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志らく氏の松本氏擁護は、なんか卑怯【性加害疑惑】

立川志らく氏は、松本人志氏に恩がある。

ワイドナショーにコメンテーターとして呼んでもらったり、M-1の審査員をさせてもらったりしてきた。

もちろん表立っては誰も、松本氏が志らく氏を引き立てた、とはいわないだろうが、しかしワイドナショーでもM-1でも、松本氏には少なくとも拒否権はあるわけで、その拒否権が志らく氏に対して発動されなかっただけでも、志らく氏が松本氏に恩を感じるには十分である。
だから今回の性加害疑惑問題で、志らく氏が松本氏に擁護的であることは理解できる。


ここまではよい。

しかし志らく氏は、恩があるから松本氏を擁護するとはいわず、正義だから松本氏を擁護するという。これは間違っている。

以下は、2024年1月15日付けスポニチの報道。

志らくが15日、自身のXを更新。松本に関する一連の週刊誌報道について私見をつづった。
志らくは「私の以前のポストがキリトラれて、あたかも松本さんが今回の事件を笑いに変えるべきだと言っているように拡散されている」と指摘し、「私が言ったのは以下の通り。『週刊誌がいっていることが事実でなかったなら、今回のことを糧にさらなるすごい芸人に昇華して下さい。これらのことをすべて笑いに変えちゃう松本人志を期待してます』」と、あらためて自らの主張をつづった。

この考え方は間違っている。なぜか。

志らく氏は、「松本氏の性加害疑惑が無罪なら松本氏には今回の件を笑いに変えて欲しい」と言っているわけだが、この「性加害疑惑」を「殺人疑惑」に置き換えるとこうなる。
「A氏の殺人疑惑が無罪ならA氏には今回の件を笑いに変えて欲しい」
こんな主張が社会に許容されるわけがない。
ただこれに対しては、「性加害疑惑」を「殺人疑惑」に置き換えるのは極端すぎる、という反論が予想されよう。
では「性加害疑惑」を「暴行疑惑」に変えてみたらどうか。
「B氏の暴行疑惑が無罪ならB氏には今回の件を笑いに変えて欲しい」
この主張も社会に許容されない。
つまり、無罪であると仮定して容疑者を擁護することは正しいことではないのだ。

志らく氏は、推定無罪の考え方を「無罪が推定される以上、その人は今もなお事件が起きた前とまったく同じ状態にある」と誤解してしまっている模様。

しかしこの考え方も間違っている。
容疑者は推定無罪という待遇を受けているだけであり、容疑がかかっている事実は消えない。
もちろん、推定無罪中の容疑者をあたかも犯人のように扱うことは許されない。
しかし社会は、第三者が容疑者をわざわざ擁護することは許容しないのである。

志らく氏の発言のミスは、性加害疑惑という深刻な事件が起きているのに、松本氏に対して笑いにしろと求めていることにある。

そして仮に松本氏が無罪であっても、松本氏がこの件を笑いにすべきではないのは明白である。
志らく氏はこうもいっている。

「それに仮に無実であった場合、被害者とされている女性達を笑いの種にするのではなく、これはサンデージャポンで太田光さんも言っていたが、自分の境遇を笑いにすると言うことです」

女性を笑ってはいけないが、自分の境遇は笑いにすべきだ、といっている。

しかし、ここまで社会を騒がせて、世界的なイベントである大阪万博に泥を塗り、経済的な損失を生んでいる松本氏の境遇も、笑いにしないほうがよいのは明白である。

そして志らく氏がさらに卑怯なのは、ここで太田氏を引き合いに出していることだ。
この人は故立川談志氏、松本氏、太田氏といった芸能界の権威をよく利用する。

被害女性が志らく氏の友人であっても、志らく氏は松本氏に「笑いにせよ」と言っていただろうか。

被害女性が志らく氏の友人だったら、志らく氏は女性を擁護して、松本氏を糾弾していたのではないか。
松本氏に推定無罪が働いたとしても、だ。
今回、志らく氏が松本氏を擁護して、被害女性に冷淡なのは、志らく氏が松本氏に近く、被害女性から遠いからと推測できる。

スポニチは別の記事でこのようなことを紹介している。

「なぜ無実が前提なのか」という意見がネット上で勃発。志らくは「あのね、仲間を信じたり、エールを送るのの何がいけないの?」と反応し、「もし有罪になったら軽蔑するって書いてあるでしょ」と、自身が前置きしていた点を強調した。

これも卑怯な物言いだと思う。
仲間を信じるのはよいし、エールを送るのもよい。

しかし、性加害疑惑という重大な問題を抱えた仲間にエールを送ったことをことさら公開することは卑怯だ。

エールを送ったことを誰にもいわなければ松本氏への友情を感じることができるが、エールを送ったことをわざわざ公開することには策略しか感じない。

「松本さん、僕、松本さんが疑惑の渦中にあってもエールを送りましたよね。みんなも僕が松本さんを擁護してたのみてたよね」と言っているようにしか聞こえない。

そして志らく氏は「有罪」といっているが、本件はまだ刑事事件になっていないし、これからも刑事事件になる見込みは薄いので、そもそも有罪は起きえない。
志らく氏は明らかに「有罪になったら軽蔑する」と言っているのであって、明らかに「民事裁判で負けたら軽蔑する」とは言っていないのである。
つまり志らく氏は、松本氏がどうなろうと支持し続けます、といっているに等しく、さらに、そういっていることを公開しているのである。

志らく氏は、松本氏が芸能界に復帰したときのことを考えているのではないか。「まっちゃんが一番ピンチなときに擁護した」というポジションを今取っておけば保険になるからだ。

志らく氏は自分の論のなかに、正義を盛り込んでいるようにみえる。
志らく氏は、松本氏をかばいたくてかばっているのではなく、かばうのが正義だからかばっている、という論を展開しているのである。
しかし松本氏をかばうことで生まれる志らく氏のメリットを考慮すると、志らく氏が主張する正義には無理がある。
だから素直に「まっちゃんにはいろいろ良い思いをさせてもらったから、そう簡単にはまっちゃんを裏切れないのです、僕」と言えばいいのだ。

そして調子がよい者や狡い人は得てして裏切るものである。志らく氏が卑怯な人間なのかそうでないのかは、3年後の態度で決まるだろう。

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