生きていく!」って気持ちを固めてます。

「あ、これ、やりたい!」

――ゆあささんはご自分でも歌を作られます。「私の花」のカップリング「花の名前」(作詞作曲:ゆあさみちる、編曲:中村力哉)はとても良い曲だと思いました。個性的なメロディーラインがあって、アメリカやイギリスのポップスに通じるものを感じました。歌うだけでなく曲作りでも大いに才能を発揮してほしいと思います。
ゆあさ ありがとうございます。実は私のマネージャーも私が作った曲をすごく褒めてくれて、「花の名前」がデビュー曲のカップリングに決まったのも、彼女のお蔭だったんです。初めは「こちらをメイン曲で!」って推していたくらいで(笑)。
――師匠にもスタッフにも恵まれていますね。持っている才能は惜しむことなく、いくつでも出していくべきだと思います。では、音楽や歌との出会いから以降の歩みを伺わせてください。
ゆあさ 音楽との出会いは、母が原点です。私がお腹の中にいる時からショパンやドビュッシーなどのクラシックを聴かせていたそうです。母は以前にピアノを習っていたので、私にも習わせたいということで4歳から教室に通わせたんですが、私は全くピアノに興味が湧かなくて、弾かせたい母と弾きたくない私が喧嘩みたいになることもありました。でも、そういう経験がなかったら今の私はないので、母の存在はとても大きいと思います。それでもピアノは一向に楽しいと思えるようにならなくて、レッスン中に眠くなるようなこともよくあったんですけど、最後にみんなでお別れの歌をうたう時だけは楽しくて、歌は好きだなーってずっと思ってました。そうしたらピアノの先生がそれに気付かれたんですね。「みちるさんは歌には興味があるのね。実は私、オペラに出演するから一度観に来てみない?」って言われて、初めて本格的な歌を生で聴くという体験をしたんです。中学に入ったばかりの頃でしたね。そうしたら先生が本当に素敵なドレスで登場されて、その姿を見て、私は「あ、これ、やりたい!」って思ったんです。歌より衣装に惹きつけられたのが正直なところなんですけど、声楽を初めて聴かせてくれたピアノの先生には大変感謝しています、先生がステージで歌うことの醍醐味を教えてくださったので。そして私は母に頼んで、ピアノもやめないという条件付きで中2の時からイタリア歌曲の教室にも通わせてもらうようになりました。母は厳しい面もありましたけど、ピアノや歌で少しでも良いところがあると褒めてくれて、私はそれがとても嬉しかったので、中学からは吹奏楽部にも入って、自分が他のことよりは好きで得意かも知れないと思える音楽にずっと関わってきました。

自分の歌に人を感動させるような力があるなら

――高校1年の時には『NHKのど自慢』に出場されたんですね?
ゆあさ 同じ吹奏楽部の友だちに「イタリア語の歌もいいんだけど、あなたは日本語でポップスも歌わないと勿体ない。コレに出なさい!」って、携帯に応募方法を撮った写メを送ってきたんです。イタリア歌曲の発表会では人前で歌っていて、私の歌を聴いて泣いている人がいたなんていう話を聞いたりもしてたんですけど自信はなくて、それでももし自分の歌に人を感動させるような力があるなら試してみたいという気持ちになって、それで出場してみたんです。その時は“今週のチャンピオン”になりましたが、グランドチャンピオン大会には出場できなかったので、高2の時に『全国高校生ボーカリスト大会』に出て、3年の時にはリベンジしたいと思って“のど自慢”に2度目の出場をしました。この時はグランドチャンピオン大会に出場できて優秀賞をいただきました。
――今のゆあささんを作る上で、吹奏楽部の友だちの言葉がとても大きかったと思いますし、高校時代に大切な出会いも経験されているんですね。
ゆあさ 『全国高校生ボーカリスト大会』出場をきっかけに佐久間正英さんと知り合えたことはとても大きかったですし、秋元順子さんの歌を通して花岡優平先生の作品に触れられたのも高校生の時ですから、本当に私にとっては大切な時期だったと思います。

心に穴が空いたようになっている中で…

――上京のきっかけは佐久間さんだったんですね?
ゆあさ そうです。「英語の歌をうたって世界に向けて発信していきましょう」って言っていただいて。でも佐久間さんは私が何らかの結果を出す前にスキルス性の胃がんで亡くなってしまいました、「ごめん、僕、間に合わない。だから、みちるちゃんは自分の好きな歌をうたっていってください」って言葉を遺して。私は佐久間さんを頼って上京していたので、亡くなった時はお祭りの人混みで手をつないでいたお父さんとはぐれてしまったような気持ちになりました。
――それは不安な状況でしたね。
ゆあさ 挫折と言ってもよかったと思います。私は夢を実現できない。諦めた方がいいんじゃないかって考えました。
――しかし諦めなかった。
ゆあさ 心に穴が空いたようになっている中で、順子さんの歌を聴いたんです。そうしたらやっぱり強く気持ちを動かされて、その時に順子さんの歌の力はもちろんなんですけど、花岡先生が作られている作品に惹きつけられていることに気付いたんです。それは私が好きな宝塚にも通じるドラマチックな世界で、私はそこに自分の可能性を賭けたいと思いました。
――向かうべき方向が定まったんですね。
ゆあさ その頃、私は町田という所に住んで、クラブで歌って接客もしていたんですけど、思い切って環境を変えて気持ちも切り替えるつもりで、仕事を辞めて住まいも替えました。
――そのタイミングで奇跡的な出会いに恵まれた。
ゆあさ そうなんです。花岡先生が良く顔を出すお店を知っているから、そこで勤めながらチャンスを待ってみたら?っていう方と会えて。でも、当時の私は今より20kgほど太っていて、その見た目では駄目だからヤル気を見せてもらうためにも10kgは痩せなさいって言われて、食べる量を減らしたので具合が悪くなったりしながら、なんとか痩せて機会を待ちました。
――そうしたら想いが通じて会うことができた。
ゆあさ 初めは目も合わせていただけなかったんですけど、お店のママに紹介してもらって、自分の気持ちをお伝えして歌を聴いてもらったんです。そうしたら「君は…」って思い出してくださって。実は私が世間の常識というものを知らなかったせいなんですけど、それより5年くらい前に、当時は佐久間さんのプロデュースでデビューの準備を進めていながら、順子さんの曲を作っている作家の方だから、歌を教えていただきたいっていう、良く言えば純粋な、悪く言えば全く自分勝手な考えで先生に会っていたんです。そして、佐久間さんの存在があるのに、割り込むわけにはいかないって断られていたんです。だから、その時お目にかかったのは2度目だったんですけど、私はもうこれが最後のチャンスだと覚悟してましたし、その分必死だったと思います。先生が改めて歌を聴いてみようって言ってくださって、後日スタジオで歌いました。幸い結果はOKでしたので、どうか先生の曲でデビューさせてくださいとお願いして、レッスンに励んだんですけど、先生が言うには、ゆあさは歌だけじゃない、何から何まで出来ていないから、考え方も根性も叩き直すとおっしゃって、本当に細かなことから歌のことではない、人として必要なことなども含めて教えていただいてきました。

「一度東京に来てみない?」

――ゆあささんを指導するのは花岡先生にとってとてもエネルギーの要ることだったと思いますが、それでも引き受けられたということは、ゆあささんを磨くべき素材として認められたということですよね。
ゆあさ ありがたいことに…。先生は歌だけではない、私にとって人生の師匠だと思います。
――花岡先生に師事できたことは、ゆあささんにとって一番の幸運だったと思いますが、現在に至る過程において佐久間さんと出会えたことも大きな意味のあることだったと思います。佐久間さんと言えばBOOWY、THE BLUE HEARTS、GLAYなどを手掛けた有名プロデューサーでした。どのような経緯で声を掛けてもらったんでしょう?
ゆあさ 高2の時に『全国高校生ボーカリスト大会』に出たって言いまいしたけど、その大会を主催していた専門学校の先生が、「君の歌はとても良いから、うちの学校の特別講師をしてもらっている佐久間正英さんに紹介してみようと思うんだけど」って言ってくださったんです。私自身はその頃まだ歌手になって人前で歌う覚悟ができていなくて、できれば顔を出さずに声だけでできるアナウンスの仕事などに就けたらと思っていましたし、佐久間さんがプロデュースした方々についても詳しく知らなかったので、初めはあまりピンと来ていなかったというのが正直なところなんですけど、両親に話したら母が「あのBOOWYのプロデューサーよ!」なんて興奮気味に喜びまして(笑)、それで私の歌を録音したものを送って聴いていただいたところ「一度東京に来てみない?」って連絡をいただいたんです。
――それはつまり、その時点で佐久間さんに才能を認められたということだと思いますが、ゆあささん自身はそれに気付いていない。元々引っ込み思案だったり、自分に自信が持てなかったりするタイプの方だったんでしょうか?
ゆあさ 根本は人を喜ばせたい、笑わせたいって思っている人間なんですけど、生まれ育った環境の中では、ちょっと目立ったことをすると叩かれたりいじめられたりすることが多くて、そういう経験がいつの間にか自分を抑え込む傾向を生んでいて、また他人をなかなか信じられない感覚を植え付けた気がします。そして、それが私が歌う理由になっていて、同時に歌を邪魔するものにもなっています。

カーペンターズが好きだったんです

――宝塚の男役のようなカッコイイ印象のゆあささんですが、YouTubeの公式チャンネルでは「ど~ん!丼!DON!」なんてフレーズで意外な面白キャラも披露されています。つまり、あれが本来の姿で、歌や歌手活動を通してそれを出せるようになってきたということなんですね?
ゆあさ まさにその通りです。ただ「ど~ん!丼!DON!」も単純に視聴者を楽しませたいという気持ちだけで始めたわけではなくて、最初のうちは動画を公開することでどんな反響があるか怖かったのを高めのテンションで乗り切るための一つの方法だったんです。
――元々は人を楽しませることの好きな、大らかな性格の人だったのが、少女時代の経験によって屈折が生じてしまい、それを歌で矯正してきたというところでしょうか。
ゆあさ 合っていると思います。
――ところで少女の頃の経験と言えばクラシックやイタリア歌曲に触れたことが大きくて、そういったものがゆあささんの“和”よりも“洋”のイメージの音楽性を作っているんだと思いますが。
ゆあさ カーペンターズが好きだったんです。だから学校で嫌なことがあったら家に帰ってからずっとカーペンターズを聴いて心を浄化させていました。

“令和ドラマチック”

――ゆあささんには豊かな感性が備わっていて、それゆえに人の言葉に深く傷付きもしたし、カーペンターズや秋元順子さんの歌に救われたんでしょうね。ゆあささんの歌には言葉ではなく感覚で深く訴えてくるものがあって、簡単に言うとどの歌を聴いてもドラマチックに感じられます。それで大正ロマンとか昭和レトロみたいに“令和ドラマチック”というコピーを思い付いてしまいました。
ゆあさ …気に入っちゃった(笑)。嬉しいです。
――ドラマチックなのはオリジナルだけではなく、カバーも同じです。YouTubeの“ゆあさみちる公式チャンネル”で公開されているカバー曲の動画をいろいろ見せていただきましたが、どれもドラマチックで、しかもアレンジが秀逸なのでゆあささんならではの歌になっていると思いました。
ゆあさ 貴重なお言葉をありがとうございます。カバー曲の時は、誰かの有名な曲じゃなくて、ゆあさみちるのオリジナルかな?と思っていただけるような届け方をしたいと思っているので、そんな風に感じていただけて本当に嬉しいです。

温泉析出物を見るのが好きなんです

――ゆあささんは、歌うこと、曲を作ることだけでなく、話しても面白いし、お酒が大好きで、温泉に詳しいと、いろいろな面を持っています。見る角度によって色が変わる宝石のようで興味が湧きます。
ゆあさ そんなに褒められて私、大丈夫でしょうか(笑)?
――とても個人的な見解なので、あまり深くは考えないでください。無責任ではないつもりですが。
ゆあさ いや、大事に胸にしまわせていただきます。
――温泉については“温泉マイスター(大分県が「温泉の魅力を世界に発信できる人材を育成する」ために2006年2月に始めた県知事による認証制度)”の資格を持っているんですよね?
ゆあさ はい。高校は推薦で入ったので、自動車免許を取った時以来の本格的な受験勉強をしました。私、温泉析出物(温泉水の中に溶け込んでいた成分が、温度の低下や、圧力の低減、空気との接触による酸化、水素イオン濃度の変化などによって沈殿・析出・固形化したもの。湯の華とも)を見るのが好きなんです。別府温泉で仕事をする機会が多くなったのをきっかけに、温泉析出物を目にすることが多くなったんですけど、もう「美しい!」って思って、いつまででも眺めていられる感じです。
――見事な感性ですね(笑)。“温泉析出物”という言葉は初めて耳にしましたし、それを愛でる人がいることに新鮮な驚きを感じました。
ゆあさ 少しマイスターの仕事ができたかな(笑)?
――できてます。面白いこと、興味深いことを知ることができて、ゆあささんのインタビューができたことを幸せに感じています。やはり、ゆあささんには歌以外にも光るものがあるんだろうと思います。
ゆあさ そんな風に言ってもらえて、なんだか感動します。今日はそういう日なのかな…?
――ゆあささんが気付いていないだけで、今日がそういう日なのではなく、今までもこれからもずっとゆあささんはそういう人なんでしょう。あとは花岡先生の教えに従って、自信を持って自分を磨いていかれれば、ゆあささん自身が温泉析出物のように美しい存在になれるんではありませんか?
ゆあさ うわ、上手いこと言うし、泣ける(笑)。ありがとうございます。私自身が温泉みたいに人を癒して温められる人になります。皆さん、ゆあさみちるに注目していてください!
――楽しみに活動を追わせていただきます。ありがとうございました。

Twitter https://twitter.com/michiru_uta

Facebook https://www.facebook.com/YUASA.Michiru/?locale=ja_JP

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?