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ハートを育てる

まだヒーリングという概念と出会う前の若いころ。癒しが起こる時のエネルギーの法則を知った後も、古くて頑固な自分の「パターン」にはまってしまうと時折、見失ってしまうこと。… 何かが絡み合って現実がうまくいかない時というのは、自分が隠し持っている何らかのネガティブな感情のエネルギーが作用していたりします。

分かりやすい「恐れ」などは、反応するので自分でも自覚していることが多いですが、意外と見つかりにくい、隠れるのが上手な感情が「嫌悪感」。人格は自分の欠点を自分自身に向けて隠すので、それほど強くはない静かな感情、ある種の想念、固定観点(潜在意識レベルの)は、表面上はうまく繕い、そのようなものを持っていないように見せかけることも出来る。

嫌悪感。明らかに、ではなく。深く掘っていくと、実はそうだなというものがあります。他者の在り方を否定するような、愛ではない感情、想念なので、「まさか自分にはそんなものはない」と思い込んでいたりする。

そして大抵その原因、理由は、やはり「恐れ」ということになる。

現代のニューエイジ思想、つまりホリスティックな分野、チャクラや瞑想や東洋思想を取り入れた西洋風のスピリチュアル…の、原型を作ったと言われている神智学の、産みの親であるブラバツキー夫人の言葉で、

「恐れと憎しみは表裏一体」
という一文があります。

恐れていなければ憎む必要はないし、憎しみがなければ恐れることはない。という。一見わかりにくいこの相関関係は、やはりしっかりと見えない部分で根っこで繋がっているなと思います。

そしてどちらをも超えていくには、表題のとおり、ハートを育てていく他ないのだな、と。ハートといっても人情的な愛ではなくて、宇宙的な無条件の愛。もちろん人間的な温かな愛も必要ですが、…これは、何か状況のバランスや平和な状態な崩れた時には、壊れてしまう、侵害されたり、崩されたりしてしまうものなのです。

現代の日本のような平和な先進国(今後は分かりませんが…)では、人に優しく「良い人」で生きてきて、自分でもそうだと考えていたとしても。その平和な世界という約束が崩された時、同じような自分でいられるでしょうか。そのような時に、嫌悪感や、その根にある恐れ、あるいは恐れとその影に隠れた嫌悪感が、浮かび上がって来たりするのだろうと思います。

平和な日本、と話を広げてしまいましたが。これが個人の人生の中でも、ハートの愛、無条件の愛を拡大しなさい、育てなさい、と自分の魂が存在を主張してきた時には、一見、現実の平穏が乱れたり、問題が起きたりします。魂とは自分自身の高い部分、ハイヤーセルフと考えて良いです。

地上で生きる人格を成長させたいので、真実の愛の周波数を思い出させようとする。それを知っているのがハートであり、第四チャクラ、胸の真ん中のエネルギーセンターです。そこに根ざすのは「無条件の愛」、条件付けの無い特定の周波数としての「愛」なので、それが不安定であるうちは、人生で色々なことが起こり、バランスや感情や行動などのあり方を再考させます。

スピリチュアル、ソウルシステム、は目に見えていないだけで、本来は宇宙的視点でいえば「科学的に」「数学的に」出来ています。それを邪魔してしまうものが感情という、課題なのですが… これは、今の時代を生きる魂たち(私たち)に出されている宿題なので、排除するのではなく、感情が生み出すさも現実ように感じられるトリックを、見破り、それを乗り越えていくという必要がある。

そこに不可欠な要素、超えていくために必要な力、仕組みは、ハートの無条件の愛、なのです。ハートに良いもの。清々しい空気、綺麗な色彩、自然のエネルギー、植物や鉱物、子供のような純粋な気持ち・喜びを持つ時間。そして、感謝すること。それらがハートを育ててくれます。

今日はこのくらいで。
Love and Grace