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僕が、時間を時代という単位でくくることに意味を感じなくなったのは、一九九四年のことだ。このころに規則正しい呼吸をしていた人なら覚えていると思うが、この年にはいろいろなものがなくなった。そのときのことを話してみようと思うのだが、なくなったもののことを説明するのは難しい。この感覚は、大切なものをなくした経験がある人になら理解してもらえると思う。だからやっぱり、まずはあったことを並べてみようと思う。
ビートルズがいたのは、一九六〇年代だそうだ。その時代を生きていない僕が彼らに興奮させられることはない。ただ日本人である以上、ビートルズ・ビジネスを消費することを避けられるわけがない。彼らは、僕が食パンにバターを塗ろうとすれば歌い始めたし、僕が入院の手続をしているときですら、病院内に彼らの曲がオルゴールに似せた音で鳴っていた。それだけ偉大な彼らだから意味を与えなければならないだろう。僕は、ビートルズが存在した意味は、ポップという名で芸術をパロディ化したことにあると理解している。そして、いわんやそれを商売にのせたことだ。
一九七〇年代は荒れていたそうだ。そうだ、というのは、僕は一九七〇年に生まれたから、この年代に関する肌感覚というか記憶がない。だからこれも、あとから聞いた話だ。平和を訴えながら隣人と喧嘩をするという、器用な情熱を持った人たちがたくさんいたらしい。彼らに敬意を表して、やはりこの時代にも意味を授けたい。その意味とは、世界初の植民地化の志願だ。そう、この時代の政治家が発案した、アメリカの傘下に入るという奇策は、のちの僕の精神を完全に汚染してくれた。
一九八〇年代は僕の時代だ。この十年間の前半にマスターベーションを覚え、中盤にバイクを買った。デュラン・デュランとカルチャー・クラブが登場したのもここだ。彼らと彼らを操った連中は、「ビートルズのように稼ぐのに奴らほどの精神は要らない」と豪語した。ジョンのファンを自称する人たちのもったいぶった態度が不快だった僕は、その提示、つまり軽薄の肯定に歓喜した。
そして一九九〇年代は――。この十年については、この並びでは話さない。一行空けて、そこから語ろうと思う。この十年に起こったことを話すことがこの物語の主旨だから。なくしたものをみつけられるといいのだが。

僕の実家は、神奈川県の海を有する市でありながら、湘南とは呼ばれない市にあった。それを平塚市という。とても惨めな街で、だから僕と僕の友人たちは湘南エリアにコンプレックスを持っていた。バイクで三十分もかけて湘南に出かけたのは、そうでもしなければ窒息してしまうからだ。暴走族の全盛期で、僕は彼らに憧れた。友人の友人は族のメンバーだったし、彼らを扱う漫画や雑誌がたくさん発売され、僕や僕のバイク仲間はそこから快感を得ていた。
ただ僕は暴力に対して臆病だった。煙草やシンナーは勿論のこと、セックスすら恐かった。それに、彼らほどの悲惨なバックボーンを持っていなかった。それでとうとう暴走族に入ることはできなかった。マスターベーションは安全でいい、そう思っていた。それで僕は仕方なく大学受験に備えることにした。

ここで、時代に意味をつけるゲームを続けてみる。僕は、一九九〇年代は一九八〇年代のバージョンアップであると信じていた。つまり、ショートケーキを初めて食べたときほどの衝撃ではないが、ティラミスが登場したときのことは今でも忘れられない、といったような。僕は大学に入っても高校生であり続けようとした。それが祟って、一九九〇年に、江ノ島をツーリングしていたときに暴走族にからまれて右足を骨折した。九一年には、箱根の道路を走行中に転倒して、左足を複雑骨折した。僕が自分の骨を肉眼で見た初めての経験となった。
まだある。
九二年は、平塚で再び暴走族にからまれて右腕を骨折した。大学を卒業して就職した年の九三年、伊豆の曲がりくねった峠道をバイクで走行していたときに、後輪を滑らせて転倒して左腕を骨折した。

人生で最後のギブスが外れたとき、一人の退屈な男が生まれた。九四年の僕だ。
東京に本社を置く、M製鋼株式会社という会社の社員の二年目になっていた。配属先は、神奈川県茅ケ崎市にある茅ヶ崎製作所資材課。湘南に含まれない平塚市の実家を出て、工場近くの、紛れもない湘南のアパートで一人暮らしを始めていた。
そのアパートは茅ヶ崎漁港まで歩いて十分の距離にあった。げじげじ虫とダンゴ虫が日替わりで出てこようと、湯沸かし器の水が三五度に達するまでに一分四十二秒かかろうと、そこから四〇度に上がることがまれであろうと、僕は湘南に住むことができて満足だった。
最後の骨折の入院生活が終り、自宅静養も飽きて会社に行くようになってすぐ、母親が平日の昼間に会社に電話をかけてきた。そのころはまだ携帯を持っていなかった。彼女は「バイクは捨てたからね」と言った。
入院中、バイクは平塚の実家に預けていた。電話があった日の仕事終わりに実家に行くと、確かに駐輪場に僕のバイクはなかった。彼女はバイクを売ったのではなく捨てたと言う。僕はずっと、バイクはちんちんだと思っていた。精子を出すときの快感をくれるのがちんちんで、スピードの興奮をくれるのがバイクだ。
そんなに大切なおもちゃだったのに、バイクを失った失望感も母に対する怒りもなかった。なんとも思わなかった。僕はこのとき、自分が退屈な人間になったことが分かった。そういえばマスターベーションもすっかり忘れていた。物欲も性欲も失くした人間。自分はそういう人間になった、と意識した。
ところがそのころ、会社のある人から「君と一緒にいると退屈じゃない」と言われた。しかも二人から。男性と女性、一人ずつ。全然別の場所、別のシチュエーションでそう言われた。
不思議な感覚だった。だって当の本人は退屈で仕方がないのだから。僕はそのころずっと、横断歩道で信号待ちをしている僕に向かって、信号無視の暴走トラックが突っ込んできたらいいのに、と思っていた。ひかれて死んでしまっても後悔しないと思っていた。ただ自殺の準備をするよりは、働いていた方が面倒が少ないから、それだけの理由で僕は出勤していた。その僕を、その二人は肯定的にとらえたのだから。
男性の方は、工場の廊下ですれ違いざまに、僕に「君と同じ職場にいると退屈しないな」と言ってきた。顔くらい知っていたが、それがこの男からかけられた最初の言葉だ。彼は「同じ職場」と言ったが、僕と彼は所属部署が違うから、「同じ敷地内にいる」という意味らしい。彼はそれ以上、何か言うわけでもなく、僕はこういう言いがかりには慣れていたからそっとしておいた。

ところが別の日に、同じ男性がまた「君は異質だ」と付け加えた。このときも、工場の廊下ですれ違いざまだった。ただ今回は、僕の目をしっかりと見てそう言った。僕はそれを警告ととらえた。「君はうちの会社に要らないタイプだね」と言っているのだろうと。僕はその人を避けるようになった。
しかしそれは僕の勘違いだった。また別の日、今度はロッカールームで彼と出くわした。彼は帰り支度をしていた僕を飲みに誘った。僕は酒を飲まない。だからバーというところに行ったのはそのときが初めてだった。
一九九四年、僕は二十四歳だった。彼は三十歳だった。バーの名前は「145センチ」といった。名前の由来はすぐに知れた。店主の背はそれぐらい低かった。そしてインド人だった。
二人でカウンターに座り、僕の右肩と彼の左肩が十五センチに近づいたとき、彼の顔が綺麗なことに気が付いた。目や鼻といったパーツをひとつずつ観察するとそれほどでもないのだが、その配置が絶妙だった。そして肌がきれいだった。湘南、茅ケ崎という土地柄のせいか、工場内の人は作業員も事務員も肌が荒れている人が多かったが、彼だけは、日焼けする人を人種差別しているんじゃないかと思わせるくらい青白かった。化粧しているんじゃないかと思ったぐらいだ。
彼は工場勤務者には珍しく、毎日スーツで出勤してきていた。彼も僕も事務員だが、工場のルールに従い、勤務中は作業着で過ごさなければならない。だから彼は、朝自宅で着込んだスーツを、出勤するなりすぐに作業着に着替えているのである。彼がこの手の手間を惜しまない理由は、後で知ることができた。
この日の彼のスーツの生地は、とてもしっとりした質感をもっていた。見ただけで上等であることが分かる。僕はその感触を確かめたくなって手を伸ばしそうになったが、なんとか自制できた。
僕の出勤スタイルは、下はジーパンを履き、上はTシャツと作業着を着ている。工場内のロッカーでズボンを作業ズボンに履き替える。これはほとんどの男性事務職のスタイルだ。ただこのときの僕は作業着ではなく、普通のシャツとカジュアルなジャケットを着ていた。念のため、いつもロッカーの中に普通のシャツとジャケットを入れておいた。非常用のシャツとジャケットを着こんだのは、彼に気遣ったというよりも、社名が入った作業着で飲み屋に入るのが嫌だったからである。
彼はNという。僕の名前は便宜上、Aとしておく。Nは僕に酒をすすめた。
「A君、何飲む?」
「いえ、僕は飲めません」
「そう。ガンジーさん、オーダーをお願いします。こちらにはノンアルコールのカクテルを。ガンジーさんのおすすめをお願いします。僕にはいつもの。ガンジーさん、こちら同僚のA君、A君、こちらガンジーさん」
ガンジーさんはにこにこしながら、でも「初めまして」とも何も言わずに飲み物の準備に取り掛かった。
僕が所属する資材課の仕事は、工場で必要な一万アイテムの物品を購入することだ。Nは経理課にいた。資材課と経理課は別の建物に入っていたから、飲み物が運ばれてくるまで、Nは僕に日常の様子を尋ねた。
僕のところにはマンゴーベースのノンアルコールカクテル、要するに高級ジュースが運ばれてきた。Nのいつものは、ウイスキーのロックだった。僕が自分の飲み物を飲もうとすると、Nは自分のロックグラスをマンゴーのグラスに近づけた。僕は、こういうときは乾杯するものであることを学んだ。
Nは「どう、うちの会社?」と尋ねた。僕は「はあ」と答えた。Nは笑った。そして「A君てさ、俺のことをバカにしているよね」と言った。僕に身に覚えがなかったわけではなかった。ただ僕は、Nだけをバカにしているわけではなかった。それに厳密には、バカにしているわけでもなかった。僕は退屈していた。あえて退屈という現象を、実態があるものとして表現をするなら、僕に退屈を提供する人たちに呆れていた。そういう人たちは、ボーイ・ジョージとはかけ離れていた。学生運動家でも、そして暴走族ですらなかった。それだけで十分に、僕から呆れられる資格をもっていた。
僕は何も答えなかった。Nは「君って面白いね」と言った。
僕は仕方なく照れたふりをした。Nは「そうやってかわすんだ」と言った。
僕は「困ったな」というふうな顔つきを作った。Nは「そうやって困った顔をするんだ」と言った。
僕は根負けして「やれやれ」と口にした。Nは笑ってから、グラスの中を飲み干した。「ガンジーさん、同じのください」
ガンジーさんがやってきて、Nのグラスを持っていった。
「君の上司が総務課でぼやいていた。君は一見要領が良さそうだが、仕事自体はのろいと」
資材課は別の建物にあったが、総務課と経理課と同じ部屋の中にあった。だから、僕の上司の資材課長が総務課長に愚痴っていれば、経理課のNにも聞こえるはずだった。
「はい、必死です」
「まだ繕うの? まあいいや。でも総務課長は『A君は頭がいいからすぐに仕事を覚えますよ』って言ってたよ」
「へえ、K課長がですか。嬉しいな」
「K課長と仕事をしたことは?」
「もちろんありません。でも新人研修の打ち上げのときに話しかけてもらいました。『君が出た大学に落ちたんだよなあ』って言われました」
「君、横国だったっけ?」
「はい。K課長は?」
「早稲田」
「じゃあ、『横国を落ちた』んじゃなくて、『早稲田に受かった』んじゃないですか」
「どうなんだろ。俺たちは偏差値世代だけど、あの年代は国立崇拝主義者が多いから」
「Nさんは?」
「え?」
「どこの出身なんですか?」
「本当に?」
「は?」
「本当に知らないの? 本当に俺の出身大学を知らないの?」
「はい」
「東大」
「そうなんですか。へえ。学部は?」
「法学部。――いや、まいった。君は本当に、誰にも興味がないんだね」
Nのその自惚れは当然で、後日僕が工場内の複数の人に聞いたら、全員がNが東大出であることを知っていた。
「どうしてM製鋼を選んだんですか?」
「うーん」
「はい?」
「いや、別にその経緯を話してもいいんだけど、俺はそれなりにその経緯ってやつに重きを置いているし、それなりに面白いストーリーだと思うんだ」
「だから聞かせてください」
「でもきっと君は、それを聞いた後『面白い』と言うだろ」
僕は答えなかった。
「とてもいい笑顔で『面白い』と言うに決まってるんだ。でもその感想は、君がわざわざ作り出したものだ。俺はそれを分かっていても、君のリアクションに喜んでしまうと思うんだ。それくらい君の反応は巧みだから。それって悔しいじゃない」
僕が黙ると、Nは話題を変えるようだ。
「工場内って、ホワイトカラーとブルーカラーが、あたかも人種差別社会のように棲み分けられているだろ」それにも僕は答えなかった。でもこの話題については、Nは相槌を必要としないようだった。「経理にYさんという五十歳のおじさんがいて、彼は現場上がりなんだよね。当時の幹部が組合交渉に失敗して、現場で疲弊した社員を事務職にすることを了承しちゃったんだ。現場はもう大盛り上がりだったよ、敵城に仲間の野武士を送りこむんだからさ。だから当初Yさんは、ヒーロー扱いだった。ところがわれわれホワイトカラーはそれほどお人よしじゃない。Yさんがそれと気付かないように、でも居心地悪さを絶えず感じるように意地悪をしかけた」
「うちの会社って組合運動が盛んなんですか? それっていつごろの話なんですか?」
「Yさんが経理に来たのは三年前。あのころは景気が良かったから、会社は増産のためなら現場の要求はなんでも飲んでいた。
結局Yさんは出社拒否になっちゃって。でもそんなことが知れたらまた組合が騒ぐから、とりあえず様子を見に行くことになったんだ。家庭訪問をすることになった」
「Nさんが行ったんですか?」
「そうなんだよ。K課長から『僕や経理課長がお見舞いに行ったら組合問題になっちゃうから』って泣きつかれて。会社からの指示ではなく、同僚の個人的な配慮から訪問することになったんだ。K課長は一万円をくれた。現金を渡すんじゃなくて、Yさんが好きな銘柄の日本酒を買うよう指示された。領収書は要らないって、ははは」
「Yさんの反応はどうだったんですか?」
「本人は最初はふてくされていたんだけど、奥さんが感激してくれてね。湯飲みを二つ持ってきて、僕が持参した酒の封を切って注ぐんだ。酒を飲み交わして仲直りしろと。酒が入るとYさんの気持ちがほぐれて、『こいつは東大出なんだ』って俺を奥さんに紹介した。酔いが進むと本性を現してきて、『東大出が俺に頭を下げた』って言い始めた。奥さんは俺に恐縮するが、こうなると止まらない。『中卒の俺が工場の経理にいるのと、東大のこいつが工場の経理にいるのと、どっちがバカだと思う』って奥さんに聞くんだ。俺が『俺の方がバカです』と言ったら、Yさんはさらに上機嫌になった」
Yは翌日から出社してきた。陰湿ないじめはそれからも続いたが、YはそのたびにNに泣きついた。K課長としては、Yが元気なのも癪にさわるが、Yに心の病気になってもらっても困るので、NにYの子守をさせた。
「この話には後日談があってね」Nはそう言って僕の顔を見た。
僕は「はい」と答えた。
「後日談、聞きたい?」
「はい」
「『はい』ってどっちさ。『はい聞きたいです』なのか、『はい聞きたくないです』なのか?」
「酔ってるんですか?」Nはもう四杯目を空けそうだった。
「まあ、いいや。ほかの誰も気付かなかったんだけど、ただ一人、総務の女の子が気が付いたんだ。Yさんは事務所棟の便所を使わないんだ。わざわざ工場に行って用を足すんだ。面白いだろ。本物の奴隷みたいだろ。もちろん、事務所棟の便所の前に『白人専用』『ブルーカラー使用不可』なんて書かれてないんだよ。Yさんに直接聞けないから、Yさんのかつての同僚に聞いたんだ。そうしたら、事務所棟の便所だとウンコが出ないそうだ。経理に異動したてのころ、一週間もお通じがなくて、それで工場の便所に行ったら、一気に解消したんだって」
僕は笑った。それでもまだNは「本当に面白くて笑っている?」と疑った。
二時間が過ぎたあたりで、Nは「俺は次の店に行くけど、誘ったら迷惑だろ」と聞いた。僕は「そうですね」と答えた。
Nは「その『そうですね』は『そうですね、迷惑ですね』の『そうですね』なんだよね。『そうですね、どうしようかなあ』の『そうですね』じゃないんだよね」と重ねて尋ねた。
僕は笑って「そうですね」と繰り返した。
「あ、そうだ。これが本当に最後。俺さ、以前君に会社で『君は異質だ』って言ったでしょ。それで君は俺を避けるようになったでしょ。だから今日誘ったわけなんだけど。異質の意味なんだけどね、君はホワイトカラーでもブルーカラーでもないってことなんだ。君は、俺たちと一緒のときはブルーカラーの匂いを発して、現場に下りるとホワイトカラーの嫌味を出す。だからといってカメレオンとかコウモリって言っているわけじゃない。君はどちらも拒否しているんだ。というより、どちらもバカにしているんだ。だから工場の連中は君を苦手にしている。でも俺は好きだよ。君といると退屈しない」
僕は「僕は退屈ですけどね」とは言わなかった。
「じゃあ、ありがとう。もう帰っていいよ。君とはあっさり別れておかないと、俺は君から嫌われてしまう。俺は君が出て行ってから、ここの勘定を払って夜の街に消えるから」

