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幼時の衣食と利き手-自分史メモ

昭和30年代、東京の東端に住んでいた自分の服装や食べ物を思い出してみた。もうひとつ、利き手についても書いておく。

服装・髪型

普段着は洋服、ブラウスにズボン、カーディガン、冬はオーバー(コート)という感じだった。夏やお出かけのときはスカート、ワンピース。

髪型はショートカット。美容院ではなく床屋さん(理容院)でやってもらっていた。ズボンをはいているとよく男の子に間違われた。

靴はだいたい運動靴。ヒモ結びでない、学校の上履きのような感じの靴。雨が降ると長靴。家の前の道は舗装されていなかった。夏はサンダルだったかもしれない。お出かけのときはエナメルの靴。

食べ物

ほぼ毎食ご飯。小さい頃はかまどがあったらしいが覚えていない。電気炊飯器になったのは幼稚園か小学校低学年ぐらい。木の「おひつ」があった。
家のご飯は軟らかめで、好きではなかった。

味噌汁を「おつけ」と呼んでいた。ネギのジャリジャリした舌触りが嫌いだった。あさりは砂を噛んでしまう可能性があるからいやだった。味噌は信州味噌。黄色いアルマイトの両手鍋で作られていた。

漬物は「お新香」と呼ばれる白菜の浅漬けなどが多かったが、総じて好きではなかった。そもそも野菜が苦手だった。ホウレンソウのゴマ和え、小松菜の味噌汁や煮物。トマトは当時砂糖をつけて食べるものだったが、それでもヌルヌルがいやだった。

牛乳は好きでよく飲んだ。牛乳屋さんが毎日玄関先の「牛乳箱」に配達してくれていた。卵も多分嫌いではなかった。魚は骨が嫌だった。

こうしてみると、嫌いな食べ物は味より口触りの方を気にしていたのかもしれない。不器用で上手く食べられなかったという問題も関わっているかもしれない。

利き手と器用さ

私の生まれつきの利き手は左手だ。今でも大半のことは左手でやっている。しかし当時、まだ左利きであることはかなり不利な特質とみなされていた。私は箸と鉛筆を右手で使うよう教育された。他にかぎ針(編み物の)、ギターなどは右利きと同じ方法で使う。これらは現在左手では扱えない。

一方、ハサミ、ナイフ、縫い針、ボール、缶切りなどは左手でないと使えない。このような状況を「クロスドミナント」と呼ぶことを最近知った。なお、しゃもじ、消しゴム、マウスなどはどちらの手でも使える。

箸と鉛筆は右手で使えるが、いわゆる「正しい持ち方」はいまだにできない。鉛筆は筆圧が高く、右手の小指側が汚れる。ハサミや缶切りは当時左利き用のものは(少なくとも家には)なく、右利き用のものを使っていたが、使いづらかった。

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