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75点 「アメリカン・フィクション」 黒人による黒人差別批判・批判という新ジャンル。あの監督作品との類似点も

黒人と呼ばせていただく。

本当はアフリカ系アメリカ人と呼ばなければならないのだが、この映画が黒人を皮肉に、かつ滑稽に描いているので、

黒人と呼んだほうがしっくりくると思うからだ。

主人公の黒人中年男性の小説家モンクは、大体こんなことを言う。

「白人は、黒人をヒップホップをやったり白人警官に撃たれたりしながら苦境のなかから這い上がって成功するものだ、

と思っていると思う。
そして黒人も、そういうタイプの黒人を白人にみせたいと思っている。
でも僕は、そういうことにうんざりなんだ」と。

舞台は、現代のアメリカの黒人富裕層の社会。
そして、ここに出てくる富裕層黒人たちは、黒人社会にいるタイプの人である。
つまり白人社会で活躍している黒人ではない。
この微妙な設定はとてもよい。
難しいことに挑戦している。
では、黒人差別を扱った作品かというと、そうではないのだ。

ここに出てくる黒人は差別を体験していない模様。

むしろ、黒人差別を問題視する白人、つまり極めて良識的かつ常識的な白人、さらにいえば民主党的な白人に囲まれて活きている黒人だ。

モンクの亡くなった父親は医者。
モンクの兄も、モンクの姉も医者。
モンクだけ文系に進み小説家になるが、出身大学はハーバードだ。
つまりモンクの両親はリッチで、子供たちも成功している。
大きな家を持ち、海岸沿いに別荘もある。
ただ、超絶リッチなわけではない。
この収入の設定も微妙で、やはりすごくよい。

姉が死に、母が認知症を発症すると、ちょっとカネに困る。
兄は少し不良で、医者なのに、富裕層としてはそれほど収入が多いわけではないのだ。
モンク自身も、昔は小説が売れていたが最近は作品を出していないし、大学の講師の職も、学生へのアカハラで首になるのでカネに少し困り気味だ。

そんなときモンクのプロデューサー兼マネージャーであるフリーの編集者が、モンクに「売れる黒人小説を書け」と言う。

モンクは、良識的で常識的な白人が求める、差別に苦しみながら荒れつつ、でも立ち直る黒人なんて描きたくない、という。
そんなのは三流小説だと。
モンクは本当の黒人を描きたいのだ。

つまり白人受けするような黒人ではなく、白人に「普通じゃん。それじゃ面白くないじゃん」と思われる黒人を、だ。

なぜならそういう黒人のほうが深く考えているからだ。
これは宮崎駿に似ているのではないかと思った。
宮崎駿は本当はヨーロッパ文化が好きで、それでカリオストロの城も、ナウシカも、ラピュタも、紅の豚も、魔女の宅急便も、ハウルもヨーロッパ調にしたのだが、海外が彼に求めたのは日本調だ。
それで宮崎駿は千と千尋やもののけ姫を日本調にせざるを得なかったのである。
本作(アメリカン・フィクション)の作者たちも、黒人に求められる黒人を描くのに飽きていたのだろう。

話が脱線したのでストーリに戻る。
売れない小説家であることに嫌気を差したモンクは、やけ気味に典型的な黒人像を描いた小説を書き、編集者に送る。
編集者は「これなら売れる」と喜んだが、モンクは一つ注文をつける。

モンクは編集者に、この作品を出版社に売り込むとき、作者名を偽名にするよう指示した。

それがトラブルを生むことになり、中盤からのストーリーをドライブしていく。

本作はわざとコメディにしている。
ところどころに楽屋落ちが出てくる。
その効果については疑問だが、嫌味にはなっていないので安心してよい。

75点の根拠を説明する。

まず大規模映画ではないので自動的に20点が差し引かれる。
脚本がすごくよいので70点を確保した。
キャストに感情移入できなかったので、マイナス要素が増えた。
ただキャストの演技が下手というわけではなく、また監督は登場人物を丁寧に描いているので、マイナス点は5点にとどまった。

鑑賞後は、久し振りに良い映画をみたな、と思えた。
微妙な設定がわかりにくさを生んでいるので、誰にでも推奨できる作品ではないが、私のセンスを信頼できる人なら楽しめるはずだ。

そうだ、今これを書きながら思いついたが、

ウッディ・アレンの作品に似ていなくもない。

ストーリがダラダラ進んでいるように感じるが、だからといって飽きさせるわけではなく、ところどころに突拍子もない出来事が起きるが、それは静かに吸収され、そして終盤にきちんとまとめてくる。
まとめるといっても陳腐なものにはしない。

高度な皮肉といったらいいのだろうか、

それはとてもウッディ・アレンっぽい。
楽屋落ちもウッディ・アレンっぽいといえなくもない。



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