このことがきっかけとなって、僕は同僚を観察するようになった。そうするとNグループと呼べるような存在が見えてきた。昼休みになると二十代から四十代の事務員がNの机にやってきて雑談する。その人数は二人のときもあるし十人に及ぶこともある。男女比は七対三ぐらい。その雑談は十分程度で終わり、彼らは用意した昼食を持って事務所を出た。彼らは会議室を借りて毎日昼食会を開いているのである。
Nグループは労働組合とはまったく異なる。つまり、ロビー活動を展開して、自分たちに有利な環境を作ろうとしているわけではない。かといって大学のサークルのような短絡的な快楽を共有する集団でもない。
Nを崇拝する人たちの集まり、僕はそう理解した。僕は「なんか嫌だな」という感想を持った。それでなるべくかかわらないようにしていた。
僕の社内評価は高くはなかった。上司から、「資材マンは業者から『いい人』と言われたら失格だぞ」と注意されたことがある。「いい人」とは、業者の言い値で物品を購入する人に他ならないからだ。つまり会社に損害を与えるのも同然であると。
僕はそういう類の説教を受けるのが嫌いだった。それで上司を嫌った。すると上司も僕を避けるようになった。
そうなると、工場内で僕の居場所はなくなった。総務課の人も経理課の人も資材課の人も、昼食は自分の机でとることが多かったが、僕は工場食堂を利用するようになった。そこは四千人がひしめく一大イベント会場だった。昼食は、鉄を作る男たちとパートの女性たちにとって最大の娯楽だ。彼らは上司の悪口や猥談に興じ、高笑いしていた。一方、僕には話し相手がいない。周囲のにぎわいは、僕に「無視されている」という妄想を生じさせ、僕をいっそう孤独にさせた。
「ショーシャンクの空に」を見たのはこのころだった。評判の映画だったから映画館で見たいと思った。しかし、大学時代の友人も、高校時代の友人も都合が合わず、ガールフレンドもいなかったから上映最終日に一人で見に行った。
銀行マンのアンディは、妻殺しの容疑で逮捕された。それは冤罪なのだが、裁判でアンディの主張は通らず、刑務所に送られた。アンディは育ちが良く端正な顔立ちなので、ホモの受刑者の餌食になってしまう。刑務所内の力のない者たちは、そういう攻撃から身を守るため、弱い物同士で固まる。しかしアンディはそのグループに入ろうとしない。孤立無援のアンディは、定期的にホモに犯された。
精神的に追い込まれていたとき、契機が訪れた。
看守のリーダーが、同僚と雑談をしている。リーダーは最近に多額の相続を受ける予定なのだが、相続税が膨大になり、取り分が相当減るというのだ。「いまいましい制度だぜ」と悪態をつく。その近くで作業をしていたアンディはそれを耳にして、「相続税を減らす方法がありますよ」と助言した。アンディは元銀行マンだから、法の抜け道を知っていた。リーダーはその助言に従い、果たしてかなり節税できた。
リーダーは、アンディのことを刑務所長に報告した。所長はアンディを活用することにした。そのころ所長は、模範囚を外に出し道路設備をさせる副業を始めた。人件費がかからないから、安い工事費で受注しても利益がたっぷり出る。工事は次から次へと受注できた。所長はこうして得られた工事費を、アンディに命じて裏金にした。その代わり所長は、アンディをホモ受刑者から守ったり、アンディが刑務所内に図書館を作りたいと言えば、その予算を出したりした。
僕がこの映画で気に入ったのは、アンディがこの後に脱獄するシーンではなく、刑務所の食堂で一人で飯を食べているシーンだった。アンディが入っていた刑務所の食堂の食器はアルミ製で、僕の工場の食堂のそれはプラスチックなので同じではないのだが、両者の無機質感はとても似ていた。また、囚人服と工場の作業着も、鼠色とカーキ色という違い以外はほとんど同じだった。
アンディには「ここを出る」という信念があった。だからそのような姿でそのような食事をしていても平気だった。
一方で僕は?
僕の目標と目的ってなに?
「ショーシャンクの空に」は、僕にその自問をさせた。
僕の孤独感は自分を惨めに感じることから生まれていた。なぜ僕は惨めなのか。僕は僕がM製鋼株式会社茅ヶ崎製作所にいる理由を考えた。僕の人生のキャッチコピーは「地味に洗練」だ。僕は、威張る人が大声で発する主張も、臆病者の卑屈な態度も、両方とも嫌いだった。欲望を抑制しつつ臆病にならない生き方をするのに、M製鋼茅ヶ崎製作所の中途半端さはうってつけだった。
そう、だから僕は、NやNグループのメンバーのような、べちゃべちゃした向上心をもつ人たちを避けたのだ。だから僕は、資材課長のような屈折な人間にならないようにしようと決めたのだった。僕の行動は、僕の最低限を維持するために必要なのだ、アンディはそれに気付かせてくれた。この映画を見て以来、ひとりの食事が平気になった。

会社の社員で、僕に向かって、僕と一緒に居ると退屈じゃないと言った人は二人いた。一人はNでもう一人は総務課の金本スペンサー本子だった。色白で目鼻立ちがくっきりしていて、身長が一七〇センチで痩せていた。つまり、極めて綺麗な女だった。年齢は僕の二つ年下だが、高卒だから社歴は彼女の方が長かった。
彼女はその言葉を、僕が総務課に行き、僕から伝票を受け取ったときに口にした。正確には彼女は「Aさんと居ると退屈じゃないでしょうね。彼女さんがうらやましいです」と言った。
そのころ僕にはガールフレンドはいなかった。そして僕にガールフレンドがいるかどうか、本子が知る由はなかった。だから、僕にガールフレンドがいると断定したのは、彼女の適当な予想だった。僕は、年下のしかも親しくない女からからかわれたことが不愉快だった。
だからこのことがあんなに大きな話になる理由はなかった。このことは工場中に知れ渡った。まずは資材課長が僕に「スペンサーさんに言い寄られたんだって?」と言ってきた。
僕は「はあ?」と答えた。いくら僕が彼を軽んじていたとしても、上司にそのような言い方をしたのは初めてだった。
「スペンサーさんが、君のことを好きだって言ったそうじゃないか」
資材課の連中もニヤニヤしながら聞いている。
「それは違いますね」
「違うはずはない。総務課長が言ってたんだから」
「ということは管理職はみんなそう思っているということですか」
「まあそうだろうな。総務課長はそういう話が好きだから」
僕は「あなたこそ、こういう話が好きなんでしょ」とは言わなかった。
工場内の詰め所に寄ったときも、現場のリーダーから同じようにからかわれた。工場食堂で知らない社員から「スペンサーとやっちゃったんだって?」と言われた。彼女に好意的でない者もいて「スペちゃんは誰にもやらせてくれるよ」と言われたこともあった。
本子が工場の男たちの羨望を集めるのは、その外観だけではない。イギリス人を父親に、日本人を母親にもつ彼女の英語はネイティブ並みだ。社長が海外からの視察団を引き連れて工場を訪れた際、通訳を務めた。その晩の接待にも呼ばれていった。そのスーパーヒロインが、いつも仏頂面で誰ともコミュニケーションをとらず変人扱いされていた社員に声をかけたのだ。しかもそいつに「退屈しない」という高評価を与えた。耳の穴をかっぽじって僕と本子の会話を聞いていた総務課長にすれば、大事件だったわけだ。
しかしその後、本子が僕に話しかけることはなかった。それどころか僕は、工場近くのスーパーマーケットで、若い男と腕を組んでいる本子を見た。男は茅ヶ崎製作所の現場の社員で、知っている顔だった。レジで支払いを済ませたタイミングが、僕と彼らが一緒だった。男は僕を見ないようにしていた。僕も男を見ないようにしていた。だから僕は本子を見たわけではなかった。ただ視線を動かしたとき、彼女と目が合った。彼女はずっと僕の方を見ていたようだ。本子は「てへっ」と笑ってみせた。
僕はその笑い方を知っていた。スナックと呼ばれるわが国特有の飲み屋に、資材課長に何回か連れて行かれたことがあった。そこの女たちは、そういう笑い方をした。ボックス席で体を接触させている男にも、カウンターで水割りを飲んでいる男にも、どちらにも同じ量の愛想を送ろうとする女の笑い方だ。本子にこの商売女の笑い方ができることに、僕は少なからぬ違和感を覚えた。
興味深いことに、本子と僕の無関係な関係があれほど工場内をにぎわせたのに、現場の若手との新たな恋話は話題にならなかった。もちろん、社内で孤立している僕のところにだけその情報が入ってこなかったのかもしれないが。
「スペンサーが工場内の男どもとやりまくっているというのは本当だよ」
Nは定期的に僕をバーに誘うようになっていた。残念ながら僕はサラリーマンなのだ。意図的に孤立していたとしても、最低限の社内情報は必要とした。だからNは貴重な情報源で、僕は彼からの飲みの誘いを断らなかった。
「Nさんもやったんですか」
「やってないよ」
「本当ですか」
「うん、本当。俺はやる女とやらない女を決めているんだ」
「美人とはやらないと?」
「そんなわけないだろ。ブスは死ねって思ってるよ」
「スペンサーさんはNグループなんでしょ」
「なんだよ、Nグループって」
「あなたの崇拝者の集まりですよ」
「ああ、そういうふうに見てたのか」
「はい」
「君も入らないか」
「結構です」
「『大変結構です』の『結構です』なのか、『いいえ結構です』の『結構です』なのか、どっちだ?」
「ははは」
「グループっていっても、何かしているわけじゃないよ」
「そのようですね」
「へへへ」
「どうして笑うんですか?」
「いや、嬉しいんだ」
「なぜです?」
「俺に興味を持ってくれて」
「そりゃあ興味がありますよ」
「嘘つけ」
「は?」
「本当は興味なんてないんだろ。俺たちのグループが『何かをしているわけではない』ってことを知っているんじゃなくて、『お前たちごときが何かできるわけがない』と見くびっているだけだろ」
「まさか」
「まあいいや。君みたいな奴こそ、俺の派閥に欲しいんだ」
「やっぱり派閥形成のための集まりだったんですね」
「そうだ。俺は社長になるためにうちの会社に来たんだよ。それも継承とか禅譲とかで社長に就任するんじゃなくて、圧倒的なビジネスモデルと優秀なスタッフ集団を築き上げて、中国とインドで戦える体制を整えて、誰にも、株主にも労組にも文句を言わせない状態で社長になるんだ。俺は、本物のベンチャービジネスをしたいんだよ。
ベンチャーベンチャー言っている奴らは、上場企業で訓練を受けるのが面倒だから独立を急いでいるだけだ。はっきりいってほとんどのベンチャー社長は偽者だよ。
でもだからといって、三菱重工やNTT東日本で、独立独歩で社長になるのは不可能だ。一部上場会社で、従業員一万人程度の会社が、俺の力を試す上でちょうどいいんだ」
「すごいなあ」
「嘘つけ」
「本当にすごいと思いましたよ」
「嘘つけ。『社長になりたい』って宣言する奴を、君が評価するわけがないじゃないか」
「評価はしていません。ただ、すごいと思ったのは本当です」
「まあいいや、君からすごいと言われるのは素直に嬉しい」
「はい、すごいですよ」
「だから君もランチ会に加われよ。ゲームに参加しろよ」
「スペンサーさんは未来の社長秘書ですか」
「知らん。スペンサーって本当にみんなが言うほど賢いのか?」
「僕が知るわけないじゃないですか。ただ美人ですよね」
「美人でもやりたいとは思わない」
「それこそちょうどいいじゃないですか。秘書に手を出す心配がない上に、その秘書が対外的にも注目されるんですから」
「そうかね。でもあの語学力はすごいな」
「Nさんだって英語はぺらぺらなんでしょ」
「英語はな」
「スペンサーさんは英語以外も使えるんですか」
「ああ。中国語はビジネスレベルだ。フランス語とドイツ語もそこそこ話せる」
「中国語ですか。独学ですかね」
「多分そうだろうな」
「へえ、すごいなあ」
「けっ、なんだよ」
「なんですか」
「今の『すごいな』は、俺の野望を聞いたときに言った『すごいな』より感情がこもっていたぞ」
「ははは、敏感すぎですよ」
「いや、君は俺よりスペンサーを評価している」
「まあどうでもいいです」

