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仕事を創り出すのが好きなんだな つづき

アナウンサーの派遣が決定

奇跡は続き、もっとすごいことが起きた。

親会社の放送局が、アナウンサーの業務の一部を派遣に切り替えようと検討しているという情報が。ニュース読みの仕事の一部を派遣でやってはどうかと。この頃、東阪では既に派遣に切り替えている局もあったけど、福岡では初の試み。

実は「ニュースを読む」というのは、放送局にとっては一番神聖な仕事。バラエティやラジオ番組はシロウトでもできるけど、「ニュース」は放送局の顔として大事なものとされていた。だから、この仕事を正社員以外にやらせるということ自体が、かなり画期的なことだった。

結局、養成講座立ち上げより先に「派遣」が決定するという、私としては嬉しい誤算。登録者がまだいないので、イベント派遣時代の知り合いを総動員して(こういう時に私の転職人生が役に立つ)候補者をピックアップ、オーディションをして無事、福岡第一号のアナウンサー派遣が始まった。(今はどの局でも当たり前)

冒頭のファシリテーターから「福岡初ですよね!」と何度も言われて、そう言われればそうだなぁと今さらながら思う。。。そして「そもそも、アナウンサーの派遣をなぜ始めようと思ったんですか?」という質問。んーっと、なんだっけ??

なぜアナウンサーの派遣にこだわったのか

改めて思い返してみると、そこには「働きたい人」がたくさんいた。その人たちのためにも活躍の場を創りたいと考えていたことを思い出した。

当時、派遣登録に来る人の中には、時々「NHK○○でローカル番組のキャスターやってました」とか「元局アナだけど夫の転勤で辞めた」みたいな人がやってきていた。当時はそれが生かせる派遣先はなく、仕方なく事務的仕事(放送局の中ではあったけど)についてもらったりしていて、もったいないなぁと思っていた。他にも、うちの会社にはラジオカーのレポーターがたくさんいたんだけど、1年の契約が終わると即仕事がなくなるという厳しい現実があった。

前職のイベント派遣会社には、結婚式のMCやナレーションコンパニオンなど「喋り」を専門とする女性がたくさんいた。バブル時代に休むヒマもないくらい忙しかった彼女たちも、バブルがはじけたその頃には、仕事が少なくなったとぼやいていた。

他にも、私は、自分の会社の社名の頭には放送局の名前がついているのに、一番象徴的な「喋る仕事」がないなんてどうなんだと、ずっと思っていた。登録に来る人も期待しているし、外部からもそう見えているはず。その分野を確立していけば、会社のブランディングもできるし、他の派遣会社との差別化もできて、ビジネス的にも上手くいくはずと確信していた。

結局、人のための「仕事を生み出す」のが好きなんだなぁ。

そして「アナウンサー養成講座」でも、たくさんの人に活躍してもらうことになる。

つづく・・・

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