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60代ASD、初の海外(トルコ)に挑む(3)アナトリアの地へ



イスタンブールーアンカラ



ずっと夜の中を飛んで、シルクロードを辿り、カスピ海を渡って黒海に至り、ついにイスタンブールの輝きが見えてきた。

空港は市街地から離れているが機体高度はずいぶんと下がっていて、暁闇に燦然と輝く黄金の街明かりが広がり、ボスポラス海峡を通過待ちする船の並ぶ様子が眼下に見えて、千年の都、文明の十字路に心躍る思いだった。

機内よりイスタンブールの夜景を臨む



しかし、旅の始まりはここではない。巨大なイスタンブール空港で言われるままに入国審査を通り、そのままアンカラへの便へと乗り換える。気がつけば夜も明けて、少し小さめの国内便は朝の明るい光の中を飛び立った。

イスタンブール便で出発後に1回、到着前に1回、食事が出た。どちらもとてもおいしかった。さらにアンカラへの便で朝食にチーズサンドが出た。これもおいしかった。
そう、私は興奮していて、自分が食べ過ぎていることに気づいていなかった。

アタチュルク廟

アンカラでまず行ったのは「アタチュルク廟」。これは遺跡ではなく、トルコ共和国建国の父ケマル・パシャ(アタチュルクは「トルコの父」の意で彼の敬称)の墓所。

墓所というから静かで静謐な場所をイメージしていたが、まるで違った。
大きく、広く、行事に使われる広場のようなところ。衛兵の交代が1時間ごとにあって観光客の被写体になっている。

アタチュルク廟と広場
アタチュルク廟
アタチュルク廟
アタチュルク廟の衛兵交代

そして暑かった。日本を発つ前、真夏日が続いていて、ようやく少し気温が下がるという感じだったが、こちらはまだ夏のようだった。(一般にトルコの気温は日本と同じぐらいと聞いていた)

アナトリア文明博物館


このツアーはトルコ(アナトリアとも呼ばれる)の遺跡を巡るものだが、トルコの歴史はとても複雑で、しかも我々にはなじみがない。初日にこの博物館を見学させてもらうことで、ほとんどトルコのことを知らなかった私は大いに助かった。

トルコは実に長い歴史を持っていて、ことに鉄の加工技術は大変古く、ヒッタイトは紀元前12世紀ごろまで強大な帝国を築いていた。鍛造だけでなく高い鋳造技術があったことには大変驚いた。鉄製品の大量生産が行えていたということだ。これと車輪のスポークを6本に改良した戦車で、彼らは周辺諸国を席巻した。

精巧な鉄製の工芸品

ツアーはこの後ほぼ時代順に、ヒッタイト、フリギア、リディアを通り、エーゲ海に面した諸都市(古代からの都市、ギリシア植民市、ヘレニズム期、ローマ時代)を辿って北上し、念願のトロイアへと至り、最後にあの黄金の都イスタンブールへと戻る。
博物館の情報量の多さに閉口しつつ、この時の私はただ期待感に突き動かされていた。

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