M製鋼の業績は悪化の一途だった。
リストラが始まった。経理課の嫌われ者Yは、工場食堂の調理業務を受託している外注の給食業者に出向になった。出向といっても半年でM製鋼の籍は抜かれる契約だった。現場は残業代がカットされた。完全ゼロ円になった。Yに行われたような粛清は現場でも行われていたから、現場は残業代ゼロにそれほど騒がなかったが。僕たち事務員は、現場より先に残業代ゼロにされ、その後基本給も減額された。M製鋼には茅ヶ崎製作所の他に千葉県と新潟県にも一つずつ工場があり、そのうち一つを閉鎖するよう銀行が迫っているということだった。噂では、最も地価が高い茅ヶ崎製作所の閉鎖が有力だったが、実際は新潟工場が、ライバル関係にある鉄鋼会社Z工業に売却された。
工場内の雰囲気は最悪だった。
閉鎖された新潟工場の人員が茅ヶ崎製作所にやってきた。元新潟工場の連中はつまり、売却先から要らないと言われた人たちだ。スキルも劣っていたが、それより問題なのは性格が悪いことだった。ブルーカラーとホワイトカラーの階級闘争に加え、ブルーカラー内にカースト制度が発生したのだ。その影響は目に見える形で現れた。労災が増えた。事務員も無傷ではいられなかった。心の病を発症した者は三カ月の休業後、退職した。社内の公式アナウンスでは、解雇ではないそうだが、本社の総務部長がその者の自宅を足繁く通い、巧みに退職に誘導したのだった。
製造物の品質も低下した。本社の営業部長が茅ヶ崎製作所に乗り込んできて、会議の席で工場長を怒鳴りつけた。僕もその場にいた。資材課員は、その日の第二の議題であるコストダウンのために会議室に呼ばれていたからだ。しかし、最初の議題である品質問題がこれだけ荒れたので、僕が用意した資料は無駄になった。
経理課長は総務課長の悪口を言った。総務課長は資材課長の悪口を言った。資材課長は経理課長と総務課長の悪口を言った。工場長は工場の全従業員の悪口を言った。工場長以外の全員は工場長の悪口を言い、工場の駐車場に停めてあった工場長の自家用車がパンクしていたこともあった。社長は社内報で「この業績悪化の原因は、全社員が一丸とならないからだ」語った。全社員は、お前がトップにいるうちは無理だと口をそろえた。
ただ僕とNと本子は、会社の悪口も経営陣の悪口も上司の悪口も同僚の悪口も言わなかった。茅ケ崎製作所内でこの三人だけが不景気の影響を受けない生活を送っていたからだった。売り上げが落ち始めたころは、それでも生産量は維持され、つまり資材は通常通り必要で、だから資材課の残業は通常通りだった。それが半年も続くと仕事が減り、購入品が減り、資材課の仕事も減った。それで僕は早く自宅に帰って英語の勉強を始めた。E・M・フォースターを原文で読みたいと思ったからだ。
Nにとって不景気は、悪影響を受けるどころか、好機であった。「これで無能な奴らが一掃される」とほくそえんだ。「これで組合の力も弱まる」と不敵な笑みを浮かべた。そして本子は、男たちと遊ぶ時間が増えて喜んでいた。

Nから、Nグループに入らなくてもいいが、一度集まりに顔を出してくれないかと言われた。勿論断り続けていたのだが、ある金曜日にわざわざ資材課に来てこう言われた。
「終業したら車に分乗して箱根の別荘に行くんだ。君も来いよ、夜通し騒ごう」
「面倒くさいです」
「面倒くさいことはない。タイムカードを押したら駐車場に来るだけだ。そのまま出発する」
「みんないったん帰らないんですか?」
「そうだ」
「でも僕は泊まりの用意をしていないから」
「泊まりの用意なんて要らない。タオルも寝巻きもアメニティもホテル並みにそろっている」
「別荘って、Nさんの別荘なんですか?」
「そんなのどうでもいいじゃないか。とにかく今日は絶対に来いよ。六時に駐車場だから。誰の車に乗ってもいいから。なんならスペンサーの車でもいい」
金曜の夜を暇に過ごすのと、毒にも薬にもならないレクリエーションに参加するのとでは、どちらがよりましだろうかと考えた。どちらも同じように思われた。ただ、退屈な金曜日はいわば凹である。一方、埋め合わせのパーティは凸である。偶然、両者は結合するのだ。
駐車場に集まったのは十二人。彼らは僕の登場に驚いていた。Nは彼らに「どうだすごいだろ。とうとうA君を誘い出したぞ」と僕を紹介した。メンバーには現場の人間もいた。管理職はいなかった。車は五台あった。僕はNの車に乗った。Nの車はシートが二つしかないスポーツカーだったので、僕はNと二人きりになった。
茅ヶ崎から箱根に向かうには三ルートあり、それぞれ運転手が好きなルートを選んだ。Nは海岸線を行く道路を走った。途中で酒屋に寄り、シャンパンを三本買った。レジの男性はものすごい金額をNに告げた。Nはクレジットカードで支払った。僕はこれから行く別荘はやはりNのものなのだろうと思った。
「君とスペンサーの仲があれほど工場を賑わせたのは、奴隷制度のせいだよ」
Nは、本子が僕に「退屈じゃない」と言い、それを聞いていた総務課長が僕と本子が関係していると言いふらしたことについて言っていた。僕は何も言わないでおいた。Nは構わず続ける。
「スペンサーはあれだけの容姿を持ちながら、安い恋愛を買いあさっている。恋愛ですらないかもしれない。単にセックスがしたいだけだ。性欲が抑えられないんだ。工場労働者たちにとってスペンサーは、貧民街で格安で体を売ってくれる高級娼婦だ。女神と思っているだろうね。
スペンサーと寝たのがブルーカラーの誰かだったら、それは勝った負けたの問題に過ぎない。奪われた者は、彼女を奪い返す力を付けるか、諦めるかだ。それ以外の選択肢はない。でも君みたいなエリートにスペンサーを奪われたら、もう二度と取り戻せないと感じる。そこには、君を殺すという選択肢が生まれる。それが奴隷マインドだ。結局君とスペンサーの間には何もないことが分かって沈静化したけどね」
とてもつまらない話だったので、僕は寝たふりをした。そのうち本当に寝入ってしまった。僕が目を覚ましたのは、箱根の曲がりくねった道に入ったからだ。体が左右に振られて寝ていられなくなった。温泉街に入り、しばらくして温泉街を抜けた。街灯が極端に少なくなり、周囲は暗かった。ただそこらじゅうに高級別荘や会社の保養所があることは雰囲気で分かった。
Nが「さあ到着したよ」と言ったのと同時に、タイヤが鳴らす音が変わった。路面がアスファルトから砂利になっていた。
玄関前には植木が三十本以上あり、駐車場は二十台分あった。建物の外壁は、ログハウスに使われるような太い丸太とアルミ板でできていた。建物の中に入ると豪華さはさらに際立った。居間は三十畳はゆうにあろうか。三人がけのソファが五つあった。五つはデザインがばらばらだから、きっとこの日のために外から持ち込んだのであろう。寝室は二階にある。風呂は温泉を引いていて、Nは「小さいけど露天風呂とサウナもあるよ」と説明した。すでに到着した者たちがキッチンで準備をしていた。そのうち、ジャズが大音量で流れてきた。照明がトーンダウンした。その雰囲気にはカネがかかっている。本子もこまごま働いていて、トレイに飲み物をのせて配り始めた。彼女は僕にそのうちの一個を渡して「はい、Aさん」と言った。僕は「僕はお酒が飲めないから」と言って断った。
「あら。じゃあ何を飲みますか」
「水でいいや」
「何か飲み物を作ってくるね」と言った本子は、トレイをテーブルに置いてキッチンに向かった。
Nの立ち居振る舞いは見事だった。誰かに声をかけるたびにその相手を笑わせていた。本子も、僕に不気味に青い甘い飲み物を渡した後、その輪に入っていった。
午後九時ごろ、新たなゲストが現れた。五人いた。パーティ会場は彼らに気付かないほど盛り上がっていたが、Nは音楽を止め照明を全て点けて注意を促した。
「さてみなさん、Z工業株式会社から、幹部候補生が来てくれました。うちの会社とZ工業さんはライバル関係ですが、そんなことは大きな問題ではありません。株式会社ニッポンの屋台骨を支えている俺たち重厚長大産業は、結束してこの荒波を乗り切らなければなりません。お互いにいい刺激が得られるよう期待します」
Z工業は、M製鋼の新潟工場を買収した鉄鋼会社である。業界二位のZ工業と三位のM製鋼は生き残りをかけた熾烈なシェア争いを展開していた。僕は、そういう会社の社員とこういう形で接触するのは、コンプライアンス上問題があるだろうと感じた。Nはそんなことを気にせず、ゲスト五人のリーダーとおぼしき人物に向かって、「一言ご挨拶を」と言った。
「では失礼して。みなさんこんにちは、Z工業の総務部のTと申します。Nさんとは大学時代からの知り合いです」
M製鋼の社員から「おおお」とか「へええ」という声が上がった。彼はその驚き打ち消そうとこう言った。「とはいっても、私は東大出じゃないですよ。一ツ橋でも早慶上智でもありませんからご安心を」周囲から小さな笑いが起きた。「ただ野心だけは人一倍強くて、東大生が主催していた経済サークルに無理矢理入れてもらいまして、そこにNさんがいたというわけです。というよりNさんが主宰なわけなんですけどね。私たちは経済を勉強しながら夢を語り合ってきました。今日はみなさんと一緒に日本経済の未来の姿を描きたいなと思って参加させていただきました。
――とまあ、Nさんならそんなことも言うんでしょうが、なにせ私は生粋の鉄屋でして。うちの親父はうちの工場の現場長をしていました。私も本当は電気炉で鉄クズをバリバリ溶かしたいと思っているんですが、会社の命令で仕方なく事務所にいる次第です。だから今日は、日頃の鬱憤を晴らすため、現場スタイルを貫きます。みなさん、今日はゲロを吐くまで飲ませますから覚悟してくださいね」
M製鋼の社員もZ工業の社員も、そしてNも、大声で、ほとんど絶叫でそれに応じた。
僕は激しい嫌悪感に襲われた。でも箱根から茅ヶ崎のアパートまでのタクシー代金を見積もってみて断念した。オーディオセットのあるところに行って、再びジャズをかけた。はからずもそれがパーティ再開の合図になった。酒が配られ談笑が始まり料理が運ばれてきた。僕は諦めて最もバスルームに近いソファに座り深いため息をついた。
そこにNがTを連れてやってきた。僕は仕方なく立ち上がった。
「こちらはA君。うちの工場で俺の次に賢い男だ」
Nは「うちの工場で」と言った、つまり「うちの会社で」とは言わなかった。一見大げさな様でいて慎重な言い回しだ。僕は、Nは酔っていないと分かった。
「初めまして、よろしく」
「はあ、どうも」
「愚鈍なふりをしているだけで、実は切れ者だ。俺たちのグループに入れと言っても、頑なに拒否している。今日も俺が説得して連れてきた。君に会わせたくて。A君、こちらはZ工業の未来の社長だ」
TはNと同じ年齢で、受け取った名刺によると本社の総務部の係長代理ということだった。Nはこのときまだ役職は付いていない。
「すみません、今日、外の人が来るとは思わなかったので名刺を持ってきていません」
「いいんですいいんです。Nさんの弟分なら、これから頻繁にお会いすると思いますから」
「こいつの本音を聞くには時間がかかる。焦ると侮辱されるぞ」
Nはそれだけ言い残して、Tを連れて別の人のところに行った。僕はまたひとりでソファに座っていた。
三十分もそうしていただろうか。僕は手持ち無沙汰が極まって、尿意なんてなかったけどトイレに行こうと立ち上がった。そのタイミングで本子が「本当にお酒を飲まないんですか?」と声をかけた。僕はその声より前に本子の姿を認めていなかったから、テレパシーで呼びかけられたような錯覚に一瞬陥った。僕が本子の姿を探そうと頭をくるくる動かしたので、本子は僕の肩をぽんぽんと二回叩いた。
本子は僕にグラスを差し出し、「Nさんが差し入れたシャンパンですよ。お酒が苦手な人でも一杯くらいは飲んでおいた方がいいと思うんですけど」と言った。
細長いグラスの中の液体はピンク色だった。僕がそれを受け取らないでいると、それでも本子はあきらめずにグラスを持ち続けていた。すると液体が虹色に変わったように見えた。それがとても美しく感じられ、思わず受け取ってしまった。僕はグラスを眺め続けた。液体はピンクに戻ったり、また虹色になったりした。
本子は自分用に持っていた同じ形のグラスを自分の唇に付けて、中の液体をひと口飲んだ。そして「あーおいしい」と、本当においしそうに言って、僕を見てにやにやしている。
僕はグラスに口をつけた。液体を流し込むと、まずは炭酸に襲われた。でもその刺激はすぐに止んだ。それを追うように、次にしっとりとした爽快感がやってきた。そのとき咽頭の反射で飲み込んでしまった。食道を通過するのが分かる。
「どう、不思議な液体でしょ」
僕は、本子もシャンパンのことを液体と呼んだことに驚いた。僕はアルコールに対して退廃的なイメージを持っていたから、侮蔑の意味を込めて「液体」と言っている。だからその語句の使用方法は僕のオリジナルと思っていた。
「液体って、シャンパンのことですか」
「液体は液体ですよね」
本子はそう言って笑った。そのとき、「おーい、スペンサー」という大きな声が聞こえた。声が聞こえた方を二人で向くと、Nが呼んでいた。本子は反射的に「はーい」と言ってそちらに向かって歩き出していた。まるで僕の存在など瞬時に忘れたかのように。
新鮮な味わいを残したシャンパンであったが、それでも残りを飲むつもりはなかった。「俺はつくづくアルコールが苦手なんだな」と思ってみた。でもそれは嘘だった。自分が自分についた嘘だ。あのまま本子がいたら、僕は例え時間はかかったにしても、このグラスを飲み干していたろう。本子をNに取られて、Nが購入した液体を飲むのが癪だったのだ。僕はグラスを持って立ち上がり、キッチンに向かった。シンクの前に立ち、グラスを傾けた。
でもそれを流すことはできなかった。僕はまたソファに戻った。またシャンパンを見つめた。それは虹色になったりピンクに戻ったりしている。優雅な気持ちになった。
その恍惚な気分を壊したのは、TではないZ工業の社員だった。彼はオーディをいじってジャズを止めた。僕は「こいつは何をする気だ」といまいましく感じながら彼の行動を見ていた。彼は操作にとまどっているふうだった。同僚がヤジを飛ばす。男は「ちょっと待って、ちょっと待って」と言いながら、色々なボタンをいじっていた。そうしているうちにテレビ画面が画像を映した。ジャズすら失った僕はいまいましく思いながらも、しかし話し相手がいない僕が一番真剣にその画面を見詰めていた。しばらくすると洋画が始まった。「ショーシャンクの空に」だった。僕の大好きな映画だ。しかし日本語吹き替え版だったのだ。
「アンディに日本語を喋らせるなんて」
それは富士山の頂上にロープウェイをかけるような行為だった。世界遺産を認定したユネスコの精神への冒涜だ。それはポテトチップスで油まみれの指でマッキントッシュのキーボードを叩くような行為だった。スティーブ・ジョブズの霊を感じられない不感症者の所作と同じだ。僕は、大切にしてきた映画のひとつが陵辱されたことに憤りを覚えた。
「もうこいつらと同じ酸素は吸いたくない」と思って二階に行った。適当に部屋に入るとベッドがあったので、そこに横になった。

