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配慮と思っていたのは実は上から目線ではないかと気づいたこと

伯父の葬儀に行って、久しぶりに従妹家族に会った。従妹と会うことはこれまでも時々あったが、ファミリーに会うのは10年ぶりくらいか。夫婦と高校生の双子の子どもがいる4人家族だ。

実は彼女の夫は車椅子に乗る障がい者。事故で脊髄を損傷し、首から下がほとんど動かない。そんな彼と結婚すると従妹が言い出した時は驚いた。
伯父はずっと反対していたが、それを6年もの時をかけて説得し、結婚までこぎつけた従妹にはもっと驚いた。

そんな彼女を見ていていつも感心するのは、彼に対する態度。とにかく何の遠慮もないし(家族だしそりゃそうなんだけど)、特段の配慮もない。久しぶりに会う親戚たちが車椅子を珍しそうに見ていると、「これがさぁ、最新鋭の車椅子でむっちゃ高いんよ~!軽自動車並みなのに補助なんて微々たるもんで、もう大変よ~」とあっけらかんと笑う。

葬儀場でお焼香に立つ時、従妹はサッサと自分だけ親族の列に並ぶ。
私は、車椅子の彼が気になってどうするのかと見守っているのに、だ。
すると、葬儀場の人が気を利かせて、お焼香のセットを彼の前に差し出しその場でお参りするようにしてくれていた。
なるほど、ちゃんと打ち合わせはしてるのね、と私も安心して列に並ぶ。

火葬場で「最後の対面です」と案内があり、棺桶の中の顔を覗くために親族が並ぶ。彼はどうするのかなぁと気になって振り向くと、近づこうかどうしようかとちょっと悩んでる様子。
台がかなり高いので覗くのはムリかな、そもそも近づけないか、などと私が心配しているのをよそに、従妹は全く無頓着で、他の親族と話をしながら棺桶に張り付いている(ま、伯父は彼女のお父さんだから)。
結局諦めたのか彼は隅でじっとしていた。

それ以外も、ぞろぞろと移動する時、待合の席でお茶を飲んでいる時、従妹は何か彼の世話するでもなく親族の間を渡り歩いてお喋りをしている(そもそも口から生まれてきたんじゃないかというくらいお喋りではある)。

そんな時、私の後ろにいた彼の車椅子が、まるでウィリーかと思うくらい傾いた。「えーーっ!?なになに、気分悪いの?寝る態勢でもなさそうだし・・・」と驚いて、向こうでお喋りに夢中な従妹のところに駆けつけた。「ねえねえ、お宅のダンナさん、大丈夫なの??」と私。
すると従妹はチラリと彼を見て、「あー、全然大丈夫」と。「ずっと座ってるとお尻に血液が溜まるので、時々あんな風に逆さまになるんよ~」と。
「姉ちゃん(私のこと)初めて見るから驚いたよね~」

よく考えたら、何か困れば自分で声を出せばいいのであって、ずっと心配して見守る必要はない。何かやってあげた方がいいんじゃないか、そう考えている私は、強者が弱者を見る目をしているんじゃないのかと気づかされた。これこそが『パターナリズム』

他の従兄弟たちと同じように接すればいいだけ。お茶を差し出すのは誰にでもすることならすればいいし、「何かやることありますか?」なんて誰にも聞かないのであれば、彼にも特に言わなくていい。
先走って手を差し伸べなくても、必要であれば彼が自らリクエストしてくるという、とてもシンプルなことに改めて気づかされた。

【バリバラ】を見ていて、いつも障がい者の人たちが言ってるじゃないか「フツーに接してほしい」と。

そうだったそうだった、頭では分かったつもりでも、やっぱり経験しないとできないもんだなぁとつくづく思った出来事。

そして、この従妹ファミリーを見ていると、障がいだから何?と心の底から思う。仕事もバリバリやってるし、心優しい子どもたちも育ってるし。できないことはあるけれど、だから何?って感じ。
だいたい、私ができなかった子育てもやってるしね。負けてられんなーと思うよホント。

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