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わたしのこと3.何者にもなれない

連休が終わり、ここから夏休みまでが次の一区切り。

コロナのイタズラに邪魔されず、過ごせることを切に祈るばかりである。


4月末、インプットスイッチをONにして、わっと取り入れた情報を整理し、具体的な活動に落とし込もうとアレコレ考え始めた。

……ところまでは順調だったのだけれども、いざ、イメージを膨らませていくと、何かにつまづいている感があり、それが気になってなかなか進まない。


様々なインプットを経てhttps://note.com/office_up_road/n/nea30bd587a6c

子どもたちの視野を広げるような、子どもたちと世界(社会)がつながるような、そんな時間をつくりたいと思った。

自分の心が動く体験や人と出会って、自分たちの進路を考えるヒントになる場を、自主学習会 Light Houseの活動の中で実施していこうと考えている。

初回のブッキングも出来た。自分の中に落とし込んだことと合わせて、お知らせ(予定表)をつくっていたのだけれど、なぜかうまく言葉が出てこない。


自分の思いと子どもたちを結びつける線というか、子どもたちにとっての動機付けが、なんだかつながっていないような気がする。


やろうとしていることは、きっと子どもたちにとってプラスになると思うのだけれど、いまひとつ、子どもたちの心に届く気がしない。


むむむ……。


ちょっと寝かせて、休ませて、発酵を促してみるか。でも、あんまり悠長なことは言ってられない。時間はすぐに過ぎていくのだ。

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話は変わるが、先週、子どもの発達に関する研修会に参加した。

研修の冒頭、「普段、子どもたちと関わるときに大切にしていることは何ですか?」と問われる場面があった。

とても簡単な質問だ。毎日、あっちこっちで子どもたちの顔を見ながら、仕事をしている。困りごともあるけれど、子どもたちを向き合うのは愉快な仕事だと思っている。嘘じゃない。

でも、一瞬、言葉に詰まる自分がいた。

『……"私"は、何を大切にしてるのか?』

そして、気づいた。

『あぁ、そっか。今、私は自分の外側しか見てないんだな』

目の前にいる子どもたちのことに思いを馳せるとき、保護者や学校の先生、周りがどう思うかの方が気になっている。自分の思いを考えに足すことをサボっている。自分の中に答えを持っていない。

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寝かせておいたタネを取り出す。

ノートを広げて、書き出しに『Q)自分は何がしたいのか?』と問いかける。

なぜ、子どもたちに色んな人と出会ってほしいと思うの?

それは、自分の選択肢を広げてほしいと思うから。

なぜ、選択肢を広げることが大事だと思うの?

だって、今のうちに色んな選択肢を考えることが出来れば、何か得意なことや特技が見つかるかもしれないじゃない。


私には、これといって得意なコトがない。ずっと続けているようなコトも、特技と呼べるものもない。

自分にしかできないこと、なんてこの世の中に多くはないし、そんなものに出会えるような生き方してきてない。

でも、心の底では求めているんだと思う、自分だけのスペシャルを。

飛び抜けたり、飛び越えたりする気概もなく、中途半端だなと思うことが今でもたくさんある。

何者にもなれない。

そうわかっている一方で、負けず嫌いだから、人と比べることで自分の価値を感じようとする節がある。

結構、やなヤツだなって思う自分との戦い。


だからといって、自分が出来ていないことを、子どもたちが困らないように、転ばぬ先の杖を差し出したいのか?といえば、またちょっと違う気もするような……。

私にとっては葛藤であったとしても、子どもたちにとっての困りごとになるとは限らないし。


自分のことを掘り下げることは、ときどき、しんどい。

自分の未熟さを痛感するから。

出来れば、さらっと表面的に、あれがしたい!これがしたい!と動かしていく方が気持ちとしてはラク。

でも、どこかでつまづく。

今回みたいに。

『自分は何がしたいのか?』と自分に聞く答えが、表面さらっと撫(な)でるもので終わるなら、もっと器用に生きてるわ。


自分は何者にもなれないと思っているから、頑張れるところもあるんだって、自分を励ましていくしかないもの。

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さぁ、そのうえで、私がやろうとしていることって何なんだろう?

中学生にとっては、高校を選ぶって目の前にあるひとつのターニングポイントになる。

いくつかの選択肢があって、高校のその先がぼんやりとでも見えている子は、候補を絞りやすいだろう。

今はまだ先にあるものがわからなくてもいい。これからの出会いの中で見つかるものは、きっとたくさんある。

じゃあ、先にあるものがぼんやりしている子は、何を基準に高校を選ぶのか。

自分の学力、あとは部活とか、そんなものだろうか。

無理やり将来の目標を見つけて、目的意識を高めるのは意味がないという。確かに、目標を見つけることが目標になると、苦しいし、変なプレッシャーを感じるのかもしれない。

でも、目標=自分にとって大事なコト、自分にとって興味があるコト、自分の好きなコトだったらどうだろう。

自分自身のコトを深く潜って探る。

今、私がやってることと似てる。

今は表面だけさらえばなんとか格好はつくけれど、どこかで本気で向き合う日がきっと来る。

そのとき、自分の内側に問いかけるために、世界(社会)に目を向けて、つながっていくこと、必要な情報を取りに行くことが、出来るような人になってほしい。

世界(社会)とつながる練習。自分の視野を広げて、悩んで迷うことを楽しめるようになるために、そんな機会と時間をつくる。

それが今の私がやりたいコト。



ノートに自分の頭の中身を書き出している最中、ふと思い出したことがある。

「大学を出たからといって、何者かになれると思わんといてな」

17年前、大学の新入生オリエンテーションの席で、当時の学科長だった先生に言われたひとこと。

ただ漫然と提示される学業をこなしただけでは、何者にもってはいない。大学生なんだから、しっかり自分の将来を考えて行動せーよ!というメッセージ。

今、改めてその意味を噛みしめています、先生。


スーパースターになることではなく、自分にとって意味のあるコト、自分にとっての幸福、自分を支える目標をみんなが見つけてくれたらいいな。

そのために、私に出来ることを形にしていくのも、今の私がやりたいコト。

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