わたしのこと8.母の日に思う

「今度の日曜日、行こうと思います」
起き抜けにスマホの画面を見て、何を言っているのか、この人は、と。
訪問を考えているときって、まずは相手に予定を聞くものなのでは?と思うのは私だけかしら。
あいにく、その日は出かける予定があるので、来てもいませんよ、と速攻、返信。相変わらず自由だな、まったく。


買い物に出かけると、小さな子がカーネーションを手にレジに並んでいた。
今年は母の日、いつだろう?とぼんやり思ってはいたものの、この週末だとはあまりピンと来ていなかった。
最近の母の日は、"最期まで元気で、自由に好きなことをして暮らしていけますように"くらいの気持ちは届けている。
"オ母サン、イツモアリガトウ"という感謝ではないけど、親子としてのつながりは示しておこうかと。

私たち親子はきっと、家族としては破綻している。
親であり、子であり、姉妹であるという繋がりはあるけれど、家族という運命共同体としての機能はない。
そう思ったとき、自分の中にストンと落ちるものがあって、妙に納得した。気持ちが軽くなった。

我が家は再婚家庭である。
父が早くに他界して、私が中学に上がるタイミングで母が2度目の嫁入り。私と姉は相手方の籍には入らなかったので、家族生活第2章の幕開け、みたいな感覚はそもそもなかった。
再婚のタイミングは、最初に相談されたときに家族会議が開かれ、私が高校を卒業するまで待つという話に落ち着いた……はずだった。
しかし、当時、住んでいた町営住宅が取り壊しになるかもしれない、という噂が風に乗ってやってきた。そうしたら、サイコンスケジュールが知らぬ間に6年も早まっていて、気づいたら、家を建てる話になっていたのには、さすがに驚かされた。というか、呆れた。
(結局、町営住宅は取り壊されず、私が地元を離れたあと15年近く存命だったけどね。なんだったんだ、あの噂話。世間の嘘つきめ)

振り返れば、ここからすでに始まっていたのだ。
我が家の家族としての機能を崩壊させた要因。それは、決定事項の事後報告である。
この先、行き止まりという山奥に家を建てるとか、山村留学生の受け入れ(里親)とか、ファームインの開業とか。同じ家に住んでいる我々の前に、各種、議題として降ろされるときには、すでに決定済みの状態でやってくる。
自宅になんか人がいっぱい来ているなぁ、子どももいるなぁ、なんなんだろ?とか思ってたら、2週間後にはそのときの子どもが我が家で暮らし始めていた。のちに、その子が山村留学生として都会から来た子であり、うちで1年間生活するという説明を受ける。
今、考えても、明らかに順番が違うのでは?と腑に落ちていない。

抵抗を示すも、変わらない決定事項トップダウン体制。
一つ屋根の下、他人だらけの共同生活。
それを成り立たせていたのは、親子の絆だったと私は思っている。親子だからわかってくれる、許してくれる、親から子へ、信頼と甘えに寄りかかった関係の暮らしは、共同体としての家族という形を少しずつ壊していった。

私は今でも当時の母の気持ちを理解しないし、超絶マイペースに育った姉の本音も知らない。ぶつかることもなければ、開示することもない。分かり合いたいとも思わないし、これが優しさなのか、逃げなのか、それさえどちらでもかまわない。

ただ、再婚自体を認めたことに関しては後悔はないのだ。
もし、再婚を先延ばしして、結果、どちらかが病気になったり、先に死んでしまったりしたらイヤだなぁ、と思ったあの時の判断は間違いではなかったと思う。相手のためではなく、自分のために選んだ道なので、それだけは素直に後悔はない。
おかげで進学も出来たし、自分の給料だけじゃ暮らせなかったNPO職員時代を乗り越えられたのも事実。
だから、それぞれ最後の最期まで、元気に我が道を貫いてもらいたい。「あのときに出来なかったことを、、、」なんて思わなくていい。今更、家族団らん感は求めていないので。


拝啓、母上さま。
家族の形も、親子の関係性も、今の時代、いろいろです。ただ、それは積み重ねの上に出来るものだと私は思います。我が家の積み重ねの結果は、程よい距離感を保つ方が幸せ、に至ったのだと思います。お互い気にはしているし、ときには心配もするけれど、磁石のN極とS極の追いかけっこのように、ちょっとずつ離れているくらいの距離感が丁度良い。
年を追うごとに、私は母に似ているんだと感じます。自分がやりたいこと、自分にやれることは自分でやりたい、と突き進むところは似ています。
だから、本当にやりたいことやって、元気でいてください。私たちが心配しなくていいように。血縁という義務感にしばられることなく、フラットな気持ちのまま、丁度良い距離を保てるように。個として、我が道を貫く人生を、どうか。


母の日の贈り物は、もうちょっと時期をずらして、来月の誕生日分と合わせて送ることにしてしまおう、かな。

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