どれぐらい寝てしまっただろうか。僕が起こされたのは、僕の体を揺らす者がいたからだ。
「Aさん、お願いがあるの」
本子だった。
「なんだい」
「起こしちゃってごめんなさいね。でも緊急で重要なお願いなの」
「何時だい?」
「十一時。私のお願いを聞いてください」
「うん、なに?」
「あと一時間くらい経ったら、Aさんの携帯が鳴ります。それは一回鳴って切れます。そうしたら、そのときから四十五分後に、その電話にコールバックして欲しいの。誰もいないところで、コールバックして欲しいんです。それに誰も出なくても、ずっと鳴らし続けて欲しいの。もしそれに誰か出て、その人が何も言わなかったら、すぐに切ってまた同じ番号にかけなおしてください。その電話番号は私の携帯電話なんです。私が出るまで、何度もかけなおしてください」
「スペンサーさんは僕の携帯番号を知っているの?」
「何番ですか、早く教えてください」
僕は番号を教えた。
「Aさん、携帯はどこにありますか?」
「えーと、ここにはないな」
「肌身離さず持っていてください。私が電話を鳴らしたら、一回しかコールしません、それが鳴ったら、きっちり四十五分後にコールバックしてください」
「分かった」
本子はそれで部屋を出て行った。僕は携帯電話を使い慣れていなかったから、それをビジネスバッグに入れていた。ビジネスバッグはNの車の中に置いたままだった。仕方がないので一階に下りて相変わらず会話の中心にいるNに声をかけた。
「おお、A君、どうした。顔色が悪いな」
「寝てたんです。それよりNさんの車の鍵を貸してくれませんか」
「ああ、いいよ、多分あそこにあるよ」
僕は車の鍵を持って外に出て、Nの車の中から僕のビジネスバッグを取って別荘の中に戻った。車の鍵を元の場所に置き二階に行った。バッグの中から携帯電話を取り出し、それを握ってベッドに横になって目を瞑った。すぐに眠ることができた。
何回も夢を見た。本子が出てきたり、Nが出てきた。現実のような気がして目を覚ますと、真っ暗な部屋の中にいた。下の騒ぎが聞こえる。それでまた眠る。夢を見る。目覚める。ところが目覚めたと思ったらそれは夢の中だった。目覚めた夢を見たのだ。本当に目覚めてそれと知れた。
そして、携帯電話を握っていないことに気が付いた。探すとベッドの下に落ちていた。画面は着信があったことを知らせていた。〇九〇で始まっていて、本子のものに違いなかった。着信時間は二十分前。僕は安堵した。ベッドから出て、部屋の電気を付けた。一階からはまだ笑い声が聞こえる。むしろ騒ぎは大きくなっている。時刻は一時半だった。
約束の時間、つまり着信時刻から四十五分後の一時五五分に着信履歴の番号にコールバックした。三回コールして本子が出た。
「あーら、Nさん、どうしたの!」本子は大きな声でそう言った。
なぜ「N」と言ったのか、そのときの僕に知る由はなかった。言葉を返せない僕に構うことなく、本子は話し続ける。
「そっちは盛り上がってる? え? 私の居場所? えー、それはちょっと言えないなあ。でも、実はあ、Tさんと一緒でーす。はーい、別荘を抜け出して、いいところにいまーす」
僕はまだ、本子が何を言っているのか分からなかった。本子は続ける。
「え? いいところはいいところでしょ。Tさんと代わる? Tさーん、Nさんが話したいって。え? 本当? あっそう。Nさーん、Tさんはいま話したくないって。え? 分かった。すぐに戻りまーす。Tさーん、Nさんが戻ってこいって言ってるよー。なんか怒っているみたいだから、ここ出よ。Nさーん、じゃあ私たちは三十分で戻りまーす」
電話はそれで切れた。ようやく理解できた。Tと本子は別荘を抜け出してホテルに行ったのだ。Tが誘ったのだろう。本子はそれを断ることができなかった。それで、とりあえずホテルまで行って、ことを始める直前で切り抜けようと考えたのだ。僕からの電話を、Nからの電話と偽ったのはそのためだ。Nの子分のTなら、Nから「別荘に戻ってこい」と命じればTは従わざるを得ない。
ところがこれが全てではなかった。真実は翌朝判明した。
一番早く寝た僕は、一番早く起きた。リビングはパーティの残骸が散乱していた。ソファに横になっている見ず知らずの男は、僕が湯を沸かすために台所でガチャガチャやっていても鼾をかいていた。午前六時。そこにNが二階から降りてきた。Nは僕を見て少し驚いて、何か言おうとしたが何も言わず、そしてその目は怒っていた。彼は急ぎ足でテーブルやクローゼットを見回して自分のものを手に取って外に出て行ってしまった。あたかも間男が、女の部屋から立ち去るかのように。エンジン音が聞こえて、その音はすぐに消えてしまった。僕には淹れたてのコーヒーを差し出す暇もなかった。
Nがなぜ不機嫌だったのか。いかな僕でもそれを考えずにはいられなかった。いや、Nは不機嫌だったのではない。僕を憎んでいた。なぜ憎まれなければならないのか。
そしてコーヒーの苦みが僕の脳を刺激して、ようやく把握できた。
Nは、Tに本子を差し出したのだ。Nグループの中でも、本子のNに対する崇拝の念は異常なくらいだった。Tを接待してくれとNから頼まれれば、本子なら応じる。一度は決心した本子だったが、怖くなって僕に助けを求めたのだ。
しかし、彼女の助けの求め方は、川で溺れた者の救援要請とは全然違った。つまり本子は、川に流されながら「陸に戻してくれ」と頼むのではなかった。「酸素ボンベをくれ」と言った。溺れている状況を根本から解消しようとするのではなく、苦しさだけを軽減してくれと言っていたのだ。彼女は川から出たいわけではない。むしろとどまっていたいのだ。僕の電話は、本子を救出したのではない。僕は本子に利用されただけだ。
Nの次に起きてきたのはTだった。僕はこいつからも睨まれた。彼はNとまったく同じ行動を取った。自分のものだけ拾い集めると外に出て行き、エンジン音がして、それが消えていった。

僕の推測はこうだ。本子にだまされて別荘に戻ってきたTは、Nに詰め寄った。それはそうだ、女をあてがっておきながら、最高潮の直前に中止を命じたのだから。一方のNは、Tと本子が予想以上に早く帰ってきたことを不思議に思ったろう。しかし、感謝されると思っていた男から強いクレームを受けた。だが二人の誤解は、二言三言の言葉を交わせばすぐに解けた。そうなると本子が責められるはずである。僕は、本子の安否を確認しなければならないと思った。でも思いとどまった。もし二人の男が本子を攻撃したのであれば、彼らが僕を睨む必要はない。二人が僕を憎んでいたということは、本子が全ての責任を僕に被せたのだ。

僕はこんなところを早く抜け出したかったが、最寄りの鉄道駅への行き方も知らない。タクシーの呼び方も分からない。寝ているところを起こして車で送ってくれと頼めるような近しい人もいない。幸い食料はたくさん残っていた。しかもその食材はいかにも質が良かった。僕は朝食の準備を始めた。それでもソファの男は鼾をかいている。四番目に起きてきたのは本子だった。僕は本子に確かめたいと思った。でもその衝動はすぐに治まった。これ以上関わらない方がいいと思ったからだ。
「おはようございます。コーヒー、私の分もありますか」
「サーバーの中に」
彼女は台所に来て、コーヒーカップを出したり、それにコーヒーを注いだりした。
「昨日はありがとうございました」
「いえ」僕は調理を続けながら感情を込めずにそう答えた。
「助かりました」
「そうですか」
「怒っていますか?」
「いえ」
「私、Nさんが好きなんです」
「そうですか」
「だからNさんに頼まれたことはなんでもしたいんです」
「はい」
「AさんはNさんが好きですか」
「尊敬はできませんね」
「尊敬するしないではなくて、好きですか、嫌いですか」
「好きではないですね」
「『好きではない、嫌いではない』ではなくて『好きですか、嫌いですか』」
「じゃあ嫌いです」
「そうだと思いました。ということは、Nさんを好きな私も嫌いなんですね」
「嫌いではないです」
「『好きか、嫌いか』では?」
「どちらでもないですね」
「どうでもいいということでしょうか」
「まあそういうところでしょう」
本子は黙ったが、二十秒後にまた話し始めた。
「何を作ってるんですか」
「そこらのものを温めているだけです」
「『食べますか?』はないんですか」
「食べますか?」
「要りません。二日酔いで吐き気がしてます」
僕は笑った。本子も笑った。
僕はその笑顔に乗じて、昨晩の貸しを返してもらうことにした。本子に、車でバス停まで送ってほしいと頼んだ。彼女はいますぐ出てもいいという。僕は料理を中断して、その続きの段取りを簡単に本子にレクチャーしてから帰り支度をした。本子は周囲の地理を熟知していて、細く曲がりくねって分岐点が無数にある細い道路を迷わず進んだ。僕はバス停まででいいと言ったが、彼女は小田急の駅まで送ってくれた。

金曜日よりは退屈さが少ない月曜日が始まった。僕は適当に手を抜きながら仕事をして、課長が苦い顔をしたら工場に逃げた。茅ヶ崎製作所で一番偉い工場長の口癖が「事務員も現場に出ろ」だったから、「現場に呼ばれた」と言えば、課長は僕を妨害できなかった。もうこのころには工場食堂で培った人脈が、細々とではあるができていて、現場の詰め所に行けばリーダーたちは僕をかくまってくれた。場所代は五本の缶コーヒーでよく、僕には割のいい取り引きだった。
M製鋼を就職先に選んだのは、湘南にずっといられて、それでも一応は一部上場会社で安定していると思ったからだ。だからこの茅ヶ崎製作所が居心地良く感じるようになると、僕は僕の選択に満足した。大学の同期たちは銀行やら証券会社やら商社やらなんとか省やらに入った。彼らは日本経済のダイナミズムを体感しようとそうしたところに乗り込んだ。だからたまに会えば、彼らはいまだに高揚していた。そのような興奮状態にある人を僕は苦手にするから、実際に会う機会は年々減っていったのだが、儀礼として交換を続けている年賀状からもそれは伝わってきた。「今年こそバブルを復活させる」と書いて寄越したバカもいた。
茅ヶ崎の良さを一言で言えば、それは活気だ。一〇代二〇代が朝も昼も夜も夜中も活動している。三〇代四〇代が、彼らに負けじとカネを使う。潮風で鍛えられた五〇代六〇代の肌は、しっとり感は抜け落ちているが、古民家を磨き続けたような艶やかさがあった。サザン・オール・スターズ発祥の地という、まるで原油が湧き出した土地のようなエナジーもよい。
八〇年代の僕は、この活気が栄養素だった。でも一九九四年以降の僕がこの活気を積極的に活用するわけではない。でも隠れ場所としては、格好の場所だった。茅ヶ崎にいると「どうしたの?」とは聞かれない。「楽しくないの?」と心配されない。彼らは自分たちの活動に忙しく、孤独の人を放っておく。僕は、他人に注目されたくて孤独をつくる者ではない。僕は「こっちの方が楽だ」と思って孤独を選んだのだ。
だから箱根から戻って工場でNから無視されたことは気にならなかった。ところが彼の無視を破ったのは、彼自身だった。この手の人間は、安住の地を見付けた者に嫉妬を抱かずにはいられないのだ。そして一度嫉妬を抱けば、邪魔をせずにはいられないのだ。
Nは昼休みにわざわざ工場食堂にやってきて「久しぶりに145センチに行かないか」と僕に言った。自分のランチ仲間を放棄してまでやってきたのだ。僕は視線をうどんから上げてNの顔を見た。長髪が刈り込まれていた。
「髪切ったんですか?」
「じゃあ七時集合な」
Nはそれだけ言って立ち去った。僕は145センチに行かなかった。Nは、翌日の昼休みにまた工場食堂に現れた。
「今日こそ145センチに来てくれないか」
「嫌です」
「ずいぶんはっきり言いますね」
「はい」
「俺のこと嫌いか」
「はい」
「そうですか」
僕はそばをすすった。Nはしばらくしていなくなった。これでこの男と縁が切れると思った。

僕はイギリス旅行をすることにした。たっぷり一カ月、B&Bをはしごしながら田園を歩こうと思った。カネはあった。問題はそれだけの休暇がもらえるかどうかだった。有給休暇は十分確保してあったが、資材課には、というより茅ヶ崎製作所には、というよりM製鋼株式会社の創業以来、病気でない者が一カ月間休んだ事例はない。そこで休みの許可をもらうのではなく、有給休暇の使用権の行使を宣告するしかないと考えた。パスポートの申請を済ませ、飛行機チケットと最初の三日間の宿の手配をしてから、資材課長の席に行き、「来週の金曜日から一カ月間、有給休暇を取得します」と言った。
「はあ?」と言ったのは課長だけではなかった。ほかの資材課の社員も同じ声を同じタイミングで出した。
課長は、ケッと冷たく笑いながら「一カ月も無理だよ」と言った。資材課員は事務作業を止め僕たち二人を注視している。
「業務的にはなんとかなります」
「なんとかなるかどうかは私が決める」
「ルーチンワークは出発前と帰国後に集中して取り組めば…」
「だからそういうこと言ってないでしょ!」課長は怒鳴った。
僕は、怒りでも諦めでもない、なんでもない中性な視線を課長の顔に置いたつもりでいた。でもその無感情さが、かえって課長を逆なでしたようだ。
「この際だから言うけどさあ、君の仕事、全然ダメだからね。本社から辞めさせるなって言われてるからこれまで我慢してきたけど、本当に一カ月の申請を出したら、俺も腹くくるからな」
僕は人が怒っているのを見るのが嫌いだった。その怒りが自分に向かうことはもっと嫌いだった。僕のそうした事情を知らない課長は罵倒を続けた。
「俺は高卒だけどよ、本社に『俺かAを選べ』って迫ったら、俺が選ばれる自信はある。一カ月なんでふざけるな。忌引きでもないなら三日だって許せるか。俺たちはそうやって働いてるの。俺は受理しないからな。申請するなら、直接総務にしろ。でも申請したら俺は必ず勝負に出るからな。組合問題にしたきゃしろ。組合だってお前みたいな奴を庇うために会社とことを構えたりしないだろう」
僕は「分かりました」と言って自席に戻った。怒りがおさまらない課長は、しばらくすると突然「えーい」と言って両手で机をたたいて事務所を出て行ってしまった。年上の同僚は「A君、A君、課長に謝ってきなよ」と僕に言った。僕は「謝ったら休みをくれるでしょうか」と言った。同僚は「そんなこと言っていると私も庇えないよ」と言った。僕は「ありがとうございます」と言った。同僚は「この場面では『申し訳ありません』だよ。『ありがとう』じゃなくてさ」と言って黙った。Nといいこの人といい、この会社の人たちは僕の言葉遣いを直したがる。僕は席を立ちあがった。
総務課と経理課の部屋は、資材課とは別の建物にあった。僕は有給休暇の届出書に記入して、総務課に向かった。総務課のK課長のところに資材課長がいた。彼は部屋中に聞こえるように僕の悪口を言っていた。僕を先に認めたK課長は、資材課長に「ほら」と言った。資材課長は振り向き、僕と視線が合った。
「何しに来たんだ」資材課長が言った。
「有休の申請書を出しに来ました」
資材課長より先にK課長が立ち上がり、「A君、ちょっといいかい。おいNさん、経理課の会議室は空いているかい」と言った。
にやにやしながら行方を見守っていたNさんは「どうぞ」と答えた。
「A君、ちょっと話をしよう」と言ったK課長は、そして資材課長に向かって「ここからは総務課の仕事だから」と小声で、でも僕にも十分聞こえるように言った。資材課長はずっと僕を睨んでいる。
課長の席から会議室に向かう動線は、総務課の本子の席の脇を通る。本子は僕と目が合うとウインクをして微笑んだ。僕は声に出さないように「ばーか」と言ってみた。
会議室に入ってしまうと、K課長はにこにこし始めた。
「一カ月も休んで何をするんだい?」
「旅行に行きます」
「海外?」
「はい」
「国名を聞いてもいいかい?」
「はい、イギリスです」
「イギリスに一カ月も?」
「はい」
「普通、ヨーロッパを一カ月旅行するなら、パリ、ドイツ、フィレンツェだろう」
「そうですか?」
「そうだよ。ロンドンもそりゃあ大したものだが、ナショナルギャラリーも大英博物館も、オルセーやルーブルに比べたら見劣りするよ」
僕は、この人はヨーロッパの知識を披露したいのだと分かった。それで水を向けることにした。僕は争いをしたいわけじゃなかった。資材課長にもイギリス土産を買って帰りたい。ならばK課長を味方につけることは悪いことではない。
「課長はヨーロッパを放浪したことがあるんですか?」
放浪という言葉は僕の狙い通りヒットした。K課長は足を組んでから話し始めた。
「そこらのバックパッカーみたいなやわな放浪じゃないよ。新潟からサハリンに入って、シベリアを横断してモスクワに入り、そこから西側東側を問わず、入国できる国は全て回った。帰りは貨物船に乗り込んで、喜望峰経由で香港に入った。香港には二カ月いた。日本料理店で仕事を見つけたんだ」
「それは大学時代ですか?」
「いや、高二のとき。モスクワにペンフレンドがいて、ペンフレンドって知ってる?当時海外の若者と文通をすることが流行っていてね、仲介業者なんかもいて、彼に会いに行く目的だった。大学時代はもっぱらアジア専門だ。インドでは何度も死にかけた」
僕は「へえ」と言ってみた。
「それでもまたインドに行っちゃうんだよ。不思議な国だよ」
もう一度「へえ」と言ってみた。
「若いうちにヨーロッパを見ることは大切だよ。特に君のような高学歴の社員は幹部になるんだろうから、そのときに必要な素養も身に付く」
僕は甘えてみることにした。「ということは、許可してくださるということですか」
「そこでだ、どうだろうか、俺の顔を立てて一週間というのは。イギリスだけなら一週間もあれば十分だよ」
「三週間はだめでしょうか」
「さすが資材マン、値切りが上手だね」
「値切っているのはK課長の方じゃないですか」もう少し甘えてみた。
「分かった、十五日でどうだ。これ以上は負けない」
「分かりました」
「よしっ。じゃあこれは受理するから。あと資材課長には私から説明しておく。それと所属上司があれだけ激怒しているわけだから、本社にも報告するからね。有休申請を撤回すればそんなことはしないが、撤回はしないだろ」
「はい、申し訳ありません」
「本社に報告するということは、人事考査に影響するってことだからね。有休は労働者の権利だけど、って、横浜国立大学法学部様に言うことじゃないか」
K課長は立ち上がった。僕も立ち上がり、先に会議室の出入り口に行き、ドアを開けてK課長を外に出そうとした。K課長は「ありがとう」と出ようとしたが、「そうだ、もう少しいいかい」と言って、さっきまで座っていた椅子に戻ってしまった。
「君も座って」
「はい」僕は嫌な臭いをかいだ。
「君、N君と遊んでいるよね」
「いえ」
「いやいや、本当のことを言っていいよ。君がN君やN君の取り巻きとつるんでいないことは知っている。君が意識的に仲間に入らないようにしている気持ちも理解できるつもりだ。だけどN君とつながっているよね、君」
「いえ、つながっていません」
「分かった。質問を変える。以前、君とスペンサー君が付き合っているという噂が流れたが、本当なの?」
「そういう噂があることは、うちの課長から聞きました。うちの課長はK課長から聞いたと言っていましたが」
「本当にあいつはダメな奴だな。情報源を漏らすなんて、スパイだったら仲間に殺されるぞ」
僕は笑ってみた。
「でもさっきもスペンサー君とアイコンタクトしてただろ」
僕は驚いた。確かに総務課長の席からこの会議室に移動するとき、本子は僕に向かってウインクをして、僕は声に出さずに「ばーか」と言った。
「私を舐めるなよ。どうだ、吐いちまえよ」
僕もK課長を真似ておどけて答えることにした。「私に信じる神はいませんが、神様がいると仮定してこう言います。神に誓って金本スペンサー本子さんと付き合ったことはありません」
「うーん、フルネームを言えるっていうのも怪しいなあ」
「特徴のある名前ですからね」
「おかしいだろ。スペンサー君はN君の取り巻きだ。しかも単なる親しい同僚じゃなくて、スペンサー君はN君を尊敬している。でも君はN君とは疎遠であると言う。もし君がN君を嫌っていたら、スペンサー君も君に親近感を持たないはずだ」
課長の推論を、僕は理解できた。それで僕は、何も言わず、ただ「理解できました」という顔付をした。
「だから君はN君と通じているんだよ。私に抵抗するな。私を資材課長程度の人間と思ってもらっては困る」
「ではもっと詳細に説明します。その前にひとつ言い訳をさせてください」
「なんだい」
「僕は嘘をついていません。Nさんとは親しくありません。そして、これから話すことは、業務と関係ない、プライベートな時間に起きたことだからさっきはお話ししなかったんです」
「分かっている。いまから君が何を話しても、不利益な取り扱いをしない」
「それとひとつ教えてください」
「なんだい」
「どうして僕とNさんの関係を知りたいんですか?」
「確かに、それを知らなきゃ怖くて告白できないよな。でもね、私は課長で君はヒラ社員だよ。上の指示には黙って従わないと。でもこう言ってしまうと君は巧みに本当のことを隠すから、それだと私の目的が達成できなくなる。だから教えてあげるね。ただし君にも守秘義務があるからね。いまから言うことがN君に通じたら、ただじゃおかないよ」
「はい」
「N君に不穏な動きが観察されている。その分析結果は、最も楽観的なものから、最も深刻なものまでそろっている。最も楽観的な分析は、彼が我が社を退職する、というものだ。とはいえ、彼は東大卒だから、彼が辞めるとなると、経理課長か私のどちらか、または両方が減点される。
最も深刻なものは、インサイダー取引容疑だ。こうなると解雇事由どころか逮捕要件に当てはまる。でもまあ、僕はこの二つの中間ぐらいだろうと見ている」
この面談中、僕は随分黙っていたが、このときは沈黙を通り越して絶句した。僕のその表情をK課長は、僕が驚いたととった。僕を驚かせたことは彼の満足らしく、勝ち誇ったようににやにやしていた。でも僕のそれは「会社はそんなバカなことを考えているのか」という驚きだった。Nを過大評価し過ぎている。
僕は本当に本当のことを話してしまおうと思った。つまり、「Nさんは社長になりたいだけですよ。単なる夢見がちな青年です。とても頭が切れるけど、普通の立派なサラリーマンです。マークするような大物ではないですよ」と。でも、その真実をここで明らかにすればK課長のプライドが傷つく。K課長はいま、犯罪者を追っている刑事の気持ちになっているから。彼のプライドを傷つければ、彼は僕を疎ましく感じるだろう。または、K課長は僕が嘘を付いていると勘ぐるかもしれない。いずれにしても僕には迷惑だった。それで、結局は間抜けのふりを貫くことにした。
K課長は再び話し始めた。
「N君はインサイダー取引はしていないと思う。株は少しやっているようだが、犯罪に手を染めるタイプじゃない。でも、もしただ単にうちを辞めたいっていうなら、何もそんな怪しい行動を取らなくてもいいはずだ。東大様なんだから、転職先は目をつむってたって沸いてくる。だから犯罪ではないにしても、隠密に行動しなければならない理由があるはずだ。さあ、こちらは手の内を明かしたんだ、今度は君の番だよ。吐いちゃいなよ」
僕は箱根の別荘のことを話した。そこには僕のほかに十人近くの社員がいたから、情報源を特定しづらい。しかもNからその会合について他言無用を言いつけられたわけでもない。僕は会社の同僚と過ごした休日について、管理職と雑談しているだけだ。
「箱根の別荘? それN君の?」
「知りません」
「貸し別荘かな。参加費はいくらだった?」
「そういえば請求されていませんね。僕は払っていません」
「参加者の名前を全て教えてくれるかい」
「それはしたくないですね」
「そう構えずに」
「構えますよ」
「スペンサー君はいた?」
僕は答えなかった。
「分かった。じゃあ、そこに我が社以外の人間が参加していたかい」
その質問は想定していなかった。それで答えに窮してしまった。K課長はニヤリとした。本当に「にやり」と聞こえた。僕は観念して「はい、当社の社員以外の人もいました」と答えた。
「どこの誰だい?」
「知りません」
「Z工業の人ではないかい?」
その質問は想定できた。それで今度は自然な形で白を切ることができた。
「Nさんの友人だろうと誰かが言っていましたが、勤め先までは知りません」
「東大関連かな?」
「本当に知りません。僕は人見知りですから」
「まあいいや。今日はこれ以上問い詰めない。ただこれだけは言っておく、Nと私の選択を迫られたら、迷わず私を選んだ方がいい。私は近く本社に戻る。君はまだ実感していないようだけど、工場で私と知り合えたのはラッキーなんだよ。うちの会社にいる限りは、私に尻尾を振っておいて損はない。イギリス旅行の確保だけじゃなくてさ」
なんてことはない、僕はNとK課長の派閥争いに巻き込まれただけだ。ただ僕にはイギリス旅行という人質があった。それを実現させてくれるのだから、しばらくはK課長側につくよりなかった。
面談を終えて資材課に戻ると、課長は一瞥もくれなかった。ほかの課員も僕に話しかけなかった。翌日もその翌日も同じ調子だった。そして仕事が減った。課員に「お手伝いすることありますか?」と声をかけても、「大丈夫だよ」と言われた。要するに僕を干そうというのだ。それはいじめであり、つらくないことはなかった。でもじきにイギリスに出発するし、帰国して課長にエリザベス女王の顔がプリントされたマグカップをプレゼントしても状況が変わらなければ、退職してもいいと思った。
出発の前々日の夜、Nから僕の携帯に電話があった。僕はNに携帯番号を教えていない。本子から聞いたのか。午後八時、僕はアパートにいた。
「壮行会を開いてあげるよ。145センチに出てきなよ」
「ありがとうございます。でもまだ荷造りができてないんですよ」
「しっかし君の嘘は巧みだよねえ。どうだい、高級スコッチをおごるよ。イギリスに行く人に粋なプレゼントだろ」
「僕はお酒は飲みませんから」
「あ、そうだったね。でもね、たまには先輩の言うことをきいてみろよ」
「誰かほかにいるんですか?」
「いいや、俺ひとりだ」
「分かりました。三十分後に店に着くようにします」
「二十分後でも十五分後でもいいから。俺はやっているから」
カウンターに座ると、ガンジーさんは僕に「ノンアルコールカクテルでよろしいですか?」と尋ねた。僕は「お願いします」と言った。
するとNは「ガンジーさん、彼に僕のスコッチの水割りも出してください」と言った。僕はノンアルコールカクテルを飲む前にそれに口を付けざるを得なかった。ひと口飲んだがやっぱり体質に合わなかった。その代り、本物の桃の果肉が入ったノンアルコールカクテルはとてもおいしかった。
「なんでイギリスなの? パリにも行かないの? ユーロスターで一本だよ」
「どうしてヨーロッパ通はパリに行かせたがるんですかね。K課長もイギリスだけに滞在するのはもったいないって言ってました」
「逆に、パリに行くチャンスを捨てでもイギリスにとどまる理由はなんだい?」
「別にどこでもいいんです、ガラパゴスでもマチュピチュでも。今度のイギリス旅行は、ある旅行記がきっかけなんですよ。湖水地方というエリアをただただ歩く企画なんですが、『ここを歩きたいなあ』って思ったんですよね」
「湖水地方は好きな人は好きだなんだよな」
「行ったことあるんですか?」
「ないよ、あんなところ。写真で見ただけだけど、北海道と変わらないじゃないか」
「北海道には行ったことがあるんですか?」
「ないよ、あんな寒いところ」Nは自分の冗談に満足そうだった。
Nは目的を持って動く。僕をバーに誘うにしても、その都度目的を持っていた。このときは二つの目的を持っていた。
「K課長はなんだって?」
「はあ」
「少しは情報提供しろよ。俺は口が堅いからさ」
僕は、Nが口が堅いとは思わなかった。でも情報の取扱い方は心得ているだろうという信用はあった。それと、NよりK課長の方を頼りにしようと一度は思ったが、退社してもいいと思ったらそんな計算が滑稽に思えた。それでK課長との面談について伝えた。
「イギリス旅行を人質に取られていましたので、箱根のバカ騒ぎについて報告してしまいました」
「ふーん。K課長の反応は?」
「反応も何も。僕は、社内の懇親会ですって報告したので、そうかって感じです」
「感じじゃなく、彼がなんて言っていたか正確に教えてくれ。彼のセリフを、カッコ書きのまま教えてくれ」
「『参加者名を吐いてくれ』と言われましたが、僕は『教えたくないです』と言いました。それはそれで許してくれました。『社員以外のメンバーはいたか』と聞かれたので、『いたけど正体は知りません』と答えました。しらばっくれているだろと言われましたが、本当に知りませんと答えました」
「それだけ? とにかく全部教えて。詳しく」
「『社外メンバーは東大関連か?』と聞かれたので、『その人たちと会話しなかったので知りません、僕は人見知りですから』と答えました」
「そうか、つまりZ工業の社員が登場したってことはK課長は知らないわけだな」
「僕がいま課長面談の内容をあなたにべらべら喋っているのは、あの日の宿泊費と交通費と食事代を支払っていないからですよ。借りを作るのが嫌いだから」
「あの日の宿泊費って、箱根の別荘のこと? そんなの誰からももらってないよ。スペンサーもほかのみんなも、Z工業の人たちからも」
「全部Nさん持ちですか? いくらかかってるんですか?」
「あの日の予算かあ。いくらぐらいだろ。別荘は祖父のだから、宿泊費はかからないけど、前日に清掃会社を入れてるからなあ。食材は成城石井から取り寄せたから、これはかなりの金額になってるな。でも二十万もかかってないんじゃないか」
「それはシャンパン代を除いた額ですよね。それはどういう出費なんですか? 工場労働者の交際費としては、常軌を逸した金額ですよね」
「そんなことないよ。あの中から将来の参謀が育つと考えれば安い投資だ。誤解してほしくないからわざわざ断っておくけど、俺は金持ちのボンボンじゃないからね。生活だって、社会人になって親から一円たりとももらっていない。我が社の薄給でまかなってるよ。それに今回はTさんが来てくれたからね」
「Tさんに女を調達してまであの人とつながりたいという目的はなんなんですか?」
「ああ、そうだ、思い出した、スペンサーの件ではよくも邪魔してくれたな」
「同僚を守ったまでです」
「なんか誤解しているな。Tと二人きりになりたいと言ったのはスペンサーだぞ」
僕は少し混乱した。でもこの人たちの不可解な行動に思い悩むことは無駄だ。それで混乱を廃棄した。だけど、ひとつ気になっていた。Nのことを好きだと、本子ははっきりとそう言っていた。
「それはスペンサーさんがNさんの気を引きたかったからじゃないですか。スペンサーさんはNさんのことが好きらしいですよ」
「そうなんだよな」
僕は話題を変えた。
「Tさんの存在はそんなに大切なんですか?」
「あー、君といるとどうしても喋ってしまう。どうして俺は、君に戦略を語りたくなるんだろうか。君の魅力ってなんだ? この俺が、どうして君なんかを下に置かないんだ。まあいいや。気分がいいから、それでいい。
ガンジーさん、お代わりください。氷は要らないや。ストレートでください。君も新しいのにしたら? 氷が解けちゃっておいしくないでしょ。同じのでいいかい? ガンジーさん、彼にも新しいドリンクをあげてください」そう前置きして語り始めた。
Nは、M製鋼は将来、Z工業と合併しないことには生き残れないと考えていた。それはNひとりの分析ではなく、各業種に散らばった東大時代の友人、いまや若手精鋭ビジネスマンになった彼らの見立てでもあった。Nは、M製鋼がZ工業と合併し、そしてM製鋼が存続会社になる構想を描いていた。
Tはバカだったが、Nには、彼の行動力が魅力だった。箱根の別荘での集会にしても、ライバル会社の社員懇親会に四人の同僚を連れてきたのは、リーダーシップを持つ証拠でもある。ただいくら運動量が大きくても、それを制御できなければ意味がない。その点においても、Tは、自分の利益になるのであれば文句を言わずに働くという性質を持っていた。そして彼は、自分がバカだと知っていた。師事できる人物と認めれば、一生それについていくタイプだ。
Tは元は別の会社にいた。Nは東大の経済サークルの仲間と一緒に、TにZ工業に転職するよう説得した。Tが受け取った彼らの名刺には、そのときのTの社会的地位では到底アポイントメントをとれない社名が記されていた。その者たちから「Nと一緒に業界再編に備えろ。俺たちが必ずバックアップするから」と言われたのである。NはTに「俺が社長、君が専務、どうだ」と言った。Tは彼らに、特にNに、人生をかけることにした。
「企業合併のモチベーションって、シナジーだの好循環だのって言われてるけど、そんなの嘘だからね。ここ二十年の主な合併を調べてみたけど、成功した合併のほぼ百%は、経営者同士の個人的なつながりだ。合併が大型になればなるほど、両社のトップのプライベートなつながりがきっかけになっている。それは当然のことなんだよ。企業合併は、強い者が奪い、弱い者が奪われる構図なんだ。対等合併なんて存在しない。一円でも売り上げが大きい方が強い者になり、そして弱い者から全てを奪うんだ。殺るか殺られるかの瀬戸際では、感情と精神が幅を利かす。理性と理屈なんて無力なもんさ。俺はTをZ工業の中で育て上げて、俺も我が社の中で登っていって、そして合併を成功させる。
三カ月くらい前だったかな、経済サークルの会合に、スペンサーを連れていったんだ。Tは簡単に落ちた。俺に『スペンサーと飲みに行きたい』と言ってきた。スペンサーはスペンサーで、以前から『二十代で結婚したい』と言っていた。だから俺はスペンサーに『Tみたいな奴は家庭を大切にするぞ』って言ったんだ。そうしたら『そうですね』って言ったんだ。二人がくっつけば、俺とTの関係はますます強くなる。
だからそれがまさかなあ、スペンサーが俺に気があるなんて。俺も最近知ったんだ」
「箱根の後ですか」
「そう。箱根の二日後だ。どうしてTから逃げたんだと問い詰めたら、泣きつかれた」
「それでどうするんですか」
「うーん。俺はどうしてもスペンサーと寝ることがイメージできないんだよ。多分彼女が裸で寝ていても勃起しない。そういう人と果たして結婚なんてできるのかなあ」
「できるかどうかというより、しない方がいいでしょうね。どういう女とならセックスできるんですか」
「商売女だな。最初の女が既にそういう女だったから」
「素人としたことはないんですか?」
「お、なんか嬉しいねえ。Aちゃんが俺に興味を持ってくれるなんて。俺、どんどんしゃべっちゃうな。素人とはないな。そういう感じになったことはあるけど、やっぱり勃たなかった」
「変なことをする目的だからですか?」
「さあどうだろう、ノーマルだと思うけど」
「何かのコンプレックスですか?」
「うーん、精神科を受診したことはないけど、そうかもしれないなあ。病気の一種だよね」
この日は二人で145センチを出た。
「まあ、気を付けて行ってきてくれ。ロンドンの滞在は正味十時間か。大英博物館は外せないんだろうけど、でも案外、ナショナルギャラリーがいいよ。ゴッホのひまわりがあるんだ。でもそれよりターナーがいいんだよ。機関車の絵があってね、一九世紀の霧のロンドンの風景画なんだ。機関車は騒音のかたまりのはずなのに、その走りはとても滑らかで、音を立てていないように見える。具象画なんだけど、かといってガチガチの写実的ではないんだよね、どこかとぼけている感じがいいんだ。機関車のかたちは、まるでウイスキーボトルみたいだ。俺は印象派をちやほやする風潮がどうも嫌いで、そんなときにターナーを知ったんだ。ナショナルギャラリーでは機関車の絵の前に三十分ぐらいいた」
僕は、ターナーは漱石の「坊ちゃん」にその名前が登場することぐらいしか知らない。でも必ずナショナルギャラリーに見に行こうと決めたのは、少しNを好きになっていたからだ。どれくらい好きになったかというと、帰国したら145センチで落ち合い、ターナーの機関車の感想を伝えようと思ったぐらいである。高級スコッチを土産に買おうと思ったぐらいである。

イギリスから帰ってからも、資材課で仕事を与えられない状況は同じだった。でも僕は、ひとつひとつの事象を単純化して、世の中の流れを大掴みする能力に長けていた。こういういじめは学校時代に三度経験していた。そのときはつらいが、必ず終わった。終わったとき、いじめられた期間はクラスをよく観察できたと感じたものだ。同級生や教師のキャラクターを事細かに描写することができた。そのスキルは、他人との距離を保つときにとても役立った。ストレスを感じている期間は、きちんとストレスを噛み締めれば、必ず役立つ経験ができる。それが、いじめられることから得た教訓だ。
この教訓は、いまこの場から逃げ出しても、つまりM製鋼を退職しても、またいつか別の場所で似たような経験をする、ということを僕に教える。それならばせっかく二年の下地があるのだから、少なくとも僕の周囲二メートルの範囲の人たちには、僕の生き方を知ってもらう努力をした方がよい、そう考えることにした。
それに、この仕打ちは、僕ぐらいの能力の者が、僕のように生きるためのコストなのだ。孤独を求めつつ北海道の人知れぬ山の麓の小屋で生活するのでなければ、孤独を求めつつ湘南の暴力的なカーニバルを眺めていたければ、工場の事務所で低気圧をやり過ごすしかないのだ。そう、それは台風でも大地震でもなく、低気圧程度のものだ。
ただ弱ってはいたので、Nの誘いはありがたかった。また、僕の旅行中に何があったのか知らないが、Nと金本スペンサー本子は付き合い始めていたから、三人で飲むようになった。
Nは相変わらず会社を牛耳る方策を僕に語った。僕は本業が暇なので日経新聞をとって、さらに経済ニュース番組をチェックするようになっていた。Nのご講義はそれらの引用が多いことが判明したが、多少の見くびりは友情の潤滑油になった。
本子はいつも幸せそうだった。Nの大きな話に熱心に耳を傾けていた。彼女の質問は的外れではなかった。本子の質問を受けるとNは、専門用語を噛み砕いたり、同じ言葉を意識的に繰り返したりして、分かりやすく説明した。
社内での転機は、やはりNがもたらしてくれた。
全社あげてのカイゼン大会で、茅ヶ崎製作所の代表に、総務課と経理課の混合チームが選出された。Nはメンバー八名の中に僕の名前を入れてくれたのだ。確かに資材課のデータを加工してNに渡したことはある。しかしそれは本当に単純なデータで、貢献度は一ミリもない。僕の名前が加えられたということは、Nと本子以外のチームメンバーもそれを承認したということだ。七人は全て箱根の別荘に参加した者たちだった。つまりNグループだ。
カイゼン大会の本大会は、その二カ月後に東京晴海の本社で開催される。それまでの間、プレゼン内容をブラッシュアップする必要があった。僕はパワーポイントのデザインを任された。ほかのメンバーはデータの精査を進めた。帰宅はいつも午後一〇時を超えた。僕の作業は単独でできるから、資材課の事務所でひたすらキーボードを叩いていた。資材課長には「名誉をもらえる仕事は熱心にするんだね」と嫌味を言われた。総務課のK課長はわざわざ資材課が入る建物に僕の様子を見に来てくれ、栄養ドリンクを三ダース置いていった。翌朝それを僕の机の上に発見した資材課長は、「それ、どうしたの?」と尋ねた。僕が「昨晩、総務課長が持ってきてくれました」と答えると、それから資材課長の嫌味は止んだ。そして、資材課長のいじめが中止された途端、資材課の同僚の態度がフレンドリーになった。
「うちの息子が高二なんだけど、横浜国立大に入るにはどれぐらい勉強したらいいのさ」
「バイクに乗ってたんだって? 俺も昔乗っててさ、ゼッツーって知ってる?」
「これ、私が作ったチーズケーキ。カイゼンのメンバーと食べて。必ず社長賞をもらってね」
カイゼンテーマはNが設定した。工場の経理と全社的な経理はまったく異なるロジックで動かしているが、これを市販のパソコンソフトを使って統合しようというものだった。使ったソフトは、経理ソフトとデータベースソフトだった。二つのソフトはメーカーが異なり、通常の使い方をしたのでは互換性はない。そこでNは、知人のシステムエンジニアに、二つのソフト間でデータがやりとりできる「媒体ソフト」を作らせた。それは本社と工場の経理を連結するだけでなく、経理と総務の仕事もリンクさせた。最大のメリットは、コストが百万円程度で済むことだった。
茅ヶ崎製作所内でのコンペはそこまでだったのだが、Nは本大会までの二カ月間に、資材課の業務もそこに組み入れた。僕も堂々とメンバーを名乗れるようにしてくれたのだ。
Nグループは、果たして最高賞の社長賞を取った。社長は「これを富士通やNECに発注したら何千万円取られるか分からない」と評した。さらに、本格的な導入を見据えて、開発チームの立ち上げを検討すると言った。
翌週の月曜日、茅ヶ崎製作所の食道で全体朝礼が開かれ、メンバー八人が壇上に上げられた。工場長が再び、つまり本社で社長が読み上げたものと同じ賞状を再び読み上げ、Nグループを称えた。賞金は三万円だった。Nは勝手に造園業者を発注し、工場の正門の花壇を整備させた。経費削減策の一環として撤去されて以来、実に1年八カ月ぶりに工場に花が咲いたのである。

カイゼン大会は学園祭のようなものだ。無償の、確かに三万円の賞金あったが、それでもやはり実質的に無償といえる目的のために取り組み、最初は面倒くさそうな顔をしていたスタッフが次第に熱くなり、周囲も自然と応援してくれるようになり、そこそこの結果を出すと賞賛が得られ、そして一気にしぼんだ。
Nはイベントを必要としていた。つまらなそうな企画でも、誘われるまま顔を出しているようだった。イベントがしばらく開かれなければ、自分で作った。いい企画案が浮かばなければ、とりあえず飲みに出た。145センチのカウンターに座って、彼の右に本子、左に僕を座らせておけば、とりあえず機嫌よく飲んでいた。
この三人の会合が習慣化してしばらく経ったころ、Nが145センチになかなか現れないことがあった。一時間経ったとき、本子はNの携帯を鳴らした。東京晴海の本社にいるという。終業間際に急遽呼び出され、そのまま本社会議室に缶詰になっていた。Nは本子に「まだしばらく出られそうにない。俺のツケで二人で飲んでくれ」と言って電話を切った。「メールぐらい打てるのに」と本子はぼやいた。
僕はまだお酒が飲めなかった。厳密に言えば、一種類のお酒だけは飲みたいと思うことがあった。箱根の別荘でNが飲ませてくれた虹色のシャンパンだ。しかし、それは僕のサラリーには見合わなかった。仮にそれだけの現金を持っていたとしても、145センチはかなりたくさんの酒を用意していたが、それでも常備されていなかった。それでやっぱりノンアルコールカクテルを頼んだ。本子はビールを飲んだ。というより彼女はビールしか飲まない。本子がグラスを空けると、ガンジーさんは黙って次のビールを出した。
僕と本子の会話はすぐに途切れ、僕は仕方なく「仲がよくてなによりです」と愛想を言ってみた。
「そうね。それはありがたいです」と本子はつくり笑いをつくって笑いながら言った。
「それはよかった」
僕は、この会話の相手がNだったら、「よかったなんて思っていないのに『よかった』って言ったろ」と言われただろうなと思った。
「はい、本当によかったです」
「好きな人と結ばれるって素敵なことですか」
「はい、おかげさまで。本当にありがとう。あのときの電話は本当に救われました」
「大げさじゃないですよね」
「はい。でもねえ」
「なんですか?」
「ちょっと言いにくいんですけど」
「じゃあ止めましょう」
「そうですね」
でも彼女は告白した。
Nが性交したがらない、というのだ。僕は「それは僕は知りません」とはっきり言った。それでその話題を打ち切ったつもりだった。しかし彼女は続けた。
「私、性欲が強いんです」
「それは大変だ」
「大変なんです。以前のように工場の子たちと付き合うこともできないし。みんなからちやほやされる生活が懐かしいなと思うこともあるんです」
「それならTと寝たらいいじゃないですか」
「ああいうモロな人はちょっと。伝わりますか、モロのニュアンス」
要するに彼女は僕と寝たいと言っているのだ。
「本当にこういう話はよしましょう。僕はあなたとセックスしたくないわけじゃないんです。でも僕は本当に、心の底から、面倒に巻き込まれるのが嫌なんです。面倒な目に遭うくらいなら、僕は性欲を抑えます。スペンサーさん、あなたも抑えた方がいいですよ。性欲に従順な者は、身を滅ぼす」
「実感がこもっていますね」
「なんでもいいでしょう。ガンジーさん、帰ります。お勘定をしてください。スペンサーさん、僕はしばらくはあなたと会いませんから」
「潔癖なんですね」
「いいえ、僕は十分汚れています」僕は立ち上がった。そして「ただドブの汚さは気にならないけど、ウンコの汚さは我慢できないんです」と付け加えた。
店を出るとき、本子の方を振り返った。カウンターの本子は向うを向いていた。本子の顔をとらえられなかった僕の視線はガンジーさんの視線とぶつかった。ガンジーさんはにっこり笑った。僕もにっこり笑った。
Nの本社出張が増えた。そうなるとNグループは機能しなくなった。Nなしでイベントを、例えば河原のバーベキューを開催する者もいたが、僕は参加しなかった。参加者のひとりはわざわざ資材課の事務所に来て、いかに盛り上がらなかったかを僕に報告した。

そうして二〇〇〇年に突入した。
つまり九十年代が終わってしまったということだ。
九十年代はとても不幸な十年で、僕は同情を禁じえない。七十年代も八十年代も、国民が、世界の人々が、そこに特徴を見つけようと努めた。でも九十年代はその十年単独で評価されることはなく、二〇世紀のうちの九十九年に組み込まれてしまった。二〇〇〇年の一年間は、九十年代を振り返るのではなく、二〇世紀を振り返ることに費やされた。だから僕が一九九四年に、時代に意味を付ける行為を放棄したのも、世の中のトレンドに乗っただけともいえるのだ。
僕は三十歳になった。

大学時代、友人たちと三十歳について語り合ったことがある。僕らは三十歳の自分たちを想像しようとしていた。そのうちのひとりが「漱石の『明暗』の主人公に津田っていうのがいるんだけど、これが三十歳なんだよ。俺は四十歳ぐらいだと思いながら読んでいたんだ。明治人は老成しているとつくづく実感した」と言った。
すぐに反論として、人生五十年の時代だから、三十歳は死亡の二十年前となるわけで、昔の三十歳はいまの五十歳に等しい、という主張が出た。すると別の者が、「それはおかしい」と言った。「死亡日から数えるからそんな乱暴な考えになるんだ。明治人の一年間も、平成人の一年間も、三百六十五日であることは同じで、三百六十五日に学べる量も同じなのだから、やっぱり平成人は幼いんだ」
人生五十年における一年間の緊張度と、平成の世の一年の緊張度はやっぱり異なるだろうという、反論の反論も出た。

この意味のない議論を、それでも懐かしく思い出していた三十歳の僕は、会社では係長補佐という肩書きが付いた。資材課には後輩がいて、彼はもう入社から三年を経過していた。
この年は、Nと本子が結婚した年であり、Nが本社の経理部に栄転した年であり、本子が退職した年でもあった。Nは二カ月に一度は茅ヶ崎製作所に顔を出した。「本当は新潟工場と千葉工場にも同じ頻度で顔を出さなきゃならないんだけど、やっぱり『自分の工場』に足が向いちゃうよ」と笑っていた。
Nが茅ケ崎にくるたびに彼は僕を145センチに連れて行くのだが、僕たちの会話は撥水コーティングされた布の上を滑る水滴のように流れていった。ただ僕もNも水滴だけはたくさん持っていた。Nが教えてくれる本社の動向は僕の仕事に役立ったし、僕が提供する茅ヶ崎コンフィデンシャルはNの好物だった。いずれもメールで済む内容なのだが、こうした儀式は僕にも必要に思えるようになっていた。だから表面上の会話は弾んでいないことはなかった。
「君はまた異動を断ったらしいな、いい加減にしろよ」
「茅ヶ崎を出たくないんです」
「そんなことないぞ。東京は面白いぞ。晴海は築地に近いから、夜も楽しい」
「まあ、本社に行かなきゃ首だって言われたら考えますけど、選択権があるうちは茅ヶ崎を出ませんね」
「そんなことを言ってると、新潟とか千葉になっちゃうぞ。それこそ選択権を剥奪された上で」
「新潟もあるんですか?」
「あるよ。出向した奴だっている」
「でも本社に行ったからって、その後、新潟と千葉を免除されるわけじゃないでしょ。北京だってあるでしょ、なんか営業所みたいのを作ったし」
「営業所みたいなものじゃなく、合弁企業だよ」
「僕は暴走族崩れですから、この土地を離れたくないんです」
「暴走族も減ったな。二十年前はあんなにいたのに」
「そうですね」
「バイクって楽しい?」
「楽しかったですね」
「どうしてやめちゃったの?」
「両手両足を骨折したからです」
「そんな大事故に」
「いえ、一回に一箇所ずつ」
「四回も転倒したのか」
そのうち二回は暴走族に暴行されたのだが、そういうことを説明すると長くなるので「そうです」と答えておいた。
「へえ、なんか意外だ」
「そうですか」
「怖くなってやめたの?」
「母親がバイクを捨てちゃったんです」
「捨てた?! すごいお袋さんだな」
「無謀ですね」
「両親は健在なの?」
「父は僕が小三のときに死んでいます。母親は…」
というように、やっぱり水滴は染み込んでこなかった。

翌年Nは本社の経理課長に昇格した。五人抜きの大抜擢だった。だから本社経理部による工場訪問は、別の本社経理課員が担当することになった。つまり、Nの茅ケ崎訪問がなくなったわけである。ところが逆に僕が本社に出向くことが多くなった。でも僕は経理部に顔を出さなかった。数日後にNから茅ヶ崎製作所資材課に電話が来て「月曜日に本社に来てたらしいじゃないか。どうして声をかけない」と叱られた。
このころの僕の最大の関心事は、もう一度バイクを買うかどうかだった。僕は消音マフラーを外して爆音を出して市民の安眠を妨害したいわけではない。峠道のカーブの恐怖に立ち向かうマゾヒストでもない。バイクに乗るだけで不良と言われる、あの称号が欲しいだけだった。
そういう願いがなぜか通じてしまうことがある。
母親の認知症が重度化して施設に入ることになった。介護保険の手続きやら、施設側の面接を受けるやらで、会社を何日も休まなければならなかった。母親が無事個室のベッドに納まったとき、僕のストレスはピークに達していた。物欲を満たすことでしか発散できないと悟った。僕はその足でバイク屋に向かい、中古の二百五十ccのバイクとヘルメットを注文した。
僕はなぜかそのことを本子に伝えたかった。本子の携帯メールアドレスは知らなかったが、携帯の電話番号を僕の携帯に登録していた。それでショートメールを使って報告した。
「バイク買いました。高校生に戻った気分です」
本子からはすぐに返事が来た。
「夫婦仲は最悪です」
僕は「そういうことじゃないんだよな」と独り言をした。どうしてこの人はこういうことに僕を巻き込もうとするのだろうか。僕は返信しなかった。

Nと本子が離婚したのはそれから三カ月後だった。二人は離婚式を開くという。会場は、箱根のあの別荘。金曜の夜九時に始まって、夜通し飲み、翌日もずっと飲み続け、日曜の朝食を食べてから、あの広い駐車場でお互い相手の結婚指輪をハンマーでつぶす儀式を執り行う。そのような内容が書かれた案内状が送られてきた。出欠を知らせる返信はがきが入っていて、僕は「欠」に丸を付けて投函した。
案内状が送られてきた翌日、工場に出勤してまもなく、総務課の中堅社員が資材課の部屋にやってきた。元Nグループのメンバーだ。「AさんはNさんの離婚式に行くんですか?」と嬉々として尋ねる。
「行くわけないよ」
「そっかあ、Aさんが行かないなら俺もよそうかな」
「よした方がいいよ」
「でも面白そうじゃないですか」
「じゃあ行けばいいさ。後でどれほどバカバカしかったか教えてください」
「それならAさんも行きましょうよ」
「僕はもう欠席するって知らせました」
「返信はがきを出したんですか」
「うん、昨晩」
「そっかあ」
彼はそれで自分の事務所に帰って行った。
二日後、Nから僕の携帯に電話がかかってきた。
「どうして来ないんだよ」
「行くわけないでしょ」
「君がこないと盛り上がらない」
「そんなことはないですよ。茅ヶ崎からは何人か行くって言ってましたよ」
「役不足だな」
「Nグループのメンバーで盛り上がったらいいでしょう」
「懐かしいね、その名称。結局君は加盟してくれたんだっけ」
「していませんね」
「准構成員ということか」
「なんでもいいです。スペンサーさんによろしくお伝えください」
「おい、切るなよ」
「もういいでしょう」
「そうしたら、離婚式はやめる。名称を研修にしよう。とにかく君とまたバカ騒ぎをしたいんだ。来てくれ」
「行きません。それに『また』って言いましたけど、僕はあのときバカ騒ぎはしていません。バカ騒ぎの場に居合わせただけです」
「バイクを買ったんだってな。どうだ、ツーリングがてら寄れよ。温泉に浸かりに来いよ。パーティの雰囲気が気に入らなければ、そのまま帰ればいい。もちろん泊まってくれたら嬉しいけどな。手ぶらでいい、全て用意するから」
「分かりました。気が向いたら行くということで今日はよろしいでしょうか」
「そうだな、これ以上説得してもどうにかなる君じゃないからね」
僕は行くことにした。それはNが、ツーリングにかこつけて立ち寄れと言ったからだ。僕は本子をもう一度見たかった。Nと離婚すれば、M製鋼と完全に縁が切れるので、もう二度と会うことはない。だからこの離婚式が最後のチャンスだった。でも離婚式はあまりにふざけすぎていた。人をおちょくり過ぎていた。それで本子と会うことを諦めたのだ。Nは僕のその心理を把握したかのように、僕にツーリングのついでという口実を与えてくれた。相変わらず器用な男だと感心した。
当日、仕事は順調に終わった。終業の午後五時半を知らせる工場のサイレントともに、僕は事務所を出た。ロッカールームで着替え、駐輪場に停めたバイクにまたがり、箱根に向かった。
海岸線を走りながら、僕は笑っていた。これから始まる乱痴気騒ぎのことを思ってのことではもちろんない。走ることが楽しかったからだ。湘南の海を左に見ながら箱根に向かう道路は、退屈な金曜日を最高のナイトクルージングに変えた。
到着が九時半になってしまったのは、箱根の別荘街の道が入り組んでいて迷ってしまったからだった。駐車場は満杯だったが、僕はバイクだったので余白に停めることができた。五十人はいようか、居間は大賑わいだった。知った顔もあったが、ほとんどは知らない。着飾った者もいれば、僕のようにジーパンとトレーナーというのもいた。Nはタキシードに蝶ネクタイだった。僕が笑うと、Nは「受けてもらって嬉しいよ」と言った。本子は両肩を出した、まぶしいほどの黄色のドレスを着ていた。
「あのシャンパンがあるの。あなたはあれならアルコールを飲めるからって、元夫が五本も買ってきたの」
「もう離婚届けは出したの?」
「もちろん」そう言いながらも、本子の左手の薬指には指輪がしてあった。ハンマーでつぶす儀式のために着けたのだろうか。
「とりあえずヘルメットとバッグはどこに置いたらいい?」
「二階のどこでもいいわ」
本子は誰かに呼ばれて僕の元を去っていった。
騒ぎは尋常ではなかった。夜中の一時に警察官がやってきた。近隣の住民から苦情が来たという。それ以降はオーディオは使わなかったが、酔っ払いたちの会話は続いた。僕は随分前から話し相手がいなかった。Nや本子は僕と話したそうにしているのだが、すぐに誰かにつかまって変なゲームをさせられたりしていた。
シャンパンは結局僕のところに回ってこなかった。二時を過ぎると二階で休む者や、飲酒運転で帰宅する者がいて、居間は落ち着きを取り戻していた。話を続けている者はなにやら真剣なテーマになっていた。そこに僕を呼ぶ声がした。振り向くと、キッチンでシンクの上に腰かけているNと本子が僕に向かって手招きしている。僕はソファを立ってそちらに向かった。二人は、せっかくの正装がしわくちゃになることなど気にならない様子で自由な姿勢だった。
「シャンパンを残しておいたんだ」とNが言った。
まさにあのときのシャンパンだった。本子が細長いグラスを三つ用意して、Nがそれらに均等に注いだ。ピンク色が虹色に変わり、それがまたピンク色に戻るさまも数年前と同じだった。三人で乾杯して、ひと口飲んだ。とてもおいしく感じた。
「おいしいわね」と本子が言った。
「俺と別れたらもうこんな贅沢はできないのに」Nはそう言った。
僕は「離婚はスペンサーさんから言い出したんですか」と聞いた。
「そうよ」と本子が答えた。
「嬉しいよ、A君。君が僕らについて興味を持ってくれて」
僕はふた口目を口にした。すぐに三口目も口にした。その瞬間、本子が「うっ」と言った。次の瞬間、彼女はシンクの上から飛び降りて駆け出した。
「ははは、心配しなくて大丈夫だよ。飲みすぎだよ。吐きに行ったんだ。今日はいっぱい飲むんだって、さっきから吐いては飲み、吐いては飲みを繰り返してるんだ」Nは大声で笑った。
居間の人たちがこちらに気付き、「お、シャンパンがまだあるのか」と近寄ってきた。それでキッチンにまた議論グループが形成された。Nのご講義が始まったので、僕はグラスを持ったまま、グラスにはまだ八分目ほど入っていて、元いたソファでそれを大事に飲むことにした。
僕はクリスマスのイルミネーションが、わざとらしい感じがして好きになれない。でもこのシャンパンのきらきらはそれとはまったく違っていた。この液体に溶けているのは、本質的な豪華さだ。封を切られ空気に触れたことがきっかけとなって、小さな泡となって世界に飛び立つ。僕たちは本当はそれが炭酸の泡であることを知っている。そしてそれがいつか途絶えることも知っている。でもこのシャンパンの前にいると、その美しさに集中してしまい、有限性を忘れてしまう。とても危険なことなのだが、それでもこの誘惑には勝てない。

僕の座っているところから、バスルームの一部が見えた。そこに黄色い物体があった。と思ったら本子のドレスだった。吐き疲れてうずくまっているのだろう。その黄色はとても綺麗だった。僕はふと「あのときのようにジャズが流れればいいのに」と思った。すると誰かがジャズを流した。この音量なら建物の外に漏れないだろう。僕は照明が落とされたらいいのにと思った。するとまた誰かが照明を落とした。シャンパンはその暗闇でも虹色に発光していた。そして本子のドレスの黄色も。
僕はとても気持ちがよかった。
そのとき、床で寝ていた男が立ち上がった。僕の知らない人だった。トイレに行くのだろうと思った。しかし彼は全然違う方に向かっていった。彼の歩みに迷いはなかった。彼はバスルームに向かっていた。黄色のドレスに向かっていた。
男は寝ていなかったのだ。少なくとも立ち上がる数分前には目覚めていて、本子の存在を認めていたのだ。男が黄色いドレスに触った。何か話しかけている。本子も何か答えているようだが、起き上がる様子はない。ぐったりしている。男は本子を立たせようとしている。本子は抵抗しているのだか、立ち上がろうしてうまくいかないのだか、ここからでは判然としない。本子は泣いているのかもしれない。男は彼女を慰めているようだ。
僕はそれをじっと眺めていて、そして立ち上がった。シャンパンが三センチほど残ったグラスをテーブルに置いて、二階に行った。部屋は五つあった。階段の上り口に近い部屋からひとつずつドアを開けて、中の混み具合を見た。最初の部屋は少なくとも四人が寝ていた。さらに暗闇の奥に数人いる気配がした。それでその部屋のドアを閉めた。次の部屋は、ドアが何かに当たって半分しか開かない。ドアの向うに誰かが寝ているのだ。廊下でも男が一人寝ていた。僕は尿意を催した。トイレは一階にしかないと思っていたが、もしかしたら二階にもあるかもしれなかった。一階には戻りたくなかった。
僕の予想は当たった。そして驚いた。
トイレの手前の壁に、ターナーの機関車の絵が掛けられていたのだ。僕がNにあげた、イギリス土産だった。それはコピー品ではない。実物の二分の一の大きさだが、英国王立美術アカデミー公認の模写専門の画家が描いた本物の油絵だ。僕はそれを、ガイドブックにも載っている由緒ある画廊で買い求めた。僕がプレゼントしたときに付いていた額縁は外され、より豪華なものに代わっていた。Nがこの絵を大切にしてくれたことを知って嬉しく思った。

機関車は、ロンドンを走っているときも、箱根の別荘を走っているときも、霧の中にいた。だからその姿はおぼろげにしか見えない。ちょっと見ただけでは霧と区別がつかないが、じっと見ているうちにそれと分かる煙をもうもうと立てながら、相変わらず音を立てず走ってくる。滑らかな走りだ。
機関車は向うからこっちに向かってくる。僕の胸まで到達したら、こいつはどこを走るのだろうか。僕の心はシャンパンのせいでふわふわ浮かびあがっている。機関車は僕の心の後ろにも周る。そうだ、機関車を運転しているのはNだ。僕の心の周りをぐるぐる回って、僕をからかっているのだ。
でも機関車はじきに僕に飽きる。そうしたら次はどこに行くのだろうか。僕は、本子のところに向かって欲しいと願った。
本子は、あの見知らぬ男の誘惑に勝てるだろうか。
Nよ、機関車に本子を乗せるんだ。本子は愛を探している。でも、こんな夜の中じゃ愛は見つからないと、本子にそう教えてやってくれ。本子を乗せたら、機関車を朝に向かって走らせろ。こんな夜の中では、愛は戻ってこない。君はそんなことは知っているはずだ。日の光が当たる時間を目指すんだ。朝になるまで走り続けるんだ。

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