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謝鳴(シャメイ) 新曲「Tokyoに傷ついて」(作詞作曲:荒木とよひさ、編曲:矢田部 正)のヒットと、日中の架け橋になることを目標に!

私は夢を信じて歌っていきます

「Tokyoに傷ついて」には深いメッセージもあるから感動しました

――新曲の「Tokyoに傷ついて」は荒木とよひささんが作詞だけでなく作曲もされています。5月に都内で開かれた謝鳴さんのディナーショーにもゲスト出演されていて、荒木さんが謝鳴さんを熱心に応援されているのを感じました。
謝鳴 本当にありがたいです。先生とは2015年に発売した「白い夜明け」を作詞していただいた時からのご縁です。今回ようやくコロナ禍が収まりそうになったので新曲を出したいと思って担当のディレクターと話す中で、私から荒木先生にお願いしたいって言いました。それで直接先生にご挨拶に伺って、いろいろお話しさせていただいて曲のアイディアなどを練っていただきました。そうしたら2週間くらいで曲が出来上がってきたので驚いてしまいました。
――荒木さんと会って話されたのは初めてだったんですか?
謝鳴 そうです。
――作曲までされたりディナーショーに出演されたりしているので、お二人は長いお付き合いなんだろうと思っていました。
謝鳴 違います。でも、先生は中国の大連でお生まれになっているので、それで私を応援してあげようと思ってくださったんだと思います。
――「Tokyoに傷ついて」を初めて聴いた時の印象は?
謝鳴 歌詞は深い内容なので初めは意味がわからなかったです。でもメロディーがきれいで覚えやすいからみんなが好きになってくれると思いました。それで詞はディレクターから説明してもらいましたけど、ドラマがあって深いメッセージもあるから感動しました。
――それでは気持ちよくレコーディングできましたね。
謝鳴 いいえ、難しかったです。私は今までゆっくりした曲調の歌をうたうことが多かったので、今回のようなテンポの歌は慣れていなくて。本当はプロだからそんなこと言ってはいけないんですけど(笑)、間延びした感じになってしまって何回も歌い直しました。あとは発音ですね。「に」とか「は」をハッキリ歌ってくださいと言われました。
――まだ日本語は難しいですか?
謝鳴 はい。自分では間違っていた発音が直ってきたと思っていても注意されることがあって、上手になるのは大変です。
――歌を聴かせていただいたところでは、日本語がとてもきれいでしたので意外です。
謝鳴 歌う時は一生懸命練習しましたから。私が使っている中国語は上海語で、他の広東や福建の言葉に比べると日本語と馴染みやすい所があると思うので、もっと上手になりたいです。

なぜ日本で歌手活動をしようと思ったか?

――さて、謝鳴さんにお話を伺うに当たって最も知りたかったのは、中国でデビューしてスターの座を約束されていたにも関わらず、なぜ日本で歌手活動をしようと思ったか?ということなんですが。
謝鳴 当時、中国ではテレサ・テンさんや、山口百恵さん、西城秀樹さんといった人たちの歌が流行っていたんです。でも中国語に直して歌われていて、元は日本の歌だということを知らない人がほとんどでした。私もそうでしたけど、日本から帰ってきた友だちが、「コレもコレも日本の歌だよ」って教えてくれて、びっくりしたのと同時に日本への憧れの気持ちが強くなって、違う国で歌や文化を勉強したいと思うようになりました。
――しかし、日本に来ても想うような活動ができるとは限りません。不安はありませんでしたか?
謝鳴 若かったですから…(笑)。それに弟が先に来日していたし、日本で生活している友だちも多かったので、あまり心配はしていませんでした。ただ日本語は話せないと困るので、アルバイトをしながらまず日本語学校に通いました。
――日本に来てからデビューするまでには何年かかったんでしょう?
謝鳴 私は1988年に日本に来て、デビューしたのは2002年ですから14年くらいかかりました。
――長かったですねぇ…。それまではどんな仕事をされていました?
謝鳴 お皿洗いとかいろいろやりましたけど、一番長かったのはクラブで歌う仕事でした。日本語を覚えるには日本語の歌をうたうのが一番だったんです。それで新宿で台湾人のママが経営するお店で働いていたら、気に入ってもらえて共同経営者になって、1992年には自分のお店を持つようになりました。
――歌の道とは別の所で成功していたんですね。するとデビューの夢を叶えるまでに時間はかかったけれど、日本に来てから、あまり苦労したことはありませんでしたか?
謝鳴 大きな失敗はないけれど、苦労はしました。特に来たばかりの頃はアルバイトをしながら日本語学校に通っていたので寝る時間がありませんでした。そのうちに歌がうたえて日本語も覚えられるからということでクラブで働くことにしました。

帰りたいけど帰れませんでした

――’91年と’94年に中国でアルバムを出していますよね?
謝鳴 はい、中国での歌手の仕事もあって、日本と中国を行ったり来たりしていました。
――アルバムを出せるというのは、それだけ国民に支持されているということですよね。謝鳴さんの累計レコード売り上げは中国で100万枚を超えているそうですが、それだけの人気があったらファンや現地スタッフは帰国して中国での活動に本腰を入れてほしいと思っていたでしょう。
謝鳴 それはありましたし、私自身、何度か諦めて帰ろうかと思いました。でも、そのたびに初めて日本に来た時の気持ちを思い出して、帰りたいけど帰れませんでした。
――中国でプロ歌手になるには国の審査を通過して認められる必要があるそうで、そんな難関を突破してデビューしていたのに、日本での活動を求めたのは、とてもリスクの大きなことだったと思います。
謝鳴 夢の力が大きかったですね。

2023年5月8日に東京・ホテルメトロポリタン池袋で開かれた
『謝鳴プレミアムディナーショー』で。中央が荒木とよひさ氏、右は司会を務めた荒木由美子。

中国と日本の歌謡界の違いに戸惑うことも

――デビューのきっかけは?
謝鳴 新宿のお店で女の子をたくさん使いながらママとして教育もしたし、経営のことも考えて、同時に生バンドの演奏で歌もうたっていました。そのお客さんの中に作曲家の泉盛 望先生がいて、私の声を気に入っていつも聴きに来てくれていたんです。そしてある時「CDを出しませんか?」と言っていただきました。やっと夢が叶うと思って嬉しかった。
――出会いに恵まれましたね。
謝鳴 本当に良い人と巡り会えました。諦めないで頑張っていてよかったです。デビュー曲を最初に歌ったのは自分のお店で、まだ発売前でしたけど披露したらお客さんもお店のスタッフもみんなが本当に喜んでくれて感激しました。
――そこから着実に日本でもファンを増やしてこられましたが、中国の歌謡界との違いに戸惑うようなことはありませんでしたか?
謝鳴 ありました。中国では私たちは国営の会社に所属していて、CDはその会社が売ってくれます。だから私たち歌手が自分でキャンペーンをしたりCDを売ったりすることはありません。それから人口が多いので日本とは売れる規模が違います。今、日本で10万枚売るのは大変ですけど、中国では50万枚くらいのヒットは珍しくありません。
――それだけを聞くと中国だけで活動していた方が安定して楽な気がしてしまいますが…。
謝鳴 ただ人が多いから、自分のことを見つけて選んでもらうのも大変です。競争がとても激しい。それから日本だとヒットが出れば長く歌っていられますけど、中国では人気の移り変わりが早くて、例え人気が出たとしても努力しなかったら2年くらいで消えてしまう。そして40代くらいになったらもうほとんどテレビ番組には出してもらえません。
――厳しいですね。しかし、その中で謝鳴さんは’86年から現在まで歌手活動を続けていて、今年も夏に中国でテレビ出演などされてきたんですよね?
謝鳴 はい、コロナが流行していたせいで1月に母が亡くなった時も帰れなかったから、3年ぶりの帰国でした。上海テレビの番組に出たり、これから先のコンサートの準備などをしてきました。
――つまり謝鳴さんは、とても珍しい方なんですね。
謝鳴 そうですね、ありがとうございます(笑)。

みんなにどうか夢を諦めないでと言いたいです

――珍しいと言えば、もう一つ。中国で公演などされる時は、オリジナルもカバーも日本の歌を日本語で歌われるとか?
謝鳴 そうです。やっぱり私が好きになった日本の歌の魅力を知ってほしいと思います。中国語で歌うこともありますけど、できるだけ日本語の響きも伝わってほしいです。
――日本人には嬉しい言葉ですね。
謝鳴 今、一つの夢は荒木先生がとても良い曲をくださったので「Tokyoに傷ついて」をヒットさせることですけど、もう一つの夢は、歌を通して日本と中国の架け橋になることです。
――政治の方面では必ずしも関係が良好とは言い切れない日中ですが、だからこそ民間レベルでの交流は大事ですよね。謝鳴さんの活躍にも大いに期待したいと思います。
謝鳴 夢を叶えるのは簡単ではありません。歌をヒットさせたくても、日本では以前よりCDが売れなくなっているから大変です。だから今はどんな小さな場所でも私の歌を聴いてくれるなら、どこへでも歌いに行きたいと思っています。でも、大変なのは私だけじゃないし、売れなくなって大変なのは歌の世界だけではなくて、今の時代、みんな大変です。中国だってみんながお金をたくさん持っているわけじゃなくて、困っている人もいっぱいいます。だから私はみんなにどうか夢を諦めないでと言いたいです。国の関係だって、みんなが諦めなければ変えられると信じています。
――実際に自分の夢を叶えた謝鳴さんの言葉だから説得力を感じます。何度か夢を諦めて中国へ帰ろうと思ったけれど、帰れなかったと言いましたが、諦めずに頑張る強さはどこから?
謝鳴 きっと叶えられると自分を信じることだと思います。自分に都合のいいように言い訳を考えれば、いくらでも諦められますけど、それは逃げていることだと思います。厳しくても最後まで諦めなければ必ず叶いますから、みんな諦めないで自分の夢を叶えて、そして日本と中国だけではなくて、世界のいろいろな国が仲良くなってほしいと思います。一人の歌手には大き過ぎる夢かも知れませんけど、大河も一滴のしずくからという言葉がありますから、私は信じて歌っていきます。
――素敵なお話をありがとうございました。
謝鳴 こちらこそ、ありがとうございます。これからも応援してください。頑張ります!

Instagram https://www.instagram.com/xieming1936/

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