湖底の切株が描くタウシュベツ史
数えきれないほどの切株が糠平湖底に広がっている。この光景は、1955年に糠平ダムが作られるまで、ここが森の中だった証拠だ。ダム建設によって水没することが決まった後、森の木々は切り倒されて木材として運び出された。今はこうして切株だけがその名残りを伝えている。
水没している期間が一年の半分以上におよぶ糠平湖底にあることでキノコや菌類の繁殖が抑えられ、通常であれば腐敗して土地に還っていくはずの切株が当時のまま形を保っている。水没することが原因でタウシュベツ川橋梁のコンクリート劣化が加速していくのと対照的だ。
ところで、近年湖底が水没する前のタウシュベツ川橋梁を訪れたことがある方は、写真に違和感を覚えるかもしれない。これほど切株がたくさんあっただろうかと。
じつは2016年以降、糠平湖底に散らばっていた切株は減っている。半減がおおげさにしても、往時の三分の二ほどの数になったのではないだろうか。
原因は大雨によるものだ。この写真を撮ってから間もない2016年8月一ヵ月間のぬかびら源泉郷の降水量(気象庁調べ)は978mm。これは現在でも同地の観測史上1位の記録となっている。ちなみに2位の降水量は575mmだ。貯水率100%に迫った糠平ダムからは連日放水が続いた。
音更川をはじめ糠平湖に注ぐ川や沢は例外なく増水し、山から泥流と流木が大量に流れ込んだ。茶色に濁った湖の水が元の状態に戻ったのは、およそ1年が経ってからのことだった。
そして、湖底には20~30cmの泥が積もって現在に至る。2016年8月以前と比べた時、どこか湖底の様子が変わったように感じられるなら、その理由はこうしたことにある。切株の多くが、今は僕たちの足元にある泥の下に埋まっているのだ。
2005年に撮影を始めた頃から「あと2,3年で崩れるだろう」と言われながら、ほんのわずかずつ形を変えていくタウシュベツ川橋梁。その一方で、東京の山手線一周エリアとほぼ同じ広さの糠平湖の環境が、ある時を境にしてあっという間に変わる。
もちろんこうした事象を予期して撮り続けているわけではないけれど、そんな巡り合わせに立ち会うことができるのも、この橋があるおかげだと思うと感慨深い。
Taushubetsu history depicted by stumps at the bottom of the lake Nukabira