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個人事業開業(1) 第二の人生スタート‼️

定年退職

2024年7月15日で65歳の定年退職をすることになり、現在30日間の有給消化中です。勤めている会社は60歳定年ですが、その後は70歳まで1年毎の有期雇用契約で働き続けることもできる制度になっています。その間64歳までは役職が残りますが、65歳からは一般職になり給与も年金受給を前提とされるためガクンと下がります。
私の場合はガクンと下がった給与のまま同じ仕事をするのに抵抗があって、1年前から「次回は契約更新しません」と宣言して65歳で定年退職する道を選びました。1年もあれば職場として私の後を継ぐ社員の手立てはできますからね。職場への影響をできるだけ少なくしたいという考えでした。

43年を振り返って

思えば、数度の転職を重ねて43年もの間よく働きました。転職の度に新たな知識の吸収と経験ができ、それが次の職場で生かされるという理想的な働き方もできました。その分退職金というものはかなり犠牲になっていますが。それは日本の制度上仕方ないことです。

高専で機械工学を専攻し、社会人になってからは技術屋一筋でした。
簡単な数万円の加工用治工具設計からはじまり、終わってみれば数億円もの産業用ロボットシステムの構築まで一人でできるまでになっていました。これは今まで指導や協力をしてくださった全ての人のお陰です。本当にありがとうございました。
特に最後の10年間は、ほぼ産業用ロボットを使ったシステムばかりで、これも時代の流れなんだろうなと思います。

20歳代後半からブラジルの子会社に4年間出向もしました。当時結婚して2年くらいの頃で、妻の出産も控えていました。妻もブラジル行きに興味を示してくれ、長男出産後に半年遅れでブラジルに来てくれました。
ブラジルでは現地の労働関連法令に戸惑いながらも、日本から送ったマシニングセンターやNC旋盤を現地の人に使い方を教えるなど、主に生産技術の改善や安全衛生指導をしていました。
ブラジルでは長女も産まれ、4人での帰国となりました。

帰国後は超円高の中、会社存続のために主に原価低減の仕事をしていたのですが、資金がないので物理的な改善ができず、数字を弄くり回すだけの仕事に嫌気が差し転職することになります。

転職後は、大手自動車メーカーや自動車部品メーカー向けの設備設計をやるようになりました。これが結構楽しくて、自分で設計した機械が生産に寄与できる喜びに気付きました。
その後はスカウトされたり自分から売り込んだりして二度転職し、電子部品製造機械、食品製造機械、医薬品製造機械、ロボットメーカー向け生産機械などの設計や現地工事などにたずさわりました。
最近ではコーヒーや紅茶飲料、缶酎ハイなどの製造設備も設計し既に稼働しておりますので、もしかしたら皆さんも口にされているかもしれません。

こうやって振り返ってみると、どちらかと言えば波乱万丈の働き方だったかもしれません。「やりたいことをやる」という自分のポリシーをそのまま実行した43年だったと思います。やりたくない仕事を何年も続けるって人生損してる気がして、居ても立っても居られない気持ちになるんですよ(笑)。

機械設計事務所開業へ

定年退職してそのまま年金生活に入るのも手なんですが、年金なんて昔の人ほどもらえるわけじゃないし、このままボケていくのも怖いので、早い時期から個人事業で第二の人生をスタートすることを考えていました。
万一失敗しても年金がありますし生活には困らんだろうという浅はかな考えですが、妻も応援(というか「もっと働け」かな?)してくれていますので頑張ろうと思います。人生は楽しみながらチャレンジするのが最高だと思います。
そのあたりのお話は次回に…。

ホームページやX(旧ツイッター)にも是非お越しください。

オフィス ヒビノ(機械設計事務所) (@Office_Hibino) / X

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