ようやく「アナと雪の女王」を見たASDの感想

「アナと雪の女王」は大ヒットしたディズニーアニメですが、あまり見たくないと思っていました。今回地上波放送でようやく見て、なぜ見たくなかったか、見てどう思ったかを書こうと思います。

・見たくないと思った理由

そもそも名作とかヒット作というものにあまり関心がなく、みんなが見ている、という理由で見ようと思うことはありません。
しかし、この作品を見たくないと感じたのは、紹介時にその主題歌「Let It Go~ありのままで~」を聞いたかのが大きいと思います。
エルサが氷の能力を隠しきれず、意図せずにあたりを凍らせ、山に逃げて氷の宮殿を作る。「ありのまま」の自分になるには、他者と相容れない世界にいるしかない。その苦しみが、「少しも寒くないわ」という末尾のメロディに、言葉とは裏腹に表現されているように聞こえて、とても辛く感じました。

意図せずにあたりを凍らせ、傷つけ、その能力を十分隠すこともできず、人から遠ざかることでしか「自分」になれないエルサは、私自身のように思えました。

・見て思ったこと

地上波放送の録画を見て、まず気がついたのはアナの多動です。いつもじっとしておれず、よくしゃべり、衝動的に行動するアナはADHDに見えます。

アナを誤って傷つけてしまい、自らの力を押さえようとするエルサは、むしろ情愛深い人物として描かれています。アナの結婚を拒絶するのも姉としては当然の判断に見えます。すべてを凍らせる能力以外は割と「普通の人」として描かれているな、と感じました。

そして。ネタばらしになりますが、最後のシーン。自分を庇って凍ったアナを、自分の切なる願い、つまり「愛」が融かしていくことで、エルサは自分の力の制御方法を手に入れます。
これは、自分の気持ちを表現することで自分の力を制御する、つまりアサーティブネスが描かれていると思います。
また、アナをサポートするクリストフがとてもアサーティブな人柄で、侠気のある人物とでも言うのでしょうか、ADHDのアナには願ってもない支援者だと思いました。

あらためて主題歌についてですが、「ありのままの自分になる」というこのテーマが社会に(つまり大多数を占める定型発達に)受け入れられたのは、グループの中で、他者の目を気にして生きている定型発達には「ありのままに生きる」ことが難しいからなのでしょう。

実際、それを歌うエルサは、社会との交流を諦めることでそれを実現する訳で、しかも他者に悪影響を与えてしまう。
これを解決するのは、自分の本当の気持ちに気づき、きちんと向き合い、よい方法で表現するというアサーティブな行動であり、そこには自分をコントロールする力が求められています。決して野放図な「わがまま」ではありません。

まとめ

定型発達にも発達障害にも「ありのままに生きる」ことは簡単ではありません。この映画はその難しさと、アサーティブネスによる実現の可能性を描いているように思えました。視聴してよかったと思います